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アロハのにっちもけ
やけくそでホームページを作った。とりあえずは、ただの公開日記帳にするつもりである。 
愛しすぎて愛されない、耳が痛いわ―。
コメント(web拍手)はコチラからどうぞ





更新情報
2016年
5/9 用語辞典に「菓子パン」「カタラーナ」「ジャケット」を追加。

2015年
無い

2014年
10/23スマホでも見やすくした(?)。
9/9 用語辞典に「hao123」を追加。

過去の更新



2019/3/7(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
相変わらず人の顔色ばかり伺ってしまう。人自身には興味が無いくせに、その人が僕にどのような感情を抱いているのかは気になるのだ。矛盾。



2019/1/6(土) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
占いというものはきっとカウセリングみたいなものだろう、と思っていた。いや、今でも思っている。
自分の考えていることを人に話すという行為は少し恥ずかしいけれど、それは自分の考えを改めるいいきっかけになるし何より、 相手が聞いてくれている、という実感は何事にも代えがたい安心感を覚える。
話を聞いてもらって、なにか背中を後押ししてもらうようなことをいってもらって。そうすれはまた頑張ることができるような気になってくる。
そして実際に頑張ってみると、意外とそのとおりになるものだ。
初めはただ付いて行くだけだったのに、良い気持ちになった。


2018/12/24(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日はクリスマスイブだった。人に会いに行った。場所は会社だ。仕事だから。
かーーっ!クリスマスかーーーっ!かーーーっ!!!
はい。
どうして祝日なのに出勤しているのだろう。いや、百歩譲って祝日無しなのはいい。どうして今週は土曜日も出勤しないといけないのだろう!!!
仕事自体について。
新しい仕事にも慣れつつあるような慣れていないようなよく分からんちんな状態である。できる仕事はある。できない仕事もある。
前にも書いたけれども、同期が居る。彼は僕よりも歳10くらい上だ。なので色々できる。僕よりもだ。
いや、事象としてはこっちのほうが良い。年下のほうが仕事ができる。そんな状況はなんだか辛い。しかしやはりそれでも、なんだか差を感じるのだ。 その、同期と僕との間に。
今はまだいいが、そういった関係というものが周知されるのも時間の問題だと思う。


2018/12/18(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
仕事へのやる気が無い。というか生活することに対してのやる気が無い。
仕事に関しては、せっかく新しい仕事を教えてもらっているというのに「あ〜だるいなぁ。面倒だなぁ。早く家に帰りたいなぁ」とか思ってしまった。
生活に関しては、食生活が崩壊気味で、朝は無し、昼がカップ麺とカロリーメイト、夜はドラッグストアで買ってきたレンチンで食べれるウドン+こんにゃくゼリーとかそんな感じ。
あとなんか常に眠い。7時間くらいは寝ているはずなのに眠い。栄養が足りていないせいかもしれない。
明日は僕の相方が休みで僕一人で仕事をしなくてはならない。大丈夫か。知らんぞ。僕、一人にしたら何するか分からんぞ。
明日も生き延びていることを祈る。


2018/12/13(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日あった辛いこと、は無し。素晴らしい。社会生活を送るのはいつも辛いけれども。
新しい業務に備えて色々勉強とか練習とかした。具体的には計測器の使い方やらだ。
覚えることが多くてサッパリよく分からないままとりあえず身体を動かしていた。たぶん、そのうちなんとかなるだろう。知らんけど。
今はまだ僕がずぶの素人だから周りの人も色々と優しく接してくれるけれども、日が経つにつれてそうもなくなってくるのだろうか。


2018/12/12(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日あった辛いこと。
今日がまだ水曜日だということ。
実を言うとこの3日間はまだ新しい仕事に就いてない。やっていることは以前の仕事の後片付けである。できれば新しくて不慣れなことはやりたくない。と思ってしまっている。
きっと僕の表情やら言葉の微妙な使い方やらからそんな気配が漏れ出してしまっているような気もする。
仮にも26歳だ。モラトリアムはとっくの前に過ぎているはずだ。
寝不足で頭が重いから寝る。


2018/12/11(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日あった辛いこと。 僕が多人数相手においての会話に慣れていないおかげで、相手の人が恐らく僕に対して話しかけていたはずなのに僕がそれをスルーしてしまい結果的に僕が相手を意図的に無視したような感じになり空気が3秒くらい止まったこと。
、 相手は目上というか職場の上司にあたる人なのでなんかもうつらい。こんなつらい思いをするなら初めから会話をするべきではないのではないかと常々思う。
なんというか、僕は会話というものが超ド下手だ。それで何が辛いのかというと僕が相手の会話レベルに合わせることができないということを知られて、たとえ意識的でなくとも失望させていることが辛い。
換言すると、相手の「普通に会話ができるであろう」という期待に沿うことができないのが辛い。
前にも書いたけど、読書や検査により、この問題は根本的な解決は不可能だということが自分で分かりきってしまったので、一生付き合っていくのだろうなあ、と思う。


2018/12/10(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
最近は、というか一人暮らしを始めてからは独り言が多くなった。体感20倍くらい。勤務中もブツブツやってしまっているときがある。 周囲には聞こえない程度にしているけれど、もしかしたら聴かれているかもしれない。
今日あった辛いことは僕の将来に関することだ。
派遣先の社員の人に「正社員にならないか」と言われた。僕は考え中ですと答えた。「てっきり、そのつもりだと思ってたんだけどなあ」と言われた。
つらい。何が辛いのかといえば僕の人生が決定されてしまいそうで辛い。
いや、僕は結構ワガママを言っている。いつまで甘えたことを言っているんだ、とも思う。
長生きするために大事な要素の一つはお金である。安定した収入を得るためには定職につくことが手っ取り早い。
いや僕は既に正社員である。正社員ではあるけれど派遣社員として他の企業で働いている。福利厚生はしっかりしている。手取りもそこそこある。
しかし傍から見れば派遣社員だ。僕がこの前まで勤めていたアルバイトみたいな派遣社員よりかはグレードが高いのかもしれないけれど派遣社員だ。いや一応正社員なんだけど。
なんだか分からなくなってきた。
とにかく、僕は派遣社員(正社員)という立場に微妙な不安と開放感を抱いていて、 そこに正社員(本物)のお誘いというか僕が「考え中」とかぬかしやがったおかげで無くなったかもしれないけれどそういうお話をされてしまったおかげで僕の頭で変化という名の辛みが蔓延しているというわけである。


2018/12/9(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
寝れたらいいな、と独り言をつぶやきながら床に就く。


2018/12/6(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
つらい。
僕がここに何かを書くときは大体つらいことがあるときだ。
今何が辛いのかというと、書ける範囲であれば今やっている仕事が終わるということだ。
仕事というか業務が変わるのだ。
今まで携わていた業務は単純作業系だった。飲食店の業務でいうと皿洗いだ。同じ作業を淡々とこなす。一人で。しかも椅子に座れる。
僕はこれを天職だと考えていた。毎日がこんなのだったらいいなと思った。こんな簡単な仕事でお金もらえて社会人の顔ができるなんて、なんて幸せなんだろうと思っていた。
実際、これは3ヶ月ほど続いた。僕がにっちもけをあまり書かなかったのは、そんな気持ちだったからだ。
しかし世の中は甘くなかった。プロジェクトというものはいつか終わるものらしい。業務の変更を言い渡された。たぶん明後日くらいから。来週からでいいじゃん。
もし、今後もここが更新されるときがきたら、つまりはそういうことなのである。


2018/10/3(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
あー、
今のお勤め先に就いてから一ヶ月が経った。
仕事内容は慣れたら楽なもので、とくになんの不安もなく働けている。不安があるとすれば人間関係くらい。
一人暮らしは居心地が良すぎて、むしろなんでもっと早くに一人暮らしを始めなかったのだろうか、と思うくらいである。一人サイコー。一人万歳。
今日は帰りのドラッグストアで買ったこてっちゃん(250円くらい)とカット済みの野菜(100円くらい)をフライパンで炒めた。ご飯は朝に炊飯済みだ。美味しかった。
とりあえずは、これくらい。


2018/09/4(火) ホテルの天然水 。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日は2日目だった。
前半は雑用をして後半は割と本格的な作業に入った。
疲れた。
人間関係はよく分からない。
うしろで結構歳を重ねた感じのおじいちゃん社員にじっと見つめられたりした。30分程度僕の作業を観察したあと急に話しかけてきた。意外と気さくだった。
仕事中、話すときの声はできるだけ大きくしようとしているけれども、聞き返されたり怪訝な顔をされたりする。
ホテル。
今僕が宿泊しているホテルには毎日お掃除されるシステムがある。でも「タオルとかハブラシとかの交換だけでいいですよ」札を扉に貼っとくと、お掃除はされなくなり必要最低限のモノが交換されるだけになり、 ホテル限定ペットボトル入りミネラルウォーターがもらえる。
その名も「アパ社長天然氷河水」。ラベルにはアパホテルの社長の顔写真がでかでかとプリントされている。
僕はもう3本貰った。


2018/09/4(火) 折りたたみ自転車 。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
台風が来たりした。
仕事は休みになった。会社の人に電話するとき、少しもたついた話し方をしてしまったのかもしれない。
当たり前のことかもしれないけれど、人はそれぞれ異なった国語を持っていると思う。要するに話しかたの筋や傾向といったことである。
その人の国語を捉えるまでは、うまく応対することが難しい。
休みだったので自転車を買った。折りたたみ自転車を買った。1万7千円だったはずなのに店員さんの言葉にハイハイ答えていたら色々ついて2万8千円になった。 おのれビックカメラ。なんで台風来てるのに営業してるんだビックカメラ。
折りたたみ自転車は予想以上に重かった。僕のイメージではリュックサックみたいに軽く背負う感じだったはずなのに。お出しされたものはデカくて黒い袋に入ったゴツゴツしたなにかだった。
ホテルまでえっちらおっちら運び込むことに成功すると、カゴを取り外す作業に取り掛かった。折りたたんだ状態での運搬にとても邪魔だったからだ。
やけに硬いボルトとナットに苦戦しながらカゴを外すと、ライトも取れた。カゴで固定されていたらしい。よく見ていなかった。ガムテープでテキトーに固定した。
なんだか非常に無駄な時間を過ごしているような気がした。自転車を買ったのは通勤を少しでも楽にするためだ。折りたたみにしたのは電車に持ち込むためだ。
通勤先の最寄り駅には一時利用ができる有料の駐輪場がある。ホテルを出て電車に乗る。そこからは自転車で会社に行ける。帰りは最寄り駅の駐輪場に止める。そういう算段だった。
しかしそのための労力が見合ってない気がした。折りたたみ自転車をビッグカメラで受け取ってから2時間は経過していた。
週末には新居に住める。会社まで徒歩25分くらいだ。入居してからならワザワザ折りたたみ自転車を 選ぶ必要は無い。電車を使わないから。値段も浮く。なんで折りたたみ自転車を入れる袋が5800円くらいするんだ。
しかし僕はもう後戻りができないのだ。これはすべて僕の認識不足、考えの浅さ、事前の情報収集不足が招いた結果である。店員さんも自転車の返品はできないとか言ってたし。
僕はこんな長ったらしい文章を書くクセに、あまりモノを考えたりすることはしない。行き当たりばったりが、かなり多い。しかも直すつもりもあんまり無い。仕事はしっかりしたいとは思うけれども。
とにかく、明日は折りたたみ自転車をなんとかして持っていく必要があるのだ。……多分もたつくだろうから少し早めにホテルを出て。


2018/09/3(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日はOJT的なやつをやった。後半は昔話的なものになってた。
実務を形だけしてみたが正直なところ、やり遂げられるのか不安な面もある。たどたどしい。ミスがある。
あと僕の姿はやはり、おどおどしているらしい。どうしようもないね。
会社の人たちは比較的優しそうな雰囲気だった。なんというか、余裕がある感じ。うまく馴染めたらなと思う。
ホテルのコインランドリーが一向に開かないのがストレス。

2018/09/2(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
明日から新しい職場での仕事に就くことになる。
実家からは遠い場所になるため住む場所を変えることにもなる。ただ、今は所々の事情により新居への入居は暫くはできなくて、その間はホテルからの出勤だ。
このホテルから駅までは10分程度。電車で職場の最寄り駅まで30分。さらに職場まで30分。
長い。改めて書き出してみたら1時間10分も掛かりますやん。つら。
いちおう新居からだと自転車で10分くらい。つら。
不安なことは他にも沢山ある。そもそもの働き方が特殊な形になっているので、色々とややこしい。勤怠の付け方とか。
職場の人たちとうまく話せるのかも心配だ。見た感じ、どちらかといえばアットホームな感じだった気がする。つら。
そもそも前の職場辞めたのが7月の真ん中くらいだったんだよな。そこから多少の転職活動という形で社会には触れていたんだけど、殆ど家に引きこもってばかりだったんだよな。
もう夜の1時半だ。いい加減に寝ないといけない。はあ。

2018/08/23(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
そういえば以前の職場を離れてから一ヶ月以上が経った。辞めてから数日は少し心配していたりもしたけれど、今は思い出すことも殆どしなくなった。
僕の代わりに新しく入ってきた女性は友人に似ていた。瓜二つと言っても良いかもしれない。それほど似ていた。歳もそんなに離れていない。だから僕はその女性に妙な親密感を覚えたりした。
その人を教える期間はたったの2週間だった。その間にできる限りのことは教えることができたと思う。でも、やはり僕が居なくなることに不安を抱いていたようだった。
「せめて電話番号だけでも……」とも言われた。僕はそれをウヤムヤにした。結局僕の連絡先を教えることはなかった。冷たい人間だと思われたのかもしれない。もっと悪く言えば無責任だ。
連絡先を教えるという行動を取ってしまうと、何か、僕に介入されるのではないかと思ってしまったのだ。 換言すれば、友人と呼べるような人が増えてしまうかもしれないことが怖くなった。だから誤魔化してしまった。
あの女性が、無事に仕事をこなせていることを願う。


2018/08/22(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
油断するとすぐに間が空く。この数日何をしていたのかというと、特に何もしていない。僕はかなり長い夏休みを満喫している。
ちなみに、色々なことをボカしているのはあんまり書きすぎると後々面倒なことに巻き込まえるかもしれないからだ。いちおうインターネットだから。
もしかしたらボカしすぎて僕の現状がよくわからないことになっているかもしれないけれど、それは申し訳ないと思う。
明日は不動産屋に行く。勤務先の都合で一人暮らしをする必要があるからだ。
はじめての一人暮らしをすることになる。不安は無い。というかあまり考えていない。僕が一番重要視するのは「いま、ここ」であるからだ。
といってもそれは社会的な諸々に対してだけだけれども。
だけだけれども、ってなんか語感が悪いな。でも「〜だが。」を使うと偉そうであんまり使いたくない。
心配事が何一つも無いわけではない。1つある。書かないけど。


2018/08/10(金) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日も面接的なモノに行った。
電話面接なのに遠出をする必要があるのは不思議だったが交通費は全額支給されるので考えるのは止めた。
面接はあまり良い感触ではなかった。以前よりかは少しマシにはなったかとは思った。が、それだけだった。
面接後、時間があったので観光半分でブラブラした。オブジェだの神社だのを見た。神社には狛犬ではなく狛鹿がいた。珍しかった。


2018/08/9(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
特に何も無いので家に引きこもってスマホの画面を眺めていたりテレビゲームをしたりした。
外に出る気分ではなかった。暑いから。あと行きたいところも特に無いから。
アマゾンのプライムビデオでアニメを観た。
僕はゲームはするけどもアニメはほとんど観ない。ただ観て聴くだけという娯楽はつまらないと感じやすい。
特にアニメは僕の趣味に合わないような作風が多い(偏見)ように思う。
今回観たアニメは「はねバド!」である。バトミントン部の可愛い女子高生たちが全国大会を目指す的なやつである。
はい。
なんで僕の琴線に触れたのか。
全体的にギスギスして陰鬱だからだ。
僕はガンダムというアニメも好きだけれども理由は同じようなところにある。
つまり、人の負の感情がぶつかり合う姿というものに惹かれるのだと思う。
「はねバド!」の登場人物は性格の悪いものが多い。
性格の悪い者同士が罵り合ったり、嫌味を言ったり、葛藤したりしながら話しが進んでいく。でもバトミントンというスポーツを通して、なんとかわかり合ったりする。
そいういった心の動きにカタルシスを覚えるし、もしかしたら勇気も貰っているのかもしれない。
ちなみにガンダムはわかり合えないことが多い。だいたいどっちかが拒絶するか死ぬ。ガンダムのテーマは「人と人はわかり合えない」である。
明日も面接的なモノがある。


2018/08/8(水) 



 


○。

△。
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今日も面接的なモノに行った。
京都の奥の方まで行った。途中、この前の旅行でラフティングをした駅を通った。
行きだけでかなり、しんどい。
ついでに面接的なモノ自体については殆ど何も喋ることができなかった。なんのために来ているのかが分からなかった。しんどい思いまでして。
なんとなく、僕自身にやる気がないような気もする。形だけは、社会的に動こうとしている体ではいるものの、実際はどうでもいい。
そういった態度はどうしても見透かされてしまうものだと思う。
明日は何も無いけれども金曜日にはまた面接的なモノがある。そこではもう少しできることがあれば、と思う。
>

2018/08/7(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日は面接的なモノに行った。
僕が面接的なモノとしつこいくらいに書くのは、実際そのとおりだからである。
それでも緊張はしたし行きしなには気分が悪くなって吐いてしまいそうになった。
内容は本当に簡略的なものだった。いいのか。まじでいいのか。あまり詳しくは書けないけれども、本当にあっけなかった。十分、僕の悪いところを露呈させてしまったと思う。
場所が遠かったので帰ってくる頃には日が落ちかけていた。
また明日からは家に引きこもろうと思ったとき、電話がかかってきた。
明日にある面接的なモノの時間と場所についてだった。


2018/08/6(月) 



 


○。

△。
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ツイッターを眺めていたら
「消えるクリエイターは週に一度、時間をかけて凝った作品を投稿する。消えずに活躍する人は質が低くても毎日続ける」
みたいなことが書かれていたので、なんか書こうと思う。
クリエイターを気取っているわけじゃないけれども、そのうち辞めてしまいそうなので。
明日、面接的なモノがある。
面接的なモノなのであんまり準備はしていない。
色々と不安要素があって、それは面接的なモノではない。ただ、遅かれ早かれ一人暮らしはすることになるのだと思う。
ノートパソコンが結構な熱を放っている。あんまり長くは無いのかもしれない。


2018/07/22(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
明日、面接がある。一応、面接の対策というか原稿は作った。あんまり覚えてないけど。
エージェントの人が言うには大丈夫だそうだけれども、いまいち自信がない。というか、自分が無い。
自分が無いというのは、自分というものがよく分からないということである。説明になっていないか。
興味が無いという言葉を使っていいのであれば、僕は自分の就職にもあまり興味が無い。
思い返せば、僕は自分自身のことでさえ、どこか他人ごとのようにしてしまう。
いや、やはり興味が無いという言葉は誤りだ。逃避をしているだけだと思う。頭皮だけに。
いまからするべきことは、履歴書と職務経歴書の印刷。それからその内容のおさらい。



映画「バトル・ロワイアル」を観た。明日面接なのに。
なぜ観たのか。ビートたけしが好きだから。あとビートたけしと生徒の集合写真が印象に残っていたから。アマゾンプライムビデオでたまたま出てきたから。
感想。スプラッターな内容だった。ビートたけしが良かった。あと全体的にエネルギーがすごい。若さを感じた。
思春期のあたりに観なくてよかったと思う。影響を受けたかもしれないから。
思春期に触れなくてよかったものは他に「エヴァンゲリオン」「ノルウェイの森」である。
ちなみに思春期に触れてしまって今でも影響を受けているものが、古野まほろ 著「天帝のはしたなき果実」中島義道 著「人間嫌いのルール」だ。
どっちみち何かに影響を受けてしまっている。


2018/07/10(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日で会社を辞めた。
これから無職になる不安より、もう職場の人たちに会うことができなくなるという寂しさのほうが強い。
もう少しやりようはあったのではないかと思う。もう少し個人的な話やつまらない冗談なんかを言い合えたのではないかと思う。
でも、僕はそれをしなかった。というよりできなかった。2年間、どこかで壁を作り続けた。
それでも、職場の人達は優しかった。僕に何度も話しかけてくれた。最後だって、派遣社員でしかない僕のために挨拶のための時間を作ってくれた。
僕はそこで初めて自分の言葉で話をすることができたのかもしれない。
僕の話は2分程度で終わった。この職場で過ごした2年間は、それで終わった。


2018/07/8(日) 



 


○。

△。
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転職。エージェントサービスを受けることにした。
簡単に説明すると企業と僕の間を取り持ってくれるやつだ。採用情報の紹介、履歴書や職務経歴書、面接などの対策をしてくれる。
一番いいところは尻を叩いてくれるところだと思う。無職期間は油断するといつまでも伸びていく。そこに他人が介入することによって僕の転職活動は僕だけのものではなくなる。
さっそく、期限というものができた。履歴書と職務経歴書を作成しなくてはいけない。
ただ、今の職場を離れたくないという気持ちもある。もうどうしようもないことだけれども。


2018/07/4(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
この前の書いた転職の、書類だけ送って電話待ちのアレ、恐らく駄目になった。はい。
これで7月末になると確実に無職になる。
頭のどこかでは覚悟していたつもりが、いざそうなると情けなさと愚かさでイッパイになりそうだった。
僕が狙っていたのは、いってしまうと、コネだ。人づての採用。自分の能力が低くても努力をしなくても入れるという甘い話。
そこに何も考えず踏み込んでしまったのだ。その結果が今である。
今の職場は僕の代わりになる人が入ってきている。僕よりも真面目そうでコミュニケーション能力があって、美人だ。
もう、後悔するのはやめよう。これからのことを考えるべきだ。
僕の貯金だと、もって半年だ。それまでにはなんとかしないといけない。


2018/06/24(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
これは金曜日の話しなんだけれども、毎週金曜日は業務上の都合で忙しい。そして僕は寝不足だった。最近はあまり眠れない。
頭がボンヤリとした状態で身体だけを動かして、それで仕事が終わったとき「ああ、今なら死んでもいいな」と思った。
当然、自殺する度胸なんて無い。でもボンヤリとした開放感のなかで僕は死ぬことを考えた。それがどこか心地よかった。
こうやって、死ぬことを肯定したまま死んでしまえる人は主観的にはきっと幸せなんだろうし、それが生物としての理想的な死に方なのだと思う。
きっと、順調に老いていけば、死を自然に肯定できる時間が増えていくと思う。それができなくてもボケるという方法がある。人間の頭はよく出来ている。
僕が今どれだけ死ぬことを恐れていてもそれは杞憂なのだ。自然に、それは問題でなくなる。
人間の頭はよくできている。


2018/06/17(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
現状、契約は更に一ヶ月伸び、7月末までになった。色々な事情が重なったからだ。
電話は鳴らない。書類を送ってから一ヶ月以上も経った。
間接的に事情を聞くことができた。それで結局は今も待ち続けている。
普通なら切っても良いと思う。それでもそうしない理由がある。今、働いている職場の上司には止めといたほうがいいと、言われているけれども。
かなり楽観的にものを考えている。僕が今行っている転職活動は電話を待つことだけである。
もし転職に失敗したのなら、それはつまり僕は社会で働くことができない人間だということが判るだけだ。
そうなったらまた派遣かアルバイトでもしたらいい。それもできなければ国に泣きつけばいい。それも駄目なら……。
行き着く場所に行くだけだ。それでいいと思う。
僕が誰かのためにできることなんてものは、もう何の一つも残っていない。それなら誰かのための僕というものは存在せず、僕のための僕があるだけだ。
久しぶりに書いたと思ったらまたろくでもない文章を書いてしまった。


2018/05/20(日) 取り急ぎ。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
紆余曲折はあったものの、契約を一ヶ月伸ばすことができた。これであと三週間ほどは普通に働き、あとは有給消化になる。
問題は次の就職先である。
書類を送ってから一週間ほどで何かしらのアクションがあるだろうと考えていたものは、何もない状態である。
面接案内の電話も無く、残念お祈り書類返送も無い。そして2週間が経ってしまった。
友人やら親には「一度こちらから電話を掛けてみるべき」というアドバイスを貰ったけれども、 webで調べてみると、1ヶ月程度は様子をみたほうが良い。下手にこちらから行動を起こすと選考に悪影響が出る、という意見もある。
僕は待ってみることにする。なぜなら、電話を掛けるのが恐いからである。


2018/05/16(火) 取り急ぎ。



 


○。

△。
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書類を送ったけれども電話が掛かってこず。
契約期間を一ヶ月伸ばす作戦を決行す。
しかし行くのは前半のみで後半は有給消化。
雇い主というか上司に、この行動をどう捉えられるのだろうか。自分勝手だと思われないだろうか。有給消化で2週間休むて。
しかし今日だって「できれば数日でも契約を伸ばして欲しい」とも言われたりした。
あと僕はこういったコミュニケーションが苦手である。
上司は酷く無愛想でネチっこい。
不安だ。


2018/05/7(月) 仕事を迎え。



 


○。

△。
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今日は朝起きて身体がダルく、昼はお腹が空いているのにご飯が喉を通らず、夕は仕事中に心境というか怨嗟を裏紙につらつらと書いていたけれども、 夜になってからは「うぉぉぉぉぉおお!!!ポジティブシンキンーーング!!!」みたいな感じになって、今この文章を書いている私は徐々に気分が落ち込みつつある。
実際に会う、というのは偉大だなと思う。元気になる。
今の私の心の支えは和歌山キャンプのときの写真である。


2018/05/6(日) 和歌山行ってきた2。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
また一晩寝て、改めて考えるに、やっぱり友達に会うことができて良かったと思う。
半年ぶりや一年ぶりに会う人もいて、その人達と生きて会うことができた。それだけでとても充実した時間だった。
大学を卒業して友達と会うことが少なくなった今、生きて会うことができるということが非常に重要である。
生きる、生きている、というだけで僕の中では+100点みたいな感じである。
それだけに、昨日は別れたときの喪失感に苛まされたのだと思う。
次は7月みたいだけれども、転職に成功してしまうと職場によって参加できない可能性がある。ちなみに今、応募しているところは転勤や出張がある。
極力、予定は合わせたい。


2018/05/5(土) 和歌山行ってきた。



 


○。

△。
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家には帰って暫く旅行のことを思い出していると、現実的なことと非現実的なことの境目が曖昧になってきて暫くボンヤリしていた。
数時間前は車に乗っていて、あんな話をして、もう少し前はあんな場所に行って、あんな物を食べて……と反芻しているうちにいつの間にか寝てしまっていた。
夜になって目が覚めると非現実的な部分はすっかり姿を隠してしまっていて僕の周りは現実で塗りつぶされていた。残り香もなかった。
それに、もう既に記憶が無くなってきていることに気がついた。きっと、あと数日もすれば殆んど忘れてしまうのだと思う。
いちおうスマホのメモ帳アプリに心情というか思ったこと考えたことを書いたりしていたけれども、あまりにも主観的なので書かない。


2018/04/28(土) 不穏。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
現状。
7時間程度の戦いの末、履歴書職務経歴書送付状入の封筒をポストに押し込めてきた。
あと、本当に辞めれるのか不透明。
履歴書云々にアホみたいな時間を費やしてしまった理由は1つしか無い。手書き。ハンドメイド。古臭い悪しき風習。
やたら時間は掛かるくせに一文字でも間違えたら最初からとかいう日本の頭悪いところが濃縮されたような様式。
辞めれるのかについて。
上司となんかチョット話をつけたはずが、なんかこう、知れ渡っていないというか、知らないんじゃないかというか。そんなんだと引き継ぎとか出来ないんですけどみたいな。
派遣会社の人も微妙に困っていて、昨日「ゴールデンウィークまでには話を付けたいですねー」みたいなことを電話で話したはずが、特になにもないままゴールデンウィークを迎えてしまった。んんn。
気がついたら朝チュンなゴールデンウィーク初日。


2018/04/25(水) アロハ。ハロワに行く。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
実を言えば、今こんな文章を書いている暇は無いのである。さっさと履歴書と職務経歴書を仕上げるべきだ。
今日は有給を取ってハローワークに行った。なんか初期登録をして仕事を見つけて(既に一社目星は付いていた)紹介状を貰った。
僕はここで失態を一つ犯した。
紹介状を貰ったらできるだけ速やかに履歴書、職務経歴を作成し、発送しなければいけないということだ。
一応下書きみたいなものを書いて、一度ハローワークに持っていった。添削をしてもらうためだ。
ものすごく失礼なことをいうと、ハローワークの職員には当たりハズレがあるということが分かった。
そして添削や助言を参考に書類の再構築を必死にしている。
必死なはずなのに全然関係のない日記を書いている。あれれ。
あと、証明写真を撮りに行くために数年ぶりにスーツを着ようとしたらシャツの襟の部分に黄ばんでて悲しくなった。クリーニングで落ちるものなのだろうか。
あと、明日、職場に行くのが恐い。
派遣先の上司は承諾してくれた。いつもはぶっきら棒で常にイライラしているくせに、淡々かつ冷静だった。
しかしその他の人たちは僕の退職を知らない。そんな状態で一日の休みを取ったのである。
僕はどうなるのだろうか?


2018/04/23(月) 



 


○。

△。
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非常に具合が悪くなって、この状態から脱出するにはどうしたらいいのか調べたら音楽を聴けばいいとあったので「ceramic heart」という曲を聴いた。
明るくもないが暗くもない。でもどこか寂しげで優しい。そんな曲。そうしていたら「そうだ!●●●の方法を調べよう!」 と思ってグーグルで検索を掛けたら一番上に心の相談ダイヤルというものが出てきて、あぁこういうのって本当にあるんだなあと思った。
これはあくまでも練習である。いつでも●●●と思えば色々なことが楽になる。高校3年生のころは部屋の窓に格子状に付いていた金具

調べていたらいつの間にかホラー画像を見ていた。モノクロで古い日本の街頭を移している写真が特に怖かった。 そこには和服を着た人が数人、こちら向きで地べたに正座しているがその頭部は大きな手になっていて手招きをしていた。
ホラー画像がもたらす恐怖は●の恐怖と似ている。どちらも生存欲求を掻き立ててくれる。●●●●になったら優しい音楽を聴くかホラー画像を見るのがいい。
夜はあまり寝付けなくて、朝はいつもよりも早く起きた。そのくせ、布団の中でもじもじとしていた。何か夢を見ていたような気がするが忘れてしまった。
派遣会社に契約の更新をしないということを伝えるのは思ったよりもあっさりと終わった。「(僕の名前)さんの人生ですから」電話口で担当の人はそう言った。
問題はこれからである。明日、派遣先の上司が僕に何を言うか、である。
僕は無事に辞めることができるのだろうか?


2018/04/22(日) 



 


○。

△。
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派遣の仕事を辞めよう。そして転職活動をしよう。
僕の中で自分の人生は30歳までだと思っていて、本当にそう思うなら、この行動はそれに反している。
今の環境に沈んでいればそれほど苦もなく生きていけるからだ。
なるべく苦しまずに生き、なるべく苦しまずに死ぬ。それが出来るのは大体30歳まで。なんとなくそんなことを考えていた。
30歳を超えると、きっと、生きているだけでしんどいのだろうと思っていた。今もかなりしんどいけど。とにかく、それまでに死んでしまえれば僕はなるべく苦しまずにすむ。
しかし、僕は死ぬのも怖かった。
情けない話で多分僕は何度も何度もここに同じようなことを書いているのだけれど、死のうと思って死ぬことを考えていると、死ぬことが怖くなってくる。
じゃあ生きようかと思うと生きるという行為自体が非常に難しく辛いものだと思えてくる。そしてさっさと死のうと思う。
今、日記を見返したら2つ下に書いてた。2つの現実というやつだ。パスカルが言ってた。ちょっと違うかもしれないけど。結構違うかも。今僕は社会的な側面において葛藤している。
派遣社員というのは僕の微妙な生き方にはうってつけのものだった。社会的かもしれないが社会的でない。そんな立ち位置。お給金は貰っているが仕事は誰でも出来るようなこと。
転職を考えたのは、もう少しだけ生きる努力をしてみようと思ったからだ。
どうせ早かれ遅かれ死ぬのに、苦しく辛い思いをするのは分かっているのに生きる努力をしてみようなんて変な話だ。
つまるところ僕が生きる理由は死ぬのが恐いという一点にある。なぜ死ぬのが恐いかと言えば、僕の脳みそが僕に、そう指示を出しているからだ。殆んど呪いに近い。
きっと、僕は本当に死んでしまえるまで、同じような葛藤を繰り返すのだと思う。
明日、派遣会社から契約更新をするかどうか聞かれるだろう。もし辞めることができれば一ヶ月後には無職になる。


2018/03/11(日) 



 


○。

△。
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5月とか7月とかに旅行の企画があるのだけれども、それまで自分は生き残っているのかなあという感じである。いや、そういう意味ではなくて。
原付きで通勤していると、ちょくちょく事故起こしそうになるし。夢の中ではよく事故ってるし。南海トラフ地震とかもあるし。
そんなことを考えただけで、いつ死んでしまうのか分からないもんなんだよなーという感じなのである。
予定というものは、その参加者が生きているということを前提にしているものである、なんて書いてみると何をバカなことをと思われるのかもしれないけれど、
僕には何か大切な焦燥感のようなものを覚えてしまう。


2018/03/4(日) 



 


○。

△。
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とりあえず、今日もなんか書こうと思う。
今日は昼くらいまではいつも通り調子が悪くて布団に包まっていたらいつのまにか寝てしまっていて、15時くらいになっていた。
貴重な休みを睡眠に使ってしまうのは辛かった。
あと新しい画像無し画像を作った。製作時間15分。
本を読みたいとは思うものの、なかなか読めない。家にいるとゲーム機があるし、外に出ていてもスマホがある。
どちらも手軽で頭を使わず効率的に現実逃避ができる。
現実というものは2つある。1つは自分がいずれ死ぬという現実。2つ目は社会的な現実である。
僕はこの2つを自分の都合の良いように行き来している。
要するに、仕事が辛くなったり転職を考えたりすると、自分はいずれ死ぬということを考える。逆に、自分がいずれ死ぬという不条理に耐えられなくなったら仕事のことを考える。
そのどちらも嫌になったらゲームでもしていたらいいのである。


2018/02/25(日) 



 


○。

△。
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いつものように調子が悪いのでなんか書こうと思ったらツイッターのほうに色々書いちゃった。てへへ。
仕事場での現状。お局的な人は無事(?)退職した。最後まで苦手な人だった。言ってしまうと嫌われていたのかもしれない。 数か月前までは優しい人だったのに、いつの間にか態度が変わってしまった。
仕事を教えるために敢えて厳しい態度を取った、という考え方もできる。では何故仕事以外の場面でも冷たく当たるようになったのだろう。
僕のあまりにも下手なコミュニケーションが原因なのかもしれないが、今となってはもう遅い。結果的には僕のストレスの元が1つ無くなったということだ。
僕は他人に興味がないクセに他人に嫌われることを酷く恐れる。
我ながら変なことを言っていると思う。だから厳密には他人に興味がないということではないのである。
そもそも他人という存在を興味という尺度だけで判定しているわけでもないし、するべきでは無いと思う。
なんというか、僕には興味という概念すらかなり怪しい。もしかしたら興味の有無なんて元から存在していないのかもしれない。
だから、興味が有る、無いなんてどうだっていいのかもしれない。それよりもまた別の場所に他人を捉えているのだと思う。
考えるタネになるのは、僕が他人に嫌われることを過度に恐れるところにありそうだけれど、まだうまく言葉にできない。


2018/02/18(日) 



 


○。

△。
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明日からまた仕事で憂鬱なのでなんか書こう。
先週の今頃は岐阜のホテルでお酒を飲みながらトランプ遊びをしていたような気がする。
一週間前なので、もう殆んど忘れてしまった。
白川郷は雪が本当に凄かった。バスから降りると大量の雪がバラバラと降っていて、傘を持っていなかった僕の全身はすぐに雪まみれになるものだった。
自分の故郷というものにも興味は無いけれども大阪に生まれてよかったと思う。
白川郷にはガッショースタイルとかいう江戸時代くらいからある家屋が現存していて、その1つの和田家に入った。
和田家は大阪城みたいなものだった。見た目は歴史的な建造物で中身は博物館。でも民家としても使われているようなのは不思議だった。
1階の仏壇の隣には人が正座をして何かを拝んでいるような木彫りの板があった。手らしき部分には数珠が引っ掛けられていて板自体には「すまん すまん」と黒く文字が書かれていた。
僕にはそれが異様なモノに見えた。何故そんなものを作ったのか。なぜそれが置かれてるのか。
例えば、なにかを謝りたかった人が自分がこの世に居なくなったあとも謝り続けることができるように……だとか陳腐な想像が出来上がってしまうのだけれど結局のところよく分からない。
白川郷については、その他のことをあまり覚えていない。和田家を出たあと、とくに見るものもなく帰ったような気がする。

仕事は、よく分からない状態である。色々と体制が変わって不安な点が幾つかあるし人間関係も面倒なままである。ただ、僕の苦手なお局的存在の人が退職するらしく、それは少し嬉しい。
しかし今の仕事を続けるのかという問題は残る。というか僕のような人間でもストレス無くできるような仕事なんてあるのかという話である。
単純作業じゃなくて……他人とコミュニケーションを取ることが殆んどなくて……週二日休みが取れて……労働時間もそんなに長くないような……そんな仕事……。
難しい。


2018/02/12(月) 



 


○。

△。
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無防備な
猫のおケツが
いやらしい


明日から仕事が始まるということを考えると、かなり嫌な気持ちになってきたのでなんか書いて気を紛らわせようと思う。
先日岐阜に行ったことでも書こうと思う。
僕は岐阜に行った。友人数人と行った。
下呂温泉と白川郷に行った。
下呂に行くまでの電車の窓から見えた川の色が綺麗だったことを覚えている。エメラルドブルーなのに透き通っていて川底の岩盤が見えたくらいだった。
どうしてあのような色をしているのか、よくわからない。
下呂はよくある観光地のような場所だった。温泉にも入ってみたけれども、集中管理システムといって下呂にある数々の源泉を1つの場所に集め、 それを周辺施設に分配しているようなので、下呂のどこの温泉に入っても同じ成分のものに浸かることになるらしかった。少し物足りなかった。
夜は飛騨牛を食べた。美味しかった。
次の日、白川郷に行った。不思議なことに寒さはあまり感じなかったけれども雪がかなり降っていた。
我ながら、どうにも情景描写というか思い出を語るというか、そういった文章を書くのは苦手である。
何故、僕は今回の旅行に行こうと思ったのだろう。
きっと逃げたかったのだと思う。どこか遠い場所に行ってみれば自分の現状に慰めができるような、そんな気がしたのだと思う。
しらんけど。












2018/02/04(日) 



 


○。

△。
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前回の日記を書いたら、なにかもう出し切ったような感じがして、本当になにも書くことがないような気持ちになったので暫くほっといた。
そうしたら次第にこの場所のことも忘れるようになった。
いつの間にか2ヶ月ほど経ってしまった。年も変わった
その間も考えたこと感じたことが沢山あったはずなのに、今は殆んど覚えていない。記憶というものはそういうものである。
性懲りもなく、ここに文章を書いているのは月曜日からまた働くことが嫌だからである。
最近は仕事が忙しい。派遣だけど。派遣のはずなのに割と重要な仕事を任される羽目になっている。
不労所得で生活したいと思う。
色々な人からは、派遣社員であることを辞め、就職活動をして正社員になることを言われる。気持ちも分かるし道理もあることも理解できる。
僕は怠慢なのである。
「安定」という言葉。きっとそれは良いものなのだろう。でも僕にはそれだけが理解できないのである。
どうせ死ぬのに。
怠慢である。












2017/11/05(日) 



 


○。

△。
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11月に入ってからの出費は6040円である。
飽き性の僕は例によってお小遣い帳も殆んど書かなくなったが意識的な効果はあったらしく月に一万円程度の貯金に成功している。これが高いのかどうかは考えない。
相変わらず「死にたくないなあ」と思う。あんまり生きていたくもないが。
「生きていたくない」という感情が人並み以上にはあるだろうけども、それ以上に「死にたくない」という感情が強い。
「死にたくない」という感情は本能的な恐怖からくるものであって、僕の意志であるかと言われれば首を傾げるだろう。
一方、「生きていたくない」という感情は僕の意志である。言語的だから。
「死にたくない」は何とも言えない根源的な恐怖を感じさせられるが「生きていたくない」は明らかに脳みそで考えられた言葉だ。
僕が自殺をするのなら、この「死にたくない」という恐怖をなんとかする必要があるが、それはとても難しい。
もし、なんとかできていたのであれば9年か10年くらい前の一番メンタルがアレで自殺の真似事を繰り返していたときに死んでしまえたはずだ。手を離してしまえばそれでよかったはずだ。
それをすることができなかった理由が哲学でも薬でも誰かの優しい言葉でもなく、恐怖だったのである。












2017/10/16(月) 



 


○。

△。
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ぷっぷくぷー。
そろそろ、いい加減にページの整理をしたい。
一番下の日記が2014年とかあってかなりやばい感じだ。
文字数にすると約29万。だけどもhtmlコード込みの計算なので実際はもうちょっと少ないだろう。ちなみにこれは文庫本一冊分くらいに相当するらしい。
でもやる気が起きない。
作業自体は簡単だし間違えても怒られないのだけれど、肝心の作業内容を殆んど覚えていない。
なにしろ3年以上もやっていない作業なのだから仕方がない。
だからまずは作業工程を思い出すところから始める必要があるのだけれど、これが面倒なのである。
思い出すという行動には脳みそに負担が掛かるような気がする。
ここ数年、脳みそを使うようなことを殆どやっていないことに気づく。
ああ、劣化。
劣化と書いたが、僕に良かった時期があったのだろうかとも思う。
例えば大学生のときと比べて今の自分は悪くなったのか?と考えると、うーーん、元からそんなに良い人間じゃあなかったかな??みたいな。
色々落ち着いたように見えて、マイナス100がマイナス80くらいになったくらいかな??みたいな。てきな感じてきな。
これ以上はやめよう。











2017/10/12(木) 



 


○。

△。
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今日もアレがアレアレしていたという感じだった。
流石に昨日みたいな文章を連日書くようなことは避けたいので、テキトウにボカしてしまおうという作戦である。
あと、結局契約の更新をしてしまった。たしか2月末まで。
転職活動という言葉が頭の中をよぎったりするのだけれど、どうにも身体が動かない。あと正社員というものに憧れがない。
確かに給料は上がるだろうが時給換算したら今の職場より落ちそうで恐い。
なにより束縛されそうで嫌だ。
どうせ長生きするつもりは無いし。みたいな。死にたいときに死にたいし。みたいな。











2017/10/11(水) 



 


○。

△。
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今日は、少し、その、あまり良くないことがあった。
僕はいつも通り仕事をしていて、そのとき、間違いがあったことを他の人に注意された。
それはチョットしたことだった。書類の入れ忘れ。デジタルではなくアナログな間違いだから幾らでも修正は効く。
でも僕はドキリとした。焦った。戸惑いがあって、一刻も早く間違いを直さなければいけないと思った。
僕は発達障害だった。
そのとき僕が行ったことは不信感と恐ろしさを与えたらしい。
なんとか取り繕うとしたが、ただただ時間が流れただけだった。口にするべき言葉が分からなかった。
僕は自分が発達障害者で、だから他の人とはズレていることを知っているつもりである。だから、できるだけ普通を装おうとする。
なぜなら社会や会社というものは、普通の人が生きていきやすいようにつくられているからである。
なにも100%普通である必要はない。そもそも不可能である。多少ズレてはいても無害であるということを認知させなければいけない。そうすることによって許してもらえる。
人は自分より劣っていると感じた者に優しさと優越感を覚えるのである。
なんか自分の考え方がかなり歪んでいるような気がする。あくまでも一例であり全ての人間関係をそう捉えているわけではない、ということを書いておきたい。
とにかく、そんな感じでなんとか社会の中でコソコソ生きていこうと思っているのだけれど、何かトラブルがあったとき、ふいに地の部分が出てしまうときがある。
社会人の端っこで生きているときの自分という存在は幾ら傷つけられても構わない。だけども地の部分、発達障害者である自分が傷ついたとき、その傷は深く残るのである。












2017/9/14(木) 



 


○。

△。
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今日の出費…4300円(2200円…ジュース箱買い、1200…ゲーセン、600…課金、300…ガソリン)

今月支出…だいたい2万4千円

「風が吹くとき」というアニメ映画を観た。
冷戦時代のイギリスに核兵器が落ちてきて、 主人公である老夫婦は郊外に住んでいたせいか生き延びるんだけれど放射線の影響でどんどん衰弱していく映画だった。
「新聞が来ないなあ」
「そのうち政府が助けてくれる」
「明日は薬屋に行かないと」 「放射能っていっても何も見えないじゃない」
「緊急事態時のパンフレットによれば」
(足に斑点が出ているのを見て)「この年になったらみんなそうなるものさ。共通の問題だよ」
(妻の頭髪がゴッソリと抜け落ちたのを見て)「女の人は禿げないのは科学が証明している」
老夫婦はみるみるうちに頬が痩け、目は窪み、息も絶え絶えになっていくのに、会話は終始こんな調子である。
夫婦愛、気づかい、核兵器等々、色々連想することはあったけれども、一番の印象は恐怖だった。
インターネットで色々眺めていると国民保護のサイレン音というものがあった。あまり耳障りの良いものではなかった。











2017/9/13(水) 



 


○。

△。
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今月支出…だいたい2万円

一週間に一度は何か書こうと思った次第である。
現状を書こうと思っても、あまり代わり映えしない毎日がアレなのである。
日本語が怪しい。
僕の行動原理は「やりたくないことは極力しない。やりたいことはやる」である。
死にたくないが生きていたくもない感じである。
ただし10月の23日くらいに前から読みたかった「漫画版メダロット・コイシマル編(新装版)」が発売されるので暫くはそのためだけに生き延びる予定ではある。

知恵を持ち、考えるという行動ができる人間というものは生物としては不自然かつ余分なものなんだろうな、と最近は思う。
もともとは本能ありきで生物というものが在るというのに、そこに知恵という要素を発現させてしまい、本能自体に疑問を持とうとする。
しかし知恵は本能の上に成り立っているのでしかないのだから、本能それ自体を覆すことはできないのである。もしかしたら本能がそれを抑制しているのかもしれない。
だから実感することができない。だから苦しい。











2017/9/5(火) 



 


○。

△。
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8月の支出合計…だいたい6万円

今月支出…だいたい1万円

毎日のようにミスを繰り返しメンタルがアレなアレアレだったのである。
昨日と今日もなんとかテキトウなことを言って休もうかと思ったけれども、僕が休めばさらにろくでもないことになるのは分かりきっているのである。
話しは変わるが、この前FMの演奏会に行った。
FMはファンファーリアムジカの略で編成が金管ブラスバンド+サックス群みたいなやつである。つまるところイケイケでエモい。
聴いていて、ふぉわー。とかムォー。とか、そんなことを感じた。
奏者の中に友人や先輩後輩が居たのに誰とも会わず退散しちゃったのは、今になってみると少し申し訳ないと思う。
でも、まあ、ああいうロビーで久しぶりー元気だった的会話をするはとても苦手なのである。











2017/8/28(月) 



 


○。

△。
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26・27・28日の出費。なんやかんやで5000円 今月支出50214円

メンタルがアレなアレアレですのであまりは書けませんが「ハーパー君も立派になっちゃって、おいちゃんは嬉しいよ」という言葉を残したいと思います。 ……あれ?同い年だったっけ……?











2017/8/25(金) 



 


○。

△。
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8/25 1100円(900…ゲーセン。) 今月支出45214円

今日は仕事でも駄目でゲーセンでも駄目だった。いいとこ無しというやつである。
仕事のほうでは致命的なミス一歩手前しかもこの前のミスと全く同じパターンをやらかしてしまった。
僕と相方の人両方のミスなので当然どちらも怒られたけれども、相方は「私は悪くない」みたいな。そんなアレ。つら。
ゲームのほうは8戦ちゅう3勝5敗。週末になってBマップで遊んじゃったからね。仕方がないね。900円も使っちゃったよ。つら。
書くことがない。
流石に、こう毎日々々日記を書いていると本当に書くことが無くなる。カルピスは多少薄くても美味しいが文章はそういうわけではない。僕の日々は薄いカルピスよりも落ちるのか。つら。
一応、お勤め先の愚痴は幾らでも書けそうだが独身でイケメンでもない男の愚痴を読んで楽しいと思える人は少ないだろう。
僕が今聴いている音楽の挙げよう。レイクライシスの「女の子にはセンチメンタルなんて感情はない」っていうやつ。タイトルがアレだな。
レイクライシスはゲームだよ。だからゲームのBGMになる。ジャンルはミニマルテクノ。吹奏楽でいうところの「Equus」である。エリック・ウィテカー先生の。











2017/8/24(木) 



 


○。

△。
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8/24 1100円(600…ゲーセン。500…課金) 今月支出45214円

お、俺は……ゲームセンターに行った挙句、課金もしてしまって、一体なにをしているのだ……。

今日は3勝1敗だった。やはり一度マップの性質と勝ち筋を把握し、それに合わせたロボットを組み上げることで勝率は上がる。
ボーダーブレイク(僕がゲーセンでやっているゲームの名前)は知識ゲー、とはよくいったものである。
小手先の技術ではなく、ゆっくりと戦略を練ったほうが良いのだ。なにより戦略を練っている間はゲームをプレイしていないのでお金が浮く。
先程から戦略戦略と言っているが、僕はテキトーに索敵をしつつ、敵が通りそうな場所に罠を撒いていただけである。

あんまりゲームの話しばかりしても面白くないだろうから止めよう。
風のウワサによるとOー157に罹った人が出たとかなんとかと聞いたのだけれど、 数年前、某飲食店で働いていたとき検便でサルモネラ菌の反応が出たのに会社の対応が僕を休ませるのではなく別店舗に飛ばしてゴム手袋を付けて普通に厨房で調理をさせるとかなんとかそういう話は……やっぱりやめとこう。











2017/8/23(水) 



 


○。

△。
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8/23 888円(168…ジュース代。720…課金) 今月支出44114円

いっそのこと猫になってしまいたいのだけれどヒトは猫になれるはずもないので、せめて気持ちだけでも猫になろうと思う。ぱおーん。
数ヶ月くらい前から家の冷蔵庫に「豚の肝臓そぼろ」という瓶詰めがある。
いつまでたっても開封されないので賞味期限が切れる前に食べてしまおうと思い少し口にしてみたが、あまり美味しくない。
肝臓と聞いただけでなんとなくゲテモノ的なものを想像してしまう現代人の僕ではあるけれども、開けてしまったものは仕方がない。食べきるしかない。
ラベルを見ると「ビタミンAと鉄分がたっぷり!」とか印字されている。なんで肝臓にはビタミンAと鉄分が多いんだろう。
そもそもビタミンAや鉄分といったものは一体なんだろう。
ウィキペディアによると「人間に良い効果をもたらす有機化合物」らしい。
有機化合物は「だいたい化合物」らしい。
化合物は……中学生くらいのときに習ったO2とかH2Oとかそういうのっぽい。
成る程……成る程……。












2017/8/22(火) 



 


○。

△。
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8/22 940円(600…ゲーセン 340…ガソリン) 今月支出44114円

とても眠いという感じがする。
ニヒリズムがもたらす不幸は後付のものだと思う。なぜなら人間はニヒリズムを頭でしか理解できないからである。
ニヒリズムという概念を実感できるようには人間は出来ていないのだと思う。よって哲学的自殺なんてものはできない。
全ての自殺は病的な自殺である。精神病の結果の1つでしかない。そこには高貴な精神や達観などというものはない。精神に変調をきたした人間が居るだけだ。
そこに加わろうとしているのが僕である。
それはともかく。今日もゲームセンターに行った。2勝3敗だった。ロボットのアセンブリをいつも使っている軽量支援タイプに組んでいたけれども、あまり上手くはいかなかった。
敗因は2つ。今週のマップが新マップであること。だからそもそものアセンブリがマップに合っていない可能性があること。
また暇なときにでも対策を考える必要がある。












2017/8/21(月) 



 


○。

△。
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今月支出43174円
支出のメモがどんどんざっくりしてきているのは気の所為である。ちなみに主な内容はゲーセン。あとはこの前の旅行とか。
ゲーセンに入り浸っているお陰で、初級者ランクから中級者ランクに昇格できたよ。やったね。
それにつぎ込む分のお金をもっと旅行とかに使えばいいのにとは思う。
書くことがない。
最近はここにさえも書かないが、考えていることは数年前とあんまり変わらない。
自殺の本質について、、とか。興味という心の動きについて、、とか。
そんなもんである。












2017/8/6(日) 



 


○。

△。
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3(木)支出1628円(900…ゲーセン、176…ジュース、498…歯磨き粉)
4(金)支出600円 (ゲーセン)
5(土)支出6864円(600…ゲーセン、6264…原付きのタイヤ交換)
6(日)支出1114円(500…ゲーセン、116…おにぎり焼きたらこ、174…ジュース、324…手芸の材料)
今月支出10374円

先月の第4週目くらいから仕事が忙しくなって10日ほどゲームセンターに行けなかったのでゲーセンのことなんて忘れてしまおうと思っていたが特にそんなことはなかった。
明日は台風が来るらしい。天気予報によれば僕が帰る時間帯には嵐だそうだ。
しかしそれでも原付きで乗り切ろうとする僕は恐らく頭が悪いのだろう。
例えば事故になったとして、死ぬのは全く構わないのだけれど中途半端に生き残るのはやだなぁと思う。保険だとか病院だとか修理だとかが面倒だから。











2017/8/2(水) 



 


○。

△。
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2(水)支出0円()
今月支出168円

今日は不条理な目に会った。
端的に言えばミスは大体僕の所為になった。
僕の所感ではフィフティフィフティかなとか思っていたが9割くらい僕の所為な言い分だった。
取り敢えず厳重注意というところでクビは免れたけれども対策だの何だのでこれからはやり難くなるだろう。
色々と書き殴りたいところだが、あんまり書きすぎるとアレだと思うので一言だけにすると、

なんで怒られている僕の隣で知らん顔して下を向きながら指をポキポキさせているの????

である。これが、コネか。
感情的になりすぎた。
どちらにせよ僕に発言権は無い。僕はそういう立場である。出来ることはみっともなくココに書き綴ることだけなのである。











2017/8/1(火) 



 


○。

△。
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1(火)支出168円(ジュース代)
今月支出168円

久しぶりに更新しようとしたら最後の更新が1ヶ月以上前で「ああ、あの頃は良かったな……」とか思っちゃって泣きそう。
現状を書こうと思う。
6月の支出は6万円+奨学金返済+家に収めるやつで赤字であった。
7月は趣味の支出が推定5万円だったが僕が住所変更をほっぽっていた所為か減額返済の設定にしていた奨学金がいつの間にか通常返済に戻されていて、とどのつまり似たようなもんである。
あと結局、派遣の契約を更新した。理由は僕が保守的で怠慢だからである。
勤め先については色々やらかしたので苦境に立たされている。
僕がここに文章を書くということはつまりはそういうことなのである。











2017/6/26(月) 



 


○。

△。
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21(水)支出4000円(1420…交通費。2580…原付き修理代)
22(木)支出なし
23(金)支出1420円(600…ゲーセン代、200…ジュースとお菓子。320…ガソリン代。300…サンダル代)
24(土)支出5300円(限定ガンプラ代)
25・26(日・月)支出26000円(推定)(鳥取旅行)
今月支出54038円

節約とはなんだったのか。
僕のモットーの1つは「お金は使うべきときに使う」である。
鳥取旅行はマァ、ウン、必要経費である。特別出費みたいな。そんなやつ。はい。
しかし幾ら限定品とはいえ5000円以上もするガンプラを購入したのは如何なものだろうか。
だが、お金は手元に無い。払ってしまった。僕の千円札数枚はATMに吸い込まれてしまって帰ってこないのだ。ATMは何も言わない。ATMは何も考えない。 ただ与えられた仕事を淡々とこなし、その結果があるだけなのだ。それは過去だ。現在は5300円を無くしてしまった僕が居て、 未来(この場合は僕の経験則を以って恐らくありえるだろうと予測されるもの)に大証としての限定ガンプラが"ありうる"のである。
ところで。この5300円分の為に暫くの間はゲーセンに行くのを止めようと思う。やはり。











2017/6/20(火) 



 


○。

△。
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19(月)支出603円(300…ゲーセン代。303…ジュース代、調味料代)
20(火)支出1401円(900…ゲーセン代。108…靴底に敷くムレ防止のやつ。抗菌。175…ジュース代。216…ATM手数料)
今月支出17318円

仕事が暇すぎる。今日は2時間くらいパソコンの前でボーっとしていた。昨日は3時間だ。
途中までは考え事をしつつたまにメモを付けてたりしていたが、周りは普通に仕事しているので辛くなってやめた。僕と一緒に仕事をしているパートのおばちゃんはスマホを弄っている。
先週まではまだギリギリなんとか仕事があったが(それでも毎日1時間くらいはボーっとタイムだ)今週は2日続けてこんな調子だ。
もういい加減に辞めようと思う。派遣だし。将来性皆無だし。そしてもう一度だけ転職活動を頑張ってみようと思う。
でも今の契約は8月末までなんだよな。もしそれまでに環境が改善されでもしたらまた居着いちゃうかもしれないな。
あと、原付きのヘッドライトが切れた。明日は電車通勤勿論交通費自己負担。あと帰宅したら大雨の中、原付きを修理に持っていかないと行けない。
出費がかさむ。










2017/6/18(日) 



 


○。

△。
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14(水)支出768円(600…ゲーセン代。168…ジュース代)
15(木)無し
16(金)支出1180円(600…ゲーセン代。260…ジュース代、お菓子代。300…ガソリン代)
17(土)支出500円(通信量追加500)
18(日)支出3430円(ネットカフェ1300。書籍1030。有料アプリ600。通信量追加500)
今月支出15314円

日記を書かない間も、一応メモったりはしている。コレ以外にも家への振込み、奨学金返済などがあるけれども、それらは書かない。
一番無駄だと思うのは通信量の追加である。あきらかに割りに合わないし、スマホを触るのをガマンすればもっと良い時間の使い方が出来ると思う。
スマホでよく見ているのはツイッターだ。最近の僕は他人と話すことが殆んどできなくなり、関わろうとする気持ちも無くなってしまった。
それなのにツイッターを眺めるということは、どこかで他人を求めているということになる。 だけどもツイッターで見る他人というものはどうしても自分にとって都合の良い像でしかないのであり、それは正しい他人の姿ではないのだと思う。











2017/6/13(火) 



 


○。

△。
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本日支出100円(ジュース代)
今月支出9436円

ボーナス?そんなもの無いよ!
見よ僕の涙ぐむような生活を。今日は100円しか使っていない。昨日はガソリン代だけだ。
ちなみにこのジュースは明日の休憩のときに飲むのだ。
本当は水筒にお茶でも入れて持っていったほうがいいのかもしれないけれども、そこまではしない。だって面倒だもの。
それから実家暮らしなので食事にお金は掛からない。朝はテキトウに見繕って食べるし(今朝は魚肉ソーセージ1本とプリン1つ)お昼はお弁当だ。晩も何かしらはある。
それに。外食に行くこともあるっちゃああるのだけれども、前職の影響でどうにも気が進まないというのもあるのだ。











2017/6/12(月) お小遣い帳はじめました。



 


○。

△。
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本日支出336円(ガソリン代)
今月支出9336円

ここで僕が幾ら「どうせ死ぬ」とか「どうせ何も意味は無い」とかナントカ言っても、現実的な問題というものがある。
お金である。
なんでこんなことを言うのかといえば、今日、銀行の残高を見てみたら、あれ〜おかしいな〜先月の今頃より少なかったのである。しかも数万円くらい。
たしかに先日は慈悲無き市民税というものを払ってきた。一括で。でもそれを加味したとしてもトントンくらいなのである。
不味い。とても不味い。
僕のイメージとしては毎月1万円か2万円くらい貯金できたらいいな〜収入むっちゃ少ないけどなんとかなるよね〜なんて思ってたらこの有様なのだ。
嗚呼、そういえば先月は京都に行ったなあ、とか。服買ったなあ、とか。ゲーセンに入り浸ったなあ、とか。スマホアプリに課金しまくったなあ、とか。色々な思い出が走馬灯のように蘇るではないか。
とにかくこのままではお金が無くなって心身ともにアレになるのは目に見えているので上記のようにお小遣い帳を付けることにした。
これで僕は無題使いを抑制できるのかもしれないし、ここを見ているヒトは派遣社員の自由でラクそうに見えて極めて貧相な生活っぷりを見て何かしらのモノを得られるのかもしれない。
とりあえず、頑張ろう。











2017/6/5(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
我が友人よ。人生に対して前向きで、まだまだ逆転してやろうという姿勢を持っているのは本当に尊敬できると思う。
だが待ってほしい。
なんで小説なんだ。
なんで作戦が小説書いて賞に応募して一発あててやろうなんだ。
なんで僕まで書く羽目になっているのだ。
打倒、村○春樹。











2017/6/4(土) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
どうせアレだから自分のやりたいことだけをやって、やりたくないことにはできるだけ近づかないようにしようと考えているけども、そんな生活を続けていてもアレなのはアレなのである。
僕のやりたくないことは主に2つである。
・働くこと。
・人と接すること
生きていくためには上に挙げた2つの要素がどうしても絡んでしまう。生きるためにはお金が要る、そのためには働かなくてはいけない。働くということはそこに他人の存在が必要になる。 客、仕事仲間、上司。
それを分かっているのだから僕は憂鬱になりながらも日々を耐え忍んでいる。
僕は派遣社員として働いている。朝の10時に出勤をして、夕方17時を定時に帰っている。残業がある場合もあるけども殆んどが1時間以内。そして仕事の量が少なく、大半をボーッとして過ごしている。それで週5。
収入が少ないことと将来性が皆無なこと(おまけに半年くらい前から仕事が無くなる危機に晒され続けている)を考えなければ、とても恵まれていると思う。
しかし今の僕にとって、これが限界なのだと思う。日曜日の夕方になると、いつも気分が落ち込む。今日に至っては朝6時半に起きた時点で既に駄目になっていた。
今日は起床したあとはズルズルとスマホでゲームをしたりSNSを眺めていたりした。それだけでもう夕方になってしまった。
やりたいことが無い。これが問題である。せっかく、仕事に従事しているわけでもなく予定も無い暇な週末なのに、やりたいことがなに1つ浮かばない。ゲームやSNSなんてものは現実逃避だ。
このまま僕はアレなのか。アレしちゃうのだろうか。
文章を綴っていると気分が晴れてきたので今から外に出ようと思う。
只今の時刻、15時49分。











2017/5/27(土) サマコンを聴きに行く。



 


○。

△。
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サマコンを聴きに行った。府大の。
身内ということを抜きにして、ただただ純粋に演奏が良かった。キメるところをガッチリキメれていて、それが良かった。 いやもう本当に良かった。具体的に挙げると「オリエントの光芒」。なにあれ。ビシィ!バシィ!の時点でテンション鰻登りなのにさらにハイハット?がテンポを刻みだして天元突破しちゃってなんかもうヤバい。ヤバヤバ。泣いた。
あとメイン曲の「シンフォニック・ダンス」。解説で、世界の踊りをテーマにしている、とか言っててインターナショナルなんとかを思い出し変な汗をかいたけども ユーフォちゃんがアレな目にあっているというわけではなかったようである。代わりに(?)ソプラノサックスのソロとクラリネットのソロの掛け合いが人を殺しそうな剣幕でウヒーだった。誰か録音くれないかな。コネが無いな。辛い。
次の定期演奏会がとっても楽しみです。











2017/4/26(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
昨日、事故った。
夜、大きめの道路を原付きで走行中、前を走っていた軽トラが急停止。僕は避けることも止まりきることもできず斜めに追突(ハンドルを微妙に右に切った)。原付き倒れる。僕、吹っ飛ぶ。頭ガーン。何故かデジャヴュ。
今思うと不幸中の幸いだった。なぜならその道路はトラックやタンクローリーのような大型の車も通る場所だったから。 それでいなくても結構な速度を出す車が多い道だったから。もし後続車両がいたらそのまま撥ねられて死んでいたと思う。
頭がフラフラしながらも立ち上がる。混乱しながら辺りを見回すと、なんか爽やかなお兄さんと若いカップルがいた。
爽やかお兄さんが軽トラの運転手らしい。カップルは近くにいただけ。僕を心配する声が聞こえる。

何故事故が発生したのか。爽やか軽トラのお兄さんによると、突然前方に自転車のオッサンが飛び出してきた。そして急ブレーキ。ということらしい。
で、なんやかんやあってお互い自損で示談成立。本来なら追突事故はぶつけた方(つまり僕)の過失、しかも10割になる場合が多いので、これは良かったと思う。ちなみに自転車のオッサンはどっかに行った。
もしあとでなんかあったらアレやから電話番号教えようか?と爽やかお兄さんに言われたけども断って挙動不審な謝罪をしてその場を走り去る。
原付きは前カゴが大破。あとヘッドライトの調子がおかしい。なんか点滅する。なので近くのバイク屋に行く。

バイク屋のお兄さんに事情を説明すると「そんな場合ちゃうやん!警察呼んで病院行かんと!」と言われる。ごもっともである。
追突したのが僕だと言うと「それはラッキーやったな」と言われる。
「でも自分が不利やろうが不利やなかろうが警察呼んでちゃんと見てもらわなあかんで。後遺症とかなったらどうすんの」と言われる。
大破した前カゴは取っ払ってもらった。ヘッドライトも接触不良になっていただけなので直ぐに直った。怪我してて可哀想やから、と値引きしてくれた。
そして僕は身体の節々が痛いのである。結局病院には行ってない。











2017/4/10(月) 



 


○。

△。
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がしゃこーん。がしゃこーん。
完全週休2日制になったおかげでお給料が割りと結構かなり減ったのに、ついつい浪費をしてしまって辛い。
主にゲームセンターが悪い。大体600円〜1200円くらい使ってしまう。それも毎日。
一週間で大体6000円くらい。そうすると一ヶ月で2万4千円くらい。不味い。非常に不味いぞこれは。
お金が掛かりすぎることも不味いのに趣味がゲーセンって……ワープアで恋人居なくて不細工で頭髪が若干後退してて趣味がゲーセンて……。
人間、生まれ持ったもので勝負するしかないだろうけども、せめて趣味くらいはもうちょっとオシャンティーなやつにしたいものである。
そういえば、最近はワークショップで作ってきた人形の服を縫ったりしている。でも趣味というより義務に近い。だってお人形さん、素っ裸なんだもの。服くらいは着せたいんだもの……。











2017/4/9(日) 



 


○。

△。
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たまには何かを書こうと思う。
と、いっても特に書こうと思うようなことが無い。
何かを書こうとすると自分を見つめ直すことになる。そこに居る自分というものを表現しようとしたとき、それは脚色がされていないかが重要になる。
余計な色を添付して自分を表現すると、そういった欲、自己顕示欲とでもいうのかもしれないけれども、それが満たされるのかもしれない。
この場合の色というものは良い色だけではなく悪い色というものもあるのだと思う。良く見せる、或いは悪く見せる。どちらにせよ自分を何かしら特別なものに見せたい。そんな欲。
何故、そんな欲を持ってしまうのだろう?
つまらない人間だと思われたくないから?独りが嫌だから?他人が羨ましい?自分を何かしらのカテゴリに入れたい?意味が欲しい?
要は寂しいってことなんじゃないですかね(投げやり)。
また微妙に暗い文章になってしまった。











2017/3/20(月) 



 


○。

△。
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ホームセンターに行って箱を買った。幅38センチ奥行き26センチ高さ13センチ蓋付きお値段税込み820円。
来週、ワークショップに行くから。京都に行って人形を作ってくるから。その人形を入れるための箱である。
作る人形は大体40センチくらいなので実はチョットだけ大きさが足りないのだけれど。斜めにしたらなんとかなるだろうと、そんなことを考えている。
あとは人形を包むためのタオルとエプロンとそれから箱をいれる袋を買わなくてはいけない。
せっかくだからタオルは良いものを買おうと思う。赤いタオルが良いと思う。
エプロンと袋は……テキトーでいいや。











2017/1/17(火) 



 


○。

△。
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今日は阪神淡路大震災があった日だったらしい。もう22年だとか。
当時2才の僕は倒れてくるタンスに潰されそうになったそうだ。死んでいてもおかしくなかったのだ。死んでもよかったような気もするけども。
偶然生き残って、偶然今も生きている。
奇跡とは言わない。ただの偶然である。
しかし、偶然そうなっているだけなのに、それが当たり前だと思い込むことが多い。生きていることが当たり前だと。
思い込みが崩れ落ちようとしたとき、偶然という言葉を目にしたくないから、葬式を開いて悲しんで、そして祈るのかもしれない。 そのとき、それらの儀式は誰の為のモノなのだろう。
僕は明日も偶然生きるのだろうか。











2017/1/15(日) 



 


○。

△。
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僕は駅にいた。
白い杖でしきりに床を叩きながら歩いている男の人が見えた。視覚障害者らしかった。
その男の人の進行方向にお爺さんがゆっくりと歩を進めているのが見えた。
ぶつかる。そう思った。
しかし、寸前で男の人は進行方向を少しずらし、そのまますれ違うだけで済んだ。
なぜ、男の人はお爺さんが居ることが判ったのだろう。



人と会うのは良い。人とコミュニケーションを取ることによって僕の中で化学反応のようなことが起き、様々な考えが噴出してくる。
だけども大体暗いし暗すぎるのでスマホのメモ帳にガリガリと入力するだけで、おそらく日の目を見ることは無いのだろう。
そんな文章が幾つもある。もし僕が死んでしまったとき、一番見られたくないものはそれなのかもしれない。











2017/1/10(水) これはポエム。



 


○。

△。
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いつものように仕事をしていたら、ふいに、風が通り抜けていくのを感じた。
風は僕のなかを通り抜けていくと同時に、何かを掻っ攫っていったようだった。
気づいたときには、風も僕が持っていた何かもどこかに行ってしまっていて、
何を無くしたのかも分からない自分が残されただけだった。











2017/1/1(日) 正月。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
昨日の文章は、酒の勢いです。
てへぺろ。
今まで好き勝手書いてきて、今さら"酒の勢い"という言い訳もアレなのですけども。
てへぺろ。











2016/12/31(土) 大晦日。



 


○。

△。
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今年は終わってしまったこともあったが、始まることもあった。
そんなこと毎年あるかもしれない。だけども"始まり"ということについて強く感じた年だった。
その始まりも、いつかは終わってしまうのだろう。場合によれば、もう二度と始まることがないのかもしれない。そもそも意味は無い。
しかし、「それでも」と言い続けるしかない。

2017年は他人の幸福を考えようと思う。僕の目には僕自身にとっての幸福が見えないのだから。脳が幸福というものを認識できないのだから。
それならせめて他人を少しでも幸福にしよう。他人がよければ、それでいい。僕の幸福は元から無い。だったら捨てても問題は無い。
窓の外から鐘の音が聞こえる夜。










2016/12/26(月) 手記より。



 


○。

△。
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掘った穴を埋め直すような作業を延々と続けている。もう既に出力した書類の再チェック、封筒類、○○、△△、□□(仕事内容に関わるため伏せ字)、etc...etc..
もう4時間が経った。疲れた。かなーり疲れた。なんだか字もいい加減になってきた。果たしてこれは読める字なの?ろうか、?れと?、 この文章のことを忘れたあたり???読めるのだろうか……無理???も?れ?い多分、無理。ああ、つらい。??の??17:00ナリ。
周りは私のことををどう思っているのであろうか。あはれな男。あはれな24才。座っているだけでお金がもらえるのは良いことなのかもしれないが しかし座ることしかやることがないのであれば話は違ってくる。リストラ部屋かよ。
色々と考えていると、頭がハゲてきそうになる。というかもう既にハゲている。そういえば今朝、鏡を見たらまたハゲていた。
一般的には眉毛の上に閉じた手の平を横に当てて、髪の毛の生え際まで指が4本入ればハゲらしいけども、今の僕は5本入る。ファイブフィンガーだ。 これはどこからどう見てもハゲなのだ。ハゲ・オブ・ハゲなのだ。ハゲ・レボリューションなのだ。ハゲ・マシーンなのだ。ウォウウォウウォウ……。
「先に帰るねー」
違う場所で働いているオバチャンが、にこやかーに挨拶してきた。僕は複雑な表情でそれに応えた。
只今の時刻、17時28分ナリ。











2016/12/18(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
色々あった。
事のあらすじは単純である。だけどもその中で行われてきた会話の節々や動作、僕の心情をいちいち書こうとすると収拾がつかなくなる。
そもそも、ここに書くのは基本的に僕の心情だけである。他人のことを書くことはできるだけ控えたい。なぜなら見る人が見れば、それは陰口になってしまうのだから。
書かれることはどうしても僕が見て感じて考えた光景の1つでしかない。それは僕のズレた主観によって捻じ曲げられている。
ズレている。高校3年生のころに担任の教師から言われた言葉は5年経った今でも僕の中で息づいていて、発達障害と名を変えたそれは死ぬまで僕を蝕み続けるのだろう。
だから、あまり関係のないことを書こうと思う。
ヒトのことについて、改めて考えた。
ヒトといっても、色々なものがある。全くの見ず知らずのヒト。知っているけども、あまり踏み込むことができないヒト。それなりに踏み込むことができるヒト。
それぞれに、言葉を当てはめるとすれば「他人」「知人」「友人」になる。この3種類のヒトの間は地続きである。スペクトラムという言葉を使ってもいいのかもしれない。
地続きだから友人であっても知人であっても、その土台には他人の部分が存在している。
僕が一番問題とするのは知人である。僕はそのヒトの中に自分を映す鏡を見る。その鏡は僕にしか見えない。鏡は知人ではない。
僕は知人を見てはおらず鏡だけを見て、その中の自分に怯えている。
友人は鏡が無いヒトである。僕はこの世の殆んどの物事に対して興味関心が無い。どうでもいい。やりたいことも無い。生きても自殺しても意味は無い。何も無い。
それなのに友人は僕に何かを与えてくれる。僕を僕だと認めてくれる。僕は友人に対してもあまり興味を持つことが無い。だけども、そこに鏡は無い。
他人については特に書くこともないです。
ついでみたいに書くけども、生きて、昨日という日を過ごすことができて良かったと思います。











2016/12/14(水) 



 


○。

△。
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今日は12月14日だった。
僕は普段と殆んど変わらない一日を過ごした。
ただ、お酒を飲んだ。一ヶ月ぶりだった。
今日は僕にとって正月よりも節目になる日なのだと思う。
だからこそ、なにかしら纏まった文章を書くべきなのだろうけども、そんなことを思い浮かぶような頭ではなかった。アルコールでボンヤリとしているだけだった。
一つだけ考えることといえば、来年の12月14日になっても、まだ生きているのだろうか、ということだった。
もし死んでしまっていたとしても、それがどのような死に方であれ、自殺も含め、仕方がなかったのだと思う。なるべくしてなったのだと思う。
だけども、とりあえず今はただ、お酒を飲んでいたい。











2016/12/13(火) 



 


○。

△。
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しばらくの間、にっちもけを放ったらかしにしていたらツイッターに投稿する文章から卑屈な感じが滲み出してきてこれはアレなので、なにか書こうと思う。
今朝は変な夢を見た。よくよく考えると夢というものは大体が変なものなような気がする。

とある友人と会う夢だった。彼女はお寺を探していた。僕はお寺を4つ知っていた。だからその1つを教えた。
田んぼがあってその向こう側には影が4人分、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れていた。

これだけ。

今日は雨がよく降っている。明日、路面が凍結していないことを祈る。











2016/11/26(土) 



 


○。

△。
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演奏会が終わると、僕はアンケート用紙に感じたこと考えたことを書き出した。
全てを書こうとするとロクでもないものになるし、それに長い。だから、あくまでも単純に簡潔に書いた。
書き終わる頃になると客席には人が殆んど残っていなかった。
客席からロビーに出た。そこには人だかりがあった。もう何度も見た光景だった。
もしかしたら、あの中には会いたかったり話をしてみたい先輩や後輩がいるのかもしれない。
殆んど来てはいないだろうけども同回生だった友人たちがいるのかもしれない。それなら、もしかしたら……。
身体は簡単に動いた。アンケート回収箱に用紙を入れた。
僕は人との話し方が分からなかった。どんな表情で、どんな声の出しかたで、どんな内容の話しをすればいいのかが分からなかった。
口の動かしかたは。目線の位置は。身振りは。相づちは。もし会話が途切れたら。
ズレているということはそういうことだ。その醜態を人の目に晒して、人の中にある鏡に自分の姿を見てしまうのが怖くて。
僕は外に出た。想像していたよりも寒くはなかった。少し振り返ってみても、誰もいないだけだった。











2016/11/23(水) 



 


○。

△。
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夢を見た。
子猫と遊ぶ夢だった。
だけども、その猫は背中が灰色でお腹が白かった。
僕の手の中に収まりそうな本当に小さな子猫だった。

勤労感謝の日なので働いている人の迷惑にならないようにと考え、一日中家に引きこもっていようと思っていたけども、結局、買い物に出かけた。
差し入れを買った。次の土曜日にある演奏会に持っていくためだ。
僕が演奏するわけでもない。ただ聴きに行くだけだ。現役の子たちとは殆ど話したことがない。それなのに差し入れを持っていく。
我ながら変だと思う。そういったところでもズレている。それを感じていながらも行動を曲げることがない。だから余計にズレているのかもしれない。
演奏会自体は、人知れず聴きに行って誰とも話さず、さっさと帰る予定。











2016/11/07(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
生まれて初めて花を買った。駅前の花屋で買った。
なにぶん初めてなので、とりあえず「小さな花束をください」と店員さんに言った。
「幾らくらいのものがいいですか」と聞かれた。金額なのか、と思った。「1000円くらいで」と答えた。
こちらのものは全て500円です、と言われた場所には丁度僕が求めているような花束がいくつかあった。その中から1つを選んだ。
今朝、猫を轢いた。
いつも通りに原付きを走らせていたら道端から猫が飛び出した。前輪からほんの10センチか20センチ程度離れた場所からだった。視界の端に茶トラの猫が一瞬だけ映った。
ゴトン、ゴトンと原付きがぐらついた。前輪で1回。後輪で1回。嗅いだことがない臭いがした。タイヤからだった。声は無かった。
しばらくの間、呆然としながらそのまま走った。我に返って、引き返そうとした。しかし後続車がいるのに気づいた。
車1つ分の幅しか無い小道。戻れない。だから戻る必要がない。どうせ助からない。仕事に行かなくてはならない。仕方がない。
僕は逃げた。
辺りは夜に落ちていた。僕はポリ袋に入った小さな花束を持って、猫の死体を探した。
しかし猫の死体は見つからなかった。誰かが処置してくれたのだろうか。それとも、別の場所でもがき苦しみながら死んだのだろうか、あのとき引き返さなかった僕には分からなかった。
近くにあった電信柱の傍に花束を供えた。手を合わせ、目を閉じた。











2016/10/30(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
朝起きて、出社して、働いて、帰宅して、スマホ弄って、寝る。
また朝起きて、出社して、働いて、帰宅して、スマホ弄って、寝る。
そんな調子で数ヶ月が過ぎている。
そういえば最近は同回生で集まることもしていない。だから生活に弛みも締まりも無い。
たぶん、そのうちに、ぽっと集まる機会がまたあるのだろう。だけども確実にその頻度は少なくなってくるのだろう。
何年も前から、引退をする前から、そんなことは考えていた。悲しいと思ったし、寂しいとも思った。
しかし今は、仕方がないという感情が僕を包んでいる。仕方がない。それを実感している。諦めなのだろうかそれとも執着がなくなったのだろうか。それは良いことなのだろうか。悪いことなのだろうか。
距離が離れて、どうでもよくはないが優先的ではなくなって、どんどん記憶から薄れていって。人はいつ死んでしまうか分からない。その言葉さえも陳腐に思えてきて。だから仕方がない。
生きていれば明日も朝が来る。そうしたら出社して、働いて、帰宅して。スマホ弄って、寝る。











2016/10/21(金) 



 


○。

△。
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本当に、いつ死んでしまうか分からない。
今日、少し大きめの地震があったとき、まず考えたことは「もしかしたら死んでしまうかもしれないなあ」ということだった。
そうボンヤリと考えて、僕がいる建物が揺れ始め、周りで働いている人たちが「揺れてる」だの「鳥取やって」だの「恐いわ」だの。
そうして周りが落ち着いてきたときに初めて僕は周りのことを考えたのだった。











2016/10/14(金) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
読書からは遠くなり、音楽にも触れることが無くなり、オタクにもなりきれず、哲学なんてものは初めから持っていなかった。
そして若さというものも刻一刻と僕のもとから離れていく。僕はよりいっそう惨めで醜くなっていくだろう。
僕は僕という存在にしかなれないのだと思う。br<>










2016/10/12(水) 



 


○。

△。
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具合が悪い。
具合が悪いので何か書こうと思う。
別に何かがあったから悪くなったというわけではなくて、よくあることである。
改めて説明すると、具合が悪いということはつまり、うつっぽい、ということである。
でも、うつという言葉を表に出してしまうと、余計にうつっぽくなってしまうので、わざわざ言葉を変えている。
仕事が終わって家に戻ってからは、布団に寝転んでスマホ弄ってばかりだった。
いつのまにか日本航空123便墜落事故について書かれたページを見ていた。
ただの好奇心で見ていた。それも俗悪な。
僕は今年の3月に東北に行った。その理由は、もしかしたら同じようなものだったのかもしれない。
沢山の写真を撮って、そのうちの幾つかをツイッターの方に何枚か写真を上げたが、一枚、迷った末に結局アップロードしなかったものがある。
その写真は朽ちた家を写している。といってもそこにあったであろう家は無く、代わりに木片とそれを囲むように家の土台らしきものがある。
土台は高さが10センチほど。それがアルファベットの『L』の形に伸びている。
その土台の上には、キティーちゃんの置物、知らないキャラクターの人形が4つ、サングラスのオモチャ、それからミニカーが18台、並べられていて全てが泥で汚れていた。
僕は酷く嫌な気持ちになった。近くには津波で廃墟化した小学校があることも知っていた。
もしかしたら、ここにいた子供は助かっているのかもしれない、だとしても死んだ子供が沢山いることには変わりがない。
僕はそもそも写真を撮るべきではなかったと思う。全くの部外者である僕がそんなことをするのは冒涜だから。
そう思いつつもスマートフォンを構えてしまったのは、俗悪な好奇心があったからだろうか。











2016/10/06(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
今日もなんとか生きた。
いちおう朝昼晩と食事をしているし、眠たくなることもできるし、悪い夢もそんなに見ない。
それは決して素晴らしいことではないけれども、取り敢えずはそういったことができるということだ。
明日もそうするのだろうか?明後日もそうするのだろうか?1ヶ月、1年、10年。
昨日、部屋にゴキブリが出たので、ブラックキャップというトラップ系ゴキブリ駆除剤を買った。
本当はゴキブリを凍らせるスプレーも欲しかったけど、立ち寄ったドラッグストアには売っていなかった。だから、そのトラップ系ゴキブリ駆除剤しか買えなかった。
まだ設置はしていない。それよりも前に部屋の掃除をするべきなのに、身体がどうにも動かない。











2016/10/05(水) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
あまり日記を書かないでいるけれど、時間は変わらずに流れている。時間が流れると状況が変わってくる。変わっていないのは僕の性格だとか気質といったものくらい。
まず、悪い方向に変わりそうなことがある。今勤めている場所をクビになりそう。
だけどもたぶん僕があまりにも仕事ができないから、というわけではないたぶん。勤め先の状況がそうさせている。それに先立つのは立場が軽い派遣ということ。
まだ噂程度だけども、その影があまりにも濃い。どちらにせよ今月中には答えが出るだろう。だって契約更新の通知がされるのが今月末なのだから。
良い方向に変わったこともある。
でもそれは内緒。
そういえば今日は僕の誕生日だった。もう24歳になってしまった。











2016/9/19(月) 



 


○。

△。
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今日は清水真理さんの個展に行きました。
球体関節人形を制作している人で、前々からツイッターでチェックしていたのですが今回は2年ぶりに大阪で個展をやるということで行くことになりました。
一番のお気に入りはツイッターのほうにupしました「天草四郎」という作品です。本当に可愛らしい。
実を言いますと、球体関節人形は、あまり僕の好みではなかったのですが、清水真理さんの作品は何故か好きになれる要素があるようです。具体的な言葉には表せれないのですが……。

そのあとはアジア雑貨に行ったり、人形と古本が沢山の喫茶店に行ったりしました。普段は引きこもっているクセに、久しぶりに良い休日を過ごせたような気がします。











2016/9/16(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
また変な夢を見ていたようですが、直ぐに忘れてしまいました。ですが、滝が流れいたこと、知らない景色だったことは覚えています。
子は親の身勝手で生まれさせられるのだと思います。
老後が心配だから。子供を持つことが一般的な家庭の姿だから。ただ漠然と子供がほしいから。
様々な理由があるのでしょうが、全て、親の身勝手な考えだと思います。
本当に子供のためを思うのであれば、子供は作るべきではありません。
なぜなら、生まれてきた子供も、いつかは死ぬからです。
どうせ死んでしまうのに、だから生きる苦しみや死ぬ苦しみを味あわせてしまうのに、 何をやっても無意味だというのに、その世界に自分の一番大切な存在になるであろう子供を参加させるべきではないと思います。
「苦しむこともあるかもしれないが、幸福もある」といった考え方もあるのかもしれません。
しかし、それも親の勝手な言い分です。なぜ、親が見ている世界と子が見るであろう世界が同じだと言い切れるのでしょうか。
親は、生まれてくる子供が親を憎むことになることになるかもしれないことを考えないのでしょうか。











2016/9/1(木) 



 


○。

△。
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2ヶ月ほど前に治療した歯の辺りがヅーンといて痛い。
その痛みは歯の位置からまっすぐ上に伸び、ほとんど頭痛に近い。
頭痛と吐き気。それに暑さも相まって気分がとてもよくない。久しぶりに自分が苛立ちを感じている。
その歯は神経を抜いて銀歯を被せた場所だった。神経が無いのに何故痛むのか分からない。
調べてみると、歯、とりわけ神経の部分はとても複雑で、神経の数も1本や2本では無いらしく、小さいものが何百本もあるのだとか。
だから神経を完全に取り去るのは不可能らしい。
ちなみに、今、誤変換を3回くらい繰り返して、思わず舌打ちをしてしまった。酷く苛立っている。











2016/8/22(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
状況が良いのか悪いのかが判らない。何が良くて何が悪いのかが判らない。
身の回りで起きている物事の大半がどうでもよくて、興味が無い。
今日は食べ物をあまり口にしなかった。











2016/8/2(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
最近は、ここの存在をほとんど忘れていたりもする。
ここで書いていたようなことを考えなくなって、日々に埋もれていくだけの生活を送っている。
しかし、これは克服でもないし適応したわけでもない。治った。元に戻った。普通になった。そのような言葉は当てはまらない。 だいいち、そのような問題ではない。ただ忘れただけ。

今の僕は殆どの人が居る場所に近い生き方をしているのだと思う。
何も考えず、何も見えず、いや、あたかもそれが無いかのように振る舞って生きる。
そのほうが圧倒的に楽だし居心地が良い。周りから「病んでいる」と思われることも無い。
しかしそれは虚しい。それは本当に生きているといえるのだろうか。ただ死んでいっているだけではないのか。
そう感じながらも。僕は未だに考えることができないのだ。











2016/7/27(水) 



 


○。

△。
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優生学的に見ると、僕は排斥される側の人間。
他人とある程度の調子を合わせることや余計なことを言うくらいなら無口でいるという知識を持つことが出来て、それでギリギリ馴染めているだけで。











2016/7/25(月) 



 


○。

△。
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今日も空はきれいでした。










2016/7/20(水) 



 


○。

△。
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どういうわけか契約期間更新がされたようで、僕もそれに承諾したので、もうしばらくは生きていけるようになった。
相変わらず、殆んどモノを考えず殆んど感じずに日々を過ごしているので、このままダラダラと延長戦を続けていても仕方がないような気もする。
別に自殺念慮とかそういうのではなくて、何となくそんな感想が浮かぶ。
何かを考えようとしても、まるで自分の頭がそういった動きを忘れてしまったような、空気を両手で固めようとしているような、そんな気分になるだけ。











2016/7/14(木) 



 


○。

△。
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鏡に写った雲は実際に見るよりも綺麗に感じてしまって、それが少し悲しかった。
なにか遠い過去を思い出したときには、その思い出が美しく感じることができるのに、ビデオやら写真やらでその光景を目にすると、どこか汚らしく思ってしまったり、
しばらく会ってなかった人と、久方ぶりに会ったときに感じるあのズレと通じるものが在るのかもしれない。
モノはフィルターを掛けたほうが気分よく感覚することができるのだ。そして、だからこそ自分を気分よくするために知らず知らずの内にフイルターをかけているのだ。
それは場合によれば、期待という言葉に換言できるのかもしれない。











2016/7/13(水) 



 


○。

△。
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テレビから誰かを責める声が聴こえてから具合が悪い。
あまりよくは分からなかったけれども、詐欺の被害にあった人が、弁護士を携え詐欺師を問い詰めているようだ。
ああいった番組を平気で制作することができ、放映することができるということは、逆に考えてみると、なにか根本的な部分で僕の感覚が歪んでいるのだと思う。
あれをなんとも思わずに見ることができるのが普通で、不愉快なものを感じて具合が悪くなってしまう僕がヘンなのだろう。
しかし、マイナスだけども感情を抱くことができた自分に少しだけ安心もした。











2016/7/10(日) 



 


○。

△。
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書かないというより、書けないという部分のほうが強い。
僕は本当に文章が書けなくなってしまった。
今、書いているこの文章も、苦労してひねり出している。
書けなくなった主な理由は、何にも興味が無くなったからだ。
元々、興味の幅がかなり限定されていたのに、それさえも無くなってしまったからだ。
何故、他の人々は、様々な物事に興味が持てるのだろう。泣いたり笑ったり怒ったり落ち込んだり……。
彼らは、いつも何かに対して共鳴し反応することができる。なにかしらのアウトプットをしてみせることができる。
それは何かを創造することなのかもしれないし、何かを傷つけることなのかもしれない。
だけども、僕にはそれが完全にできなくなってしまった。外からもたらされる光線は吸収されることもなくキラキラと反射させることもなく全て僕を通り抜けてゆく。
僕は硝子かなにかでできているのだろうか。いや、それすらでもないのかもしれない。何も感じず、何も思わず、ただただ上辺だけで動作をして取り繕っているだけだ。
僕はどこで何をしているのだろう。











2016/7/5(火) 



 


○。

△。
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あまり食欲が無い。
昨日の一件については10割僕の過失だそうなので、僕が何を思い、口にしたところで軽犯罪者の愚痴や負け犬の遠吠え。そういったことにしかならない。
たとえ相手が不当な修理費を請求してきたとしてもだ。僕は自室の壁に向かってモゴモゴと呪詛を唱えることしかできない。
幸い、任意保険には入っていたので、どうにかなるだろう。たぶん。











2016/7/4(月) 



 


○。

△。
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事故を起こしました。
対物。
対人じゃないだけマシと考えるべきなのだろうか。











2016/7/2(土) 瑠璃王の耳輪。



 


○。

△。
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都会の街を歩いていた。
特に当てもなく、ぶらぶらと歩いては気になったものを写真に撮った。
何かを考えようとしたけども、とりとめがなく雑多なものが浮かぶだけで、それらは形を捉える前に消えていくだけだった。
次第に、自分が今どこを歩いているのか分からなくなった。どこに向かおうとしているのかも分からなかった。
だけども、とにかく歩は進めなければいけなかった。立ち止まっていても、どうしようもないのだから。
ボンヤリとしたままそれでも歩いていたら、見たことのある場所に出た。元の場所に戻ってきたようだった。











2016/6/28(月) 日記。



 


○。

△。
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僕が大学3回生だったころに書いた日記を少し読んだ。
逆に言えば少ししか読めなかった。ここみたいにweb上にアップしているものではなく、自分だけが見るためのものだったので当時の僕の感情を殆んどストレートに詰め込んだ文章だからだ。だから酷く感情的だし、読んでいるだけで気が滅入る。
それと比べれば、ここに書いてある文章は微妙に味気が無いようにも思える。一見、結構突っ込んだことを書いているように見えて、誰かに見られることを前提としている以上、 感情だの言葉の使い方だの個人を指すようなことは極力書かないだの、色々な制約がある。
だから、僕がここで何を書こうが、どうしても角が取れた文章になっている。











2016/6/27(日) 



 


○。

△。
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あんまり書く気が起きなかったので放置していたのだけれど、放ったらかしにしておくのもアレなのでなんか書こう。
ええと、派遣先で働き始めて一週間が経とうとしている。
んー。お仕事は事務。パソコンでデータを入力したり入力したやつを出力したり出力したやつを色々したりしてる。
朝からやっているけども、終わるのは遅くても夕暮れ時くらい。
楽だ。
ものすごーく楽だ。
仕事自体はしっかりと丁寧にやっていれば問題ないし、そこまで急かされるようなこともない。なにより日が暮れるまでには帰れる!スゴイ!
だけども派遣は派遣。正社員ではない。お給料も高いわけではないし最長で3年最短で2ヶ月という契約期間もある。夏の終わりにはまた無職に戻っているのかもしれない。
僕はただ延命処置をしているだけにすぎない。











2016/6/23(木) 3つのバス。



 


○。

△。
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ひとつめのバスは年下のバスだった。
バスの中を覗くと、僕よりも歳が若い人たちが、僕を見つめていた。
ふたつめのバスは同い年のバスだった。
バスの中を覗くと、僕と同い年の人たちがいて、やはり僕を見つめていた。
みっつめのバスは年上のバスだった。
バスの中を覗くと、僕よりも歳が上の人たちが、僕を見つめていた。
その中には既に死んだ人もいた。
僕は、どのバスにも乗らなかった。











2016/6/19(日) 



 


○。

△。
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歯が痛い。
今朝、目が覚めた辺りから痛い。
親知らずの影響で歯茎が炎症を起こしているのかもしれないし、 親知らずのせいで虫歯になったけども、治療途中のまま放ったらかしにしている歯のせいなのかもしれないし、 全体的な歯周病のせいなのかもしれない。
歯のことはよく分からない。とにかく全部が痛いような気がする。
こんなことなら、さっさと治療すればいいのだけれど、金銭的にかなり微妙な状態なので、できるだけ出費を抑えたいのが実状だ。
できれば、来月の給料日までは持ちこたえたい。











2016/6/18(土) 



 


○。

△。
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長期的な働き口が見つかったので、これでまたしばらくは生きていけることになった。
ただ、今月と来月にかけて、かなりギリギリなので、休みの日には追加で働かないといけないのかもしれない。
こうしていると、自分がとにもかくにも生き延びようとしているのがわかる。

すべてお終(しま)いのように見えるときでも、
まだまだ新しい力が湧き出てくる。
それこそ、お前が生きている証なのだ。
もし、そういう力が湧いてこないなら、
そのときは、すべてお終いだ。
もうこれまで。

これは小説家であるフランツ・カフカの言葉だ。
もし本当に生きることが出来なかったのなら、僕は積極的に自殺を試みるまではいかなくても、消極的自殺、つまり死ぬまで何もしなかったはずだと思う。
だけどもそれをしなかった。ある一線を超えてしまう前に、新しい力を湧き出させた。
ただ、今回はまだ良かったのだけれど、次はどうなるのかは分からない。不安定な状態を持続させただけで、いつ崩壊してしまってもおかしくない。
そのときは"もうこれまで"なのかもしれない。











2016/6/15(水) 



 


○。

△。
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〜これまでのあらすじ〜
悪徳派遣会社の陰謀によって遠方の地で働くことになったアロハ。
遠いので朝の5時半には家を出なければいけない。電車を乗継ぎバスに乗って行き着いた先でやることは炊飯ジャー。
炊飯ジャーをなんやかんやするのだ。なんやかんやの仕方は社員のお兄さんが優しく教えてくれた。
なんやかんや……。なんやかんや……。
炊飯ジャーってこんなに沢山も必要なのかな……。1回買ったら5、6年はもつような……。
休憩を挟みつつ9時間くらいなんやかんやしたのだ。
交通費を差し引いたときの時給なんて考えたくない。あと社員のお兄さんが爽やかだった。

次の日。
このまま悪徳派遣会社に関わっていては色々と危険なので、それに明日予定されていたお仕事が何の断りもなく消滅していたしなので、別の派遣会社の登録会に来たのだ。
こんどは王手だからきっと大丈夫だ。webでの評判も良かったし。
なんか会社説明の動画を見たり漢字の読みとか算数の問題とか心理テストとか面談とかやったのだ。
あれ?なんだかガチじゃね?なんでいま僕は明後日の方向に顔を背けながら前職の退職理由をツラツラと述べているのだろう?どんどん悲しくなってきたぞ?帰りたいな。
「では、明日、職場見学に行きましょう。服装はスーツでお願いします」
明日?職場見学?どーなるの僕。どーなるのー。



6月15日。
職場見学が終わった。
「やっぱり、もう少し元気を出したほうがよかったですよね」僕は言った。
僕は自動車の助手席に座っていた。一目で良いモノだと判る車。そういえばレンタカーを借りると言っていた。
「そうですね。アロハさんの一番の武器は若さと笑顔ですから」と女のひと。
職場見学は良い終わり方をしたとはいえなかった。終始、自信がなさ気だったと思う。これまで殆んど人と会っていなかったのがよくなかったのだろうか。 社会人としても人間そのものとしても不安そうな部分が前面に出てしまっていた。
いつの間にか、車は駅前まで着いていた。
「それでは、今日はありがとうございました。結果は本日中にはお伝えできると思いますので」
「分かりました。ありがとうございました。失礼します」
僕は助手席の扉を開けようとした。
「…こういうときはもっと元気よく『ありがとうございました!』…ってもっと元気に言うものなんですよ!」
僕は数カ月ぶりに大きな声を出した。
「……ありがとうございました!」
女の人はガッツポーズをした。











2016/6/12(日) 



 


○。

△。
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昨日、派遣会社に電話したときなんやかんやあって月曜日に仕事をすることになってた。
だから明日、久しぶりに働くことになる。
仕事を辞めてからもう4ヶ月が経った。この4ヶ月は僕にとってどのような意味をなしたのだろうか。
あまり後悔はしていない。だけども、これで良かったんだ、と自分を慰める気持ちにもなれない。
ただただ時間が流れて、狭い視野の中でそれでも色々なことがあって、その中で生きただけだった。
これからも生きるだけなのだと思う。上辺は少し変わるのかもしれない。もしかしたら再就職できるのかもしれないし、何もできずに落ちぶれていくのかもしれない。
でもそれは上辺が変わるだけで、本質的な部分は何も変わらない。そして死んでいくのだと思う。これはルサンチマン的な考えなのだろうか。
とにかく明日は仕事だ。僕が幾らゴチャゴチャ言おうと再び社会に照らされるだけだ。それがとても不安で嫌になる。
ついでにいうと朝の5時に起きないといけない。酷い。











2016/6/11(土) 



 


○。

△。
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明日就業予定なのに派遣会社から集合時間や場所などの連絡が無いので何度も電話を入れたのだけども全く繋がらなかった。
5分おきくらいに電話しても駄目で疲れたから15分おきくらいにやっても駄目で、 放り投げたくなったから30分おきにやってみたけどもスマホからは「ツーツー」という音が鳴るだけだった。
もう嫌になってきたのだれど、仕方がないからメールを送った。
メールを送ったあと、軽くwebのほうで当該派遣会社ことを調べた。
あまりよろしくないことが書かれていた。
大体、webで書かれているようなものなんて必要以上に期待した結果だったり、妙に上から目線だったり、くだらない愚痴に近かったり、そもそも信ぴょう性に欠けるものがおおいけども、
眺めている感触ではどうも具体的でしっかりした文章だった。あと「給料未払い」という言葉がけっこうあった。ううん。
結局、違う派遣会社にも登録した。大手のほうなのでそれなりに大丈夫だと思う
色々やったあたりで、電話が繋がらなかった派遣会社に電話を掛けた。繋がった。
明日の仕事は予定されてなかった。











2016/6/10(金) 



 


○。

△。
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明後日に派遣のアルバイトに行く予定なんだけども先様からまだ詳細な連絡がきていない。
大丈夫か大丈夫なのだろうか。
たぶん明日の昼までになんにも反応が来なかったら僕から連絡しないといけないんだろうな。面倒だな。
でも放ったらかしにしてそのままブッチするのはよくないんだろうな。当日になってアルバイトが来ない状況の辛さはよく知っているしな。
画像無し画像を久々に作った。本当は一部実写を使う予定だったけども、やめた。










2016/6/9(木) 



 


○。

△。
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この前アルバイトの面接に行ったところから、お祈りのお手紙が届いた。結局は派遣のほうで暫く繋ぐようになる。
あとスピード違反の違反金を収めに行った。職員のおじさんが「私もよく捕まるんですよー」と言っていた。
「今、ここ」が一番若いのであれば、換言すると「今、ここ」が一番死から遠いのかもしれない。
そうすると「今、ここ」こそが一番幸福な状態なのであって、同時に刻一刻と死という不幸に近づいている状態でもあるのかもしれない。
しかし、死から遠いという表現は微妙に変なような気もする。
たしかに僕は老化していくことによって病気になりやすくなったり事故に遭いやすくなっていくだろう。それは徐々に死に近づいていっているともいえる。
だけども若いからといって事故や病気に遭遇しないというわけではないだろう。僕が10分後に死んでいても全くおかしくはない。
だから遭遇しやすいか遭遇しにくいか、確率の違いにしかならない。
どうでもいいけど今日は6月9日だったのかあ。69……。











2016/6/5(土) 不幸2。



 


○。

△。
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きょう げんつきで はしっていたら つかまりました
てんすう2てんの ばっきんいちまんえん
いちまんえん
いちまん……ううっ、うううううう。
「ご職業は会社員でいいですか」
「いえ、無職です」
「あっ……」
あっ……ってなに。聞いておいてなによその反応。今まで検挙してきた人たちに無職の人も幾らか居たでしょ。流せるでしょ。スルーできるでしょ。
何その聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいな反応。こっちだって好きで無職やってるわけじゃないの。無職も色々苦しいの!辛いの!!!しんどいの!!!!特に金銭面!!!!いちまんえん!!!!!
いや、いいすぎた。
たしかに僕が悪い。何をどう考えても僕が悪い。法定速度から22キロもオーバーだもんね。
そういえばパトカーの中から、しかも後ろからスピードを測れるんだね。スゴイね日本の技術。
また1つ勉強になったよ。いちまんえんは授業料かな。ちょっと高いけど。仕方がないもんだからな。いちまんえんあったら何ができるかな。
ありがとう。
ありがとう!!!!!!!











2016/6/5(土) 



 


○。

△。
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ぐああああ。ぐああああああ、ぐああああ。
まーる書いてちょん。まーる書いてちょん。
まーるちょん、まーるちょん。まーるちょんちょん。

昨日はサマコンを聴きに行ったあと、本当に疲れてしまっていた。 なぜこんなにも疲れていたのか、よく分からなかった。
色々と考えることがあった。だから、いつも持ち歩いているメモ帳に感じたことを書いた。殆んど殴り書きに近かったのだと思う。
家に帰ったあとも、頭の中は悶々としていた。
1ヶ月ぶりくらいにお酒を飲んだ。アルコール分が40%のものだった。
それから、いつのまにか寝てしまっていた。
目が覚めたとき、僕の頭の中は、いつも通り鬱々としたものが漂っているだけだった。あの熱のような感情はどこかにいってしまっていた。
代わりに手帳が1つあるだけだった。











2016/6/2(木) 不幸。



 


○。

△。
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※昨日分の日記のレイアウトが少し変なことになっていたので修正しました。

アルバイトの面接に行ったら、面接場所を間違えた。
あと保険証とUSBメモリをコンビニに忘れてしまっていた。
厄年か。厄年なのだろうか。でも今年に入ってからここ最近までは酷いことは無かったような気がするんだけどなあ。
新幹線の特急券だけ買って乗車券を買ってなかったとかはあったけど。

面接は間違って本社のほうに行ってしまっていた。
そうなんだよなあ、倉庫内の軽作業のハズなのになんで勤務地とは全然違う市内の本社でまで行かないといけないんだろうなあとか思ったけど、
そういうものなのかなあ、小さい会社で採用担当者のかたにとってはそれが一番都合がいいのかなあ、とかなんとか自分を思い込ませていたけど違った。
色々あって面接は明日改めてやることになったから、よかったのだろうか。

保険証とUSBメモリはコンビニのほうで預かってくれていた。これは本当に良かった。
保険証なんて無くしてしまったらまたあの市役所に行って面倒な手続きをしなければいけないし最悪、悪用でもされてしまえばどうしようもなかった。

どちらにせよ、大事にはならなくて良かったのだろうか。良かったということにしたい。でも面接嫌だなあ。場所間違った時点でなんかもう駄目なような気もする。

そういえば変なブログを開設をしましたね。Twitterを見たらわかると思うけども。
作った理由は、なんだかんだいって僕は文章を書くのが結構好きみたいだから、
それをもう少し上手に使えたらいいな、みたいな。とりあえずやってみよう、みたいな。そんな理由です。
いつのまにか敬語。











2016/6/1(水) ある診察室での会話。



 


○。

△。
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診察室のモニターにX線で撮られた人間の頭部の画像が映っている。
映っているのは2枚。両方とも真横から撮られたもので片方は真っ直ぐ、もう1つは頭を下に下げている。
ただ、どちらも首の骨が微妙に歪んでいた。

「……もともと首が長いかたなんですね」
「はい」
「ちょっとこれ、首の骨が歪んでいるんですね。普通はこう、なでがたになっているんですけど」
「はい」
「恐らく転倒の衝撃で首の骨がちょっとムチウチみたいになっているんですね」
「ほー」
「首が長い人は元々肩がこりやすくなるんです」
「ほー」
「そこに衝撃があって首周りの筋肉が固まっているんですね。だから首が動きにくいんです」
「ほー」
「首を曲げた状態の写真を撮ってもらったのは、曲げた状態に首の骨が飛び出していないか見るためです」
「ほー」
「でも、特にそういったところは見られない、と」
「ほー」
「要するに捻挫ですね。首の捻挫」
「はい」
「湿布を出しておきます。それから一週間は肩がこるような作業は控えてください。」
「はい」
「ま、一週間くらい経ったら、元に戻って症状も無くなるでしょう」
「はい」
「もし、症状がとれない場合はリハビリをすることになります」
「はい」
「とりあえず、一週間はあまり無理をしないようにしてください」
「はい」
「診察は以上です」
「ありがとうございました」











2016/5/31(土) 山道での単身事故。



 


○。

△。
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山道を原付きで走ってたらコケた。
道は土砂やら湿った落ち葉やらで良くない状態だったのに、下り坂を30キロくらいのスピードで降りていた。
日が落ちかかっていることもあって、やや急いでいた。すると車体がズルっと倒れこんだ。
状況を理解できないまま地面に投げ出された。直後に激痛。頭、左膝、腰。僕は横向けに落ちたようだった。
ぐあああ、とか、ぐうう、とか叫ぶ僕。当然誰も助けに来てくれない。だって山奥なのだから。
ひとしきり叫び終わったあと、取り敢えず起き上がる。
視界がぼやけていることに気がついた。どうやら眼鏡がどこかにいってしまったらしい。と、思ったらすぐ脇に落ちていた。幸い、眼鏡は壊れていなかった。
原付きが1メートルくらい離れた場所に倒れているのがわかった。それくらい飛んでしまったのだろうか。
運が良かったと思う。まず、原付きは走れなくなっていたのだけど、たまたま通りがかった軽トラにを運転していたお爺さんが直してくれた(チェーンが外れていただけだった)。
それに、直ぐ近くの地面に投げ出されることができた。僕が倒れこんだ直ぐ近くにはガードレールがあった。その向こう側には地面が無かった。
もし、あともう少しスピードを出してしまっていたのなら、のうのうと日記を書くことも出きない状態だったと思う。
今は左膝が痛くて足を上げることが殆んど出来ないし、首周りにも違和感が残っている。原付きも点検を受けたほうがいい。
だけども、それだけで済んで良かった、と思うしかない。
あ、今年は厄年だったなあ。











2016/5/30(日) 作業。



 


○。

△。
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ここ数日は家に引きこもってプラモデルを作っている。ラジオを聴きながらだと作業が進みやすい。
昨日からはピンセットを使って小さいシールを延々と貼り付けている。
大きいものだと1センチくらいの大きさだけども、大体は1ミリから5ミリくらいの小さいモノが多く、疲れる。
シールなので粘着性があり、貼り付ける場所に持っていったとしても、ピンセットの先からなかなか離れない場合があるし、 離れたと思ったら、どこかに飛んでいってしまうときもある。何度も剥がし直していたらシールは痛む。予備のシールなんてものは無い。
おまけに僕の手はよく震えるので、細かい作業はかなりやり辛い。
そんなこんなで、今日までで大体110くらいはシールを貼り終えた。この集中力をほかのことに使えたら良いのに。就職活動とか。
ただ、細かい作業をしかも酷い猫背の体制でずっとやっていたもんだから、体調が微妙に悪くなってしまった。











2016/5/28(土) 



 


○。

△。
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最近、昔にあった嫌な思い出が突然頭の中に浮かんで、うわあああってなる現象が多い。
これがフラッシュバック現象なのかはよく分からないのだけど、似たようなものだとは思う。
浮かぶものは1ヶ月前のものから5年くらい前のものまでで、内容は些細な言動だったり他人に迷惑をかけたこと。5年以上前のものはそもそもあまり覚えてない。
こんなことをいちいち覚えているのは世界中で僕だけだろう、と自分に言い聞かせて、なんとか忘れようとするのだけど、頭はしつこく思い出すことを強要してくる。











2016/5/27(金) 考えるということ



 


○。

△。
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自分が忘れてしまったことも忘れていまい、ただただ気を紛らわせる日々。
たまに思い出すことがあれど、それはおぼろげな思い出以下のモノでしかなく、気晴らしの一部に当てはめることしかしない。
僕は何にもなることができなくて、ただ僕自身にしかなれなかった。
しかしこれは仮であり、形をなしていないモノに対して、形をなしていないと名前を付けただけだ。 言葉というツールを介してそれを認識してみたところで、それが本当になんであるのか本質を見極められる保証は無い。 ツール自体のピントがズレている場合もあるのだし、壊れているときもある。そもそも使うツールの種類が違っているのかもしてない。
それに、僕は本当に僕自身であるのかも怪しい。
だが、それを考えたところで、何になるのだろうか。
しかし、考えても仕方がない、と言って、それで考えるのやめてしまうことができたのなら苦労はしない。
考えなければ自分がどこかに散ってしまいそうで、それが恐いのだ。

一番恐いのは言葉だ。
僕は言葉を使うことで考えている。例えば考える、という概念を捉えようとしたとき、 まず頭の中に浮かぶのは考える動作でもなく考えるというプロセスなどでもなく、まず第一に「考える」というワードだ。
「考える」「かんがえる」「kangaeru」なんでもいい、とにかく「考える」を考えた場合、 「考える」を思考するためにまず、「考える」という言葉を無意識のうちに頭の中に置き、それを引き出しにして考えるのだと思う。
ここで問題なのは、「考える」という名称だ。これはつまり僕がいくら「考える」ということを考えたとしても、「考える」という名称のもと考えている限り、 決して「考える」という範疇からはぬけ出すことができないということだ。 言葉無くしてモノを考えることが出来ないのに、言葉があるおかげで、その思考は言葉を超越することができないのだ。











2016/5/25(水) 風呂



 


○。

△。
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どこか遠くに行きたいと思いながらも、主に金銭面の問題でそれは叶わず、だからいつも原付きに乗って特にどこに向かうかも決めず走りだす。
なんとなく気の向くほうに進んでいけば、それでも色々なものを見ることができ、気を紛らわすことができる。

風呂に入るのが2日に1回になっている。
冬場だと、特に問題は無いのだけれど、気温が上がってくると首の後ろのほうから微妙な体臭が漂ってくるのが判る。
これはまだましなほうで、この前3日くらい風呂に入っていなかったら明らかな異臭が自分の身体から立ち込めているのが判ってしまった。
その日は暑くて少し汗をかいていたのも手伝っていたのかもしれないが、とにかく自分の身体が嫌になって、早く風呂に入ってしまいたい気持ちになった。
しばらくぶりの風呂は長風呂になってしまい、あがったときの立ちくらみが酷かった。











2016/5/23(月) だめ2。



 


○。

△。
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そもそも面接は行かなかった。自分が面接をしている姿や働いている姿を想像すると、具合が悪くなって仕方がなかった。
眠たくないの何度も何度も布団に包まっては目を瞑った。そうしているうちに、面接を辞退することにした。
履歴書や職務経歴書を書くのには随分苦労したのに、辞退の連絡を入れることはとても簡単だった。インターネットで調べたテンプレートを少し弄ったものをメールで送った。 30分も経たないうちに企業側から面接辞退を了解したという旨の返信を見ることができた。
僕をがんじがらめにしていたあの気分の悪い空気が去っていったのを感じた。これで明日からもいつも通りの生活ができる、と思った。

我ながら暗い文章だと思う。普段感じていること考えていることをそのまま書き出してみるとこうなってしまうのだから、仕方がないのかもしれない。
僕はできるだけ誠実でいたかった。僕にとっての誠実とは自分に嘘をつかないことだった。そうすることが僕のなによりの正しさだったのだと思う。
しかし、現実社会においての正しさは、僕のそれとは形が大きく異なっていた。
空気を読むこと、そのためには嘘をつく必要があること、愛想笑いをしなければいけないこと、暗い話はあまりしてはいけないこと……。
そのような暗黙なルールという名の建前、嘘が僕にはとても窮屈に感じられた。嘘の上に成り立っているような人間関係に意味はあるのかと思った。
初めてそう感じたのは高校生のころだった。そこでつまづき、挫折した。学校という場所は僕にとって不誠実の温床だった。
では大学はどうだったのか。それは、「許された」という言葉が一番妥当だと思う。だけども決して認められたわけではなかった。
だから誠実であることを殆んどやめてしまった。そうでなければ僕は本当にひとりぼっちになってしまうからだ。それが怖かった。
この日記は、そんな自分を慰める最後の場所なのだと思う。











2016/5/20(金) だめ。



 


○。

△。
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面接は駄目でした。











2016/5/18(水) 声2。



 


○。

△。
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履歴書とか職務経歴書とか書けるかー!何書いたらいいのか分かんないよー!マイナスのことしか頭に浮かばないよー!
webで調べてみたらみんなキラキラバリバリしやがってー!まず意欲とかやる気とかそういうのゼロだよー!
そもそも最近は人と全然喋れなくなってきてるよー!声が小さすぎてボソボソすぎて毎回聞き返されるよー!
ぐああああ!ぐあああああ!うわああああ!働きたくないー!家でゴロゴロしていたいー!でもお金がー! 生きているだけで色々徴収されるうえに働いていないのに家に毎月数万円入れさせられているしぐあーぐえーぐおーおおおおお!
面接が明後日だよー!なんにもできてないよー!とりあえず職務経歴書の書き方から調べようと思ったけど、ちょっと調べるだけでものすごーく具合が悪くなっていって、 3時間くらい別のことをしてなんとか気力を回復させてまた調べて5分くらいしたらまた具合が悪くなって3時間休憩してを繰り返して、 とりあえず少しずつでも進めばいいかな…ってできるか!!日が暮れちゃったわ!もうお外が真っ暗だよ!!僕もこの先真っ暗だけどね!!!!!
たはは











2016/5/16(月) 声。



 


○。

△。
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おぉいおぉい、と声がする。
振り返ってみても、おぉいおぉい、と声がする。
私が、なぁに、と答えても。
おぉいおぉい、と声がする。
おぉいおぉい、のほうに歩き出す。
歩いてみると黒い豆つぶ見えてくる。
おぉいおぉい、は相変わらず聞こえ。
黒い豆つぶ大きくなる。
豆つぶが大福になり、大福がラグビーボールになり。ラグビーボールは木にになった。
そして木は黒で塗りつぶされた私になった
みつけた。
そんな声が聞こえた。











2016/5/15(日) 散髪。



 


○。

△。
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昨日、求人サイトで正社員雇用有りのアルバイトの募集をやっていたので応募した。採用はされないだろうけど。
だから散髪に行った。もう少し前に散髪に行く予定だったのだけれど、なんとなく、おっくうなっていて行けずにいた。
散髪屋のお姉さんが色々と質問してきて、それにただ「はい」と応答していたら散髪が終わった。税込みで3600円ほど掛かった。高いと感じた。 実のところ、僕は働くのが怖いのだと思う。他人に自分の惨めさを幼稚さを知られ見下されるのが恐ろしいのだ。
だからいつも何か「分かっている」ような文章をせっせと書き連ねて、そうやって自分をなんとか補填し、よく見せようとしている。しかし……。











2016/5/14(土) 



 


○。

△。
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「生きることは良いことなのかもしれない」と感じるときがある。
空が青かったとき、小さな子供が可愛らしい笑顔を見せていたとき、友人とお酒を飲んでいるとき……。
僕は確かに人生を肯定しようとしている。これでいいのかもしれない、と受け入れ忘れようとする。
しかし、その度に、どこからか冷や水を浴びせられて「違うぞ!」と声が響く。
ずぶ濡れになって辺りを見回したとき、そこにはいつもと同じ景色が広がっている。
いつか、温かい太陽に照らされるか、冷たい北風にさらされるだろう。
そしてまた身体が乾いてくる。あまつさえ濡れていたことも忘れてくる。
すると、僕に冷や水を浴びせ罵ろうとする、あれの足音が近づいてくるのだ。











2016/5/13(金) 



 


○。

△。
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気がついたら、また一日が終わった。
働いているときの一日と何もやっていないとの一日の重さはやはり違う。ストレスが殆ど無くて特に何かを考える必要が無くて、 その代わりどこにも属さないという無重力感が僕を漂わせている。
自分の将来。いつ消え失せてしまうのか分からない不安定な将来。そこに対する不安を紛らわせるようなものは幾らでもある。
僕は2重3重に自分を紛らわせているように思う。もしかしたら4重くらいなのかもしれない。
とにかく幾つにも重ねて自分を誤魔化し有耶無耶にさせて、それでなんとか1つの自己というものを保っているように思える。また、今書いているこの文章もその1つに過ぎない。
僕は誠実であることは良いことだと思っていた。











2016/5/12(木) 



 


○。

△。
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2ヶ月くらい前から、ひとつの短編を書いている。今まで幾つもの物語を書いては、その度に放り投げてきたのだけれど今回はそれなりに作業が進んでいる。
いちおう、大まかなあらすじは決まっていて、あとはそれを文字に起こすだけ。前後編に分かれていて、その前編のほうも7割くらいはできている。
ただ、これもそのうち投げてしまうような気がして、それが恐い。
最近、人が生きている姿を見るだけで「ああ、美しいなあ」と感じる。我ながら、恥ずかしい言葉というか。気持ち悪い感覚である。











2016/5/11(水) フワフワボンヤリ。



 


○。

△。
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今日もフワフワボンヤリしていた。
表面的に多少はよく見せることができたとしても、地の部分がフワフワボンヤリなので、結局はフワフワボンヤリなのである。 ウイスキーをカルピスと混ぜて水で薄めたもので口を濡らしてみる。
あまり美味しくはないけれど飲めないことはない。ただ、働いていない上に酒を飲むのはまるで絵に描いたような駄目人間に見える。
今日は良いことがあったと思う。
この場合での「思う」は僕の頭の動きである。だから厳密にいえば「僕という人間が、『今日は良いことがあった』と頭で思う動作をした」ということである。
ふつう、幸福的感情は心の奥底から湧き上がるものであって、いちいち「思う」などと頭を使うものではない。 頭で幸福的感情を観測した時点で、その感情はただの形式的なものに変貌してしまう。形式的なものは純粋なものと本質が異なる。
自分という人間はつくづく面倒なヤツだなあ、と思う。











2016/5/10(火) 音。



 


○。

△。
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郵便局に行ったり府民共済へ住所変更手続きをした。本を読もうとしたが数ページで放り投げてしまい、全く読めない。
それから下痢が微妙に酷い。朝、紅茶に入れた牛乳がよくなかったのかもしれないし、下着にはんてんを羽織っただけの格好だったからなのかもしれない。
何回もトイレに出入りするうちにある程度は収まったものの、未だにお腹からは空気が抜けたり震えたりするような音がする。
自分の部屋にいると外からはバットでボールを打つ音、それから洗濯機の回る音が聞こえる。
天井からは上の階に住んでいる小さな子供が走り回る足音が聞こえる。また、最近は雨の日が多いのでその音も聞く。
前の部屋は近くに学校と保育園があった。それから池と森があった。だから朝は鳥の声が聞こえ、昼は子供の声が聞こえ、夜になるとウシガエルの声が聞こえた。
今はもう聞こえない。











2016/5/9(月) 更新。



 


○。

△。
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ものごっつい久しぶりに用語辞典のほうを更新しました。 今日は原付きに乗って「なんかいつもよりも風が心地よいなあ」とか思ったらノーヘルでした。すぐに気づいてよかった。
あとウィンカー付けっぱなしが3回程度。
ケータイを家に忘れたとか。
3日前に市役所に実印登録をしに行ったときは財布忘れたおかげで雨の中市役所と自宅の間(片道25分)を2往復とか。











2016/5/4(水) 自殺の本質。



 


○。

△。
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自殺のことについてあれこれ書くページを考えている。
思うに、自殺志願者と自殺を考えない人の間には微妙な食い違いがある。
確かに自殺志願者の多くは、うつ病などの精神的な疾患を持っていることが多い。病気だから健康な人とは決定的に違うのかもしれない。
しかし健康な人は自殺というものを本気で考えたことがあるのだろうか。あの漠然とした「死にたい」という感情を持ったとしても、条件反射的に「自殺はいけないこと」だと考え、すぐにテキトーな理由を付けて気を紛らわせてフタをしてしまってはいないだろうか。
そうして自分の感情のことは棚に上げて他人に対しては無責任に「死ぬな」と言っているのではないか。
自殺志願者にも同じことがいえる。ただただ自分の希死念慮に押しつぶされてはいないだろうか。精神的にかなり辛いとは思う。僕も以前はそうだった。これからもそうなるかもしれない。
だけども死ぬ/死なないの二者択一から一歩身を引いて「なぜ自分は死にたいと思うのだろう」と、ゆっくりでいいから考えてみてもいいと思う。
結局、自殺志願者も自殺を考えない人も、自殺の本質自体についてはあんまり考えていなくて考えたとしても表面的な理由で止まってしまっているのだと思う。
それでよく分からない宙ぶらりんな場所で自殺をする/しない、を言い合っているのだ。
でも、口だけは達者な僕自身もあまりよく分かっていないので、あんまり書けそうにないのだ……。











2016/5/3(火) 手続き。



 


○。

△。
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新しいお家は原付きを屋根のない場所にしか置いておけないのでバイクカバーを買った。
税抜き3980円の完全防水タイプと税抜き980円の完全防水タイプじゃないのがあった。
もし、働いていたのなら迷わず高い方を買っていただろうけど、そういうわけではないので安いほうを購入した。
少しwebのほうで調べたら本当に高いやつは一万円もしちゃうらしい。やべーやべー。

一年前に書いた日記を読み返したら、ちょうどGWちゅうで無茶苦茶忙しいときもあって、怨念めいた文章が載っていた。やべーやべー。今も対して変わってないか。やべー。











2016/5/2(月) 手続き。



 


○。

△。
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市役所に行く。
住民票発行。国民健康保険加入手続き。国民年金支払いの免除申請・住所変更手続き。
それから銀行に行って通帳の住所変更手続き。家賃の自動送金の手続き。水道代の自動引き落としの手続き。
水道の割当番号に不備があるかもしれないので一旦帰宅し、でも結局問題なかったのでそのまま手続き。
もう一度市役所に行き、原付きのナンバープレートの変更。運転免許証の住所変更。

受付の人とやりとりをしているだけで、なぜだかどうして僕の精神的な部分がガリガリ削られていた。
書類を1つ書く度に大体1つは訂正印を押していた気がする。
いつも日記の中ではエラソーなことをのたうち回っているのだけど、こうして実際に人とやりとりをしたときの明らかなメンタルの弱さ。幼稚さ無力感とか、 ああどうしてこの人はキチンと働いていて大人をしているのに僕みたいな人間は書類1つの書きかたとか一つ一つの所作が馬鹿っぽいんだろうとか手取り足取り教えてもらったりして 何だか本当に申し訳ないあ、また字を間違えた訂正印ばっかりだよこの紙。とか今働かれてますかって無職だようゴメンナサイゴメンナサイああ働かないとなあ、とかその他諸々おろろろろ。
原付きを走らせているときもボーッとしちゃって、クラクション2回くらい鳴らされたし信号を3回くらいムニャムニャしちゃったしこれ絶対そのうち事故るなとか色々思った。思ったのだ。

話は変わるけど、gif画像を作った。Twitterが表示されている場所の下でチマチマと動いているヤツがそれだ。2時間くらいで作った。今晩も少し修正した。計3時間程度。
いちおうあと数匹(?)増える予定なのだけど、どんな風にチマチマするのか全然考えてないんだな。これはいつ完成するのか分からないヤツなんだな。わはは。











2016/5/1(日) 箱。



 


○。

△。
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僕は箱に囲まれている。
箱は大体縦30センチ×横35センチ×奥行き30センチの正方形に近いモノと、縦30センチ×横55センチ×奥行き30センチの長方形のモノがあって正方形と長方形の比率は4:6くらいだ。
箱は全て同じデザインであり側面には「No」という文字が印刷されている。また、そのほかには「人形」「包丁」「鏡」「時計」「箱入りギフト(食器・鍋・シーツ・タオル・ハンカチ・靴下)」「額」「置物」「食器(洋・和・ガラス)」「スプーン類」「本」 「靴」「傘」「洗剤」「タオル」「鍋」「調味料」「食料品」「文房具」「バッグ」「服」「花瓶」「化粧品」「酒」「CD ガラステープ」「電化製品」「キッチン用品」「その他」 「ラップ類」「お盆」
とあり、そのなかで「本」と「置物」だけマル印が付けられている。
それから赤く大きな字で「ワレモノ(有・無)」と印字されている。
箱は黄土色のダンボールでできている。












2016/4/24(日) 引っ越し。



 


○。

△。
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あと一週間もしないうちに引っ越しをする。去年も引っ越したわけだから、これで小中高それから大学のほうから僕を追うことはできなくなると思う。
もう学生時代のころのことなんて興味も無いし、殆んど忘れてしまったのだから、これで良いのだと思う。学校だよりが送られることが無くなってゴミもかさばらなくなる。
それに、Twitterやlineがあるのだから、一応の連絡をつけることもできる。
でも、Twitterにしろlineにしろ、いつかは終わるときがくるのだと思う。数年前まで僕の周りで少しだけ流行っていたmixiは、もう誰もやっていない。
代わりのSNSが現れるのだろうか。それともSNSという体系自体が廃れてしまうのだろうか。どちらにせよ、移り変わるときがくるのだと思う。
Twitterやlineのときは直接会うような人が周りに居たから、上手く入り込めた。だけども、今となってはそういった機会が極端に減っていて、減り続けている。
もし、もう一度、インターネット上の引っ越しをする必要があったのなら、きっと僕は誰も知らない内に何処かに行ってしまっているのだと思う。下手だから。











2016/4/23(土) メモと。



 


○。

△。
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22日に書いたメモ
深夜2時30分ごろ。
僕は今、日記を書くことができているが、これは昔、本を読んでいたからだ。
読書をすることによって、文字を吸収し、頭のなかでこねくり回し精錬させて初めてアウトプットすることができる。
だが、いつか限界がくるときがあるのだと思う。なぜなら今の僕は本を全く読んでいないからだ。
頭のなかにストックされている文字なんて、たかが知れてる。



14時ごろ
歩いていると、自分は今、歩いている状態だと錯覚することができる。

15時ごろ
お昼と夕方の間くらいに察bぽすると、部活動に励んでいる学生、公園で遊んでいる子供を目にする。どれもこれもその一瞬を謳歌しているように見えて、それが心地よい。
たとえ、それが錯覚だとしてもだ。

18時ごろ
自殺は苦痛からの逃避が主だと思われるが、僕は自殺には別の面も持ち合わせていると思う。
それは生への当て付け・見せびらかしだ。ここでいう「生」とは生きているもの、或いは社会なのかもしれない。
自殺というモノを当て付け・見せびらかしすることによって、「生」に対して冷水を浴びせる。それは自殺する者にとっての、ささやかな最後の抵抗だ。
しかし、生に意味が無いのであれば、死にも意味が無い。だから生きること死ぬことにある基準を設けてしまっている自殺にも意味が無いのだ。
自殺しても意味が無い。これが僕に一番の恐怖を与える。生きたとしても死んだとしても、ましてや自殺したとしても、何も残らない。僕が今抱いている虚無感も含めてだ。

   


4月23日
「宇宙船地球号」という言葉も似ている。
子供のころ、どこかの学習本で見た言葉だ。たしか、こんな文章が載せられていたはずだ。

「わたしたちは広い宇宙に浮かんでいる『地球号』という名の宇宙船の乗組員です。この宇宙船にある資源は限られています。環境を守り資源を大切にしていきましょう」

地球を宇宙船に例えたこの言葉は十何年も経った今でも覚えている。
しかし、今、その言葉を思い出したとき、「地球は、どこまでも広い宇宙のなかにポツネンと浮かんでいるちっぽけなモノ」と捉えてしまう。
広大で力強く、まさに生きる基盤となっていた地球。だけども、それは錯覚だった。生きる意味が有ると錯覚するように。











2016/4/21(木) 雨の音。



 


○。

△。
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遠くのほうで雨の降る音がホワイトノイズで聞こえてくる。
打って変わって、近くのほうではベランダにある管の中を流れる雨水がボチャボチャという音を出している。 なぜ管の中を流れる音が聞こえるのかといえば、それは窓の直ぐ近くにあるからということもあるけども、 真上の階から垂直に降りてきている管の一部、僕の部屋のベランダの面とちょうど交わるその部分に意図的に5センチ程度の隙間が開けられている構造になっているからだ。
たぶん、ベランダの排水口も兼ねているのだと思う。その隙間から例のボチャボチャとした音が聞こえてくるのだ。
そのボチャボチャは複雑な印象を僕に与える。あまり心地よい音でもないけども、だからといってそこまで不愉快ではない。
ボチャボチャは食べ物を音を立てて食べたときの音に似ているような気がする。ボチャ、ボチャ、クシャ、ペシャ。
理由はそれだけなのだろうか。自分でもよく分からない。











2016/4/20(水) 最近と昔。



 


○。

△。
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ここ数日の間はずっと家に引きこもっていた。なんとなく家にへばりついていた。その間も特に何かをやったということもなく、ただただ怠慢で堕落した日々を送っていた。
一日がとても早く感じた。目が覚める時間は昼の14時くらいで、漫画を読んだりゲームをしたりスマホを弄っているだけで日が暮れていた。 夜になっても真夜中になっても僕の態度は変わらなかった。変化することといえば毎日の食事、それからゲームの進行度くらいだった。
夜が明けて、窓の外にある保育園や小学校から子供の声が聞こえてきたあたりで、やっと床についていた。風呂にも入らずヒゲも剃っていないので、かなり酷い有様だと思う。

熊本のほうで大きな地震があったということは、テレビを見なくてもTwitterを眺めていたら、あたりまえのように知ることになる。
僕は大学の1回生のころに受けていた授業を思い出す。
作文を書く授業だった。ただ、普通に書いてそれで終わりではなく、自分が書いた作品を後日、自分で読み上げて発表する。読み上げたあと、先生が何かしらのコメントをする。そんな形式をとっていた。 1クラスだいたい15、6人程度でやっていたから、時間的にもそれほど無理はなかった。
そういった形式は一般的なのかそうでないのか今でもよく分かっていないが、変わっているなあ、という印象を持っていた。
そのときのお題は東北で起きた震災だった。当時は2011年の4月ごろ。まだ震災が起きて1ヶ月が過ぎたころだった。
様々な人が様々な作文を読み上げた。「私にもなにかできることはあるはずだ」「テレビで津波の映像を見たとき、呆然としてしまった」「今でも被災地では沢山の人々がつらい思いをしている」……。
そのうち、1人の女の人が次のような旨の作文を発表した。「遠く離れた場所で起きた震災のことなんて本当は誰も興味が無いのではないか」
その人のあと、僕は少し震えた声で「震災のことなんて自分には関係のないことだから興味が持てない」という作文を読んだ。
当時、先生が僕の作文に対してどのような感想を言ったのか忘れてしまったし女の人がどういった表情をしていたのかも分からない。 ただ、僕は自分が思っていることしか書けなかった。そんな人間だった。

5年経っても僕はあまり変わっていない。











2016/4/19(火) 記憶。



 


○。

△。
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日が経つにつれて記憶は薄らいでゆき、新しいものへと更新されていく。
日記を少しだけ見返したとき、昔撮った写真を眺めたとき、そこには僕が僕であった断片が羅列されているけども、断片は断片でしかなく、そこに僕の姿は無い。
他人の過去の姿を見たときも、同じように考えるべきである。
しかし、僕はそこに他人の姿を感じてしまう。
やっかいなことに思い出は美化される。過去は都合良く捻じ曲げられ、散々弄られたあとに残り香という添加物をそえられる。 記憶が遠くなれば遠くなるほど、そういった傾向は強くなっていく。
その歪んだ過去を、僕は大切に抱えている。











2016/4/15(金) 山散歩。



 


○。

△。
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今日も人里離れた場所を歩いた。
適当な電車に乗り、適当な駅で降り、適当なバスに乗る。終点までボンヤリする。バスから降りたらそこは知らない風景だ。
「他人は自分を映す鏡だ」という言葉を耳にしたことがある。今まではその意味をあまり理解できなかったが、最近、それを肌で実感しているような気がする。
僕が人気の無い場所ばかり行くのはそのためだ。人間という存在は僕に生々しい印象を与える。そしてその要素の一端は確実に僕で出来ている。
それを見るのが嫌だから誰もいない場所に行くのだ。木は何も見せない。鳥は何も言わない。僕はそこに1人でいるからこそ本当の意味で1人になることができる。
4月も、もう半分を過ぎてしまった。











2016/4/14(木) 散歩。



 


○。

△。
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朝 無し 昼 袋ラーメン(とんこつ味)1袋、グリーンティー1杯
間食 バランスパワー(カロリーメイトの亜種。安い)沢山。グレープフルーツジュース
夜 ご飯1/4杯+シチュー。レバー4切れ。なめ茸スプーン一杯分。エビの天ぷら1尾。

今日も食べたものを書いたけども、数日で飽きると思う。
今日は新今宮駅から南方向に歩いた。
あいりん地区、阿倍野神社、住之江大社を見た。いつものように写真を何枚か撮ったのだけど、あまり面白くないからupはしない。
やはり一番印象に残ったのがあいりん地区で、いたるところで、おじいちゃんが路上に座りこんでたむろしていたり、寝転がったりしていた。
現政権を批判する文章が書かれた看板、ブルーシートで覆われた小屋、5分おきくらいで見るパトカーしかも1つは車内で事情聴取中, 「生活保護」「神の再臨」……。
マイナスっぽい言葉を並べてしまったけども、僕の印象としては慣れ親しみができそうな雰囲気だった。おじさんとおじいちゃんとおばさんしかいなかったし。 アメリカ村のほうが100倍恐い気がする。
もしかしたら、将来お世話になるのかもしれないなあ、と思ってみたり。











2016/4/13(水) 最近はのり弁が好き。



 


○。

△。
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今日食べたもの

昼 うまかっちゃん 博多からし高菜風味 一袋分

間食 ビスケット3枚

夜 ご飯半杯+シチュー

間食 マーガリンとイチゴジャムを塗ったトースト一枚それからココア一杯


この前、ご飯を食べたとき、肉料理だったのだけれど「アロハってお肉駄目だよね」と言われた。
そのとき「あれーっ……僕ってお肉食べれない人だったっけ……?」
と思った。
でもなんだかそう言われてみれば僕はそんなひとだったような気がするし、 よくよく考えたらツイッターとかここの日記とかでそんなことを書いたような書かなかったような気がする。
では目の前の鉄板でジューっと焼かれているこの牛肉は僕の嗜好的にみてどのようなものなのか、
美味しい!と思うほどでもないけれども、そこまで不味くもなく、でもたくさん食べたら飽きそうな食べ物……。
概ね、そんな感触だった。僕は自分の好みもあんまり把握できていないし覚えてもいないのだ。お酒のせいもあったのかもしれないけれど。
なので、今一度、僕のお肉に対する好みを整理してみると、下のようになる。

・美味しいお肉
ウィンナー、サラミ、牛丼の肉、カレーとかハヤシライスに入ってる肉、チンジャオロース、唐揚げ、焼き鳥、親子丼の肉

・美味しくないお肉
ハンバーグ、トンカツ、しゃぶしゃぶ、ステーキ、おでんに入ってる肉、チキン南蛮

・判断が難しいお肉(つまりあまり沢山は食べたくない)
焼き肉、ミートボール、生姜焼き、コロッケ

こうして並べたとき、ある共通点が見えてくる。それは僕が美味しいと思えるお肉は味付けがされているが、美味しくないお肉は素材の味が前面に出てきているのだー!
つまり、僕はやっぱりお肉がそこまで好きじゃない、ということなのだ。おわり。











2016/4/12(火) 



 


○。

△。
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ここ数日、なんとなく仕事を探すようになったと思う。時間が経ちすぎたというのもあるし、銀行口座の残高が日に日に減っていくのが少し怖くなってきたからなのかもしれない。
しかし、また、あの社会というものの中に戻るのかと思うと、少し怖くなる。
長時間労働、圧力的な上司……。…………。
働いていたときにあった嫌なことを具体的に書き並べようと思ったけども、やめた。
僕が受けたようなことは、おそらくどこにいても同じなのだと思う。どこでも、嫌な上司がいて、嫌な企業体質がある。
昔の上司によれば、そういうのを会社の色、というらしい。それが会社の個性で、尊重されるべきものであると、 しかし最近はすぐにサービス残業がどうとか労基がなんだと言われて困る。とのこと。
また汚い言葉が出てしまいそうなので、もうあまり書かないけども、自分の会社の汚点を美点としてしか見ることができないのであれば、もう、どうしようもないのだと思う。
一番の問題は、そういった考え、つまり社員に対する明らかに不当な扱いを会社ぐるみで美化し正当化するような企業は、他にも幾らでもある、ということだ。
うーん。











2016/4/10(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
3度目か4度目のアラームを止めた。寝過ごしてしまうと自動的に延長料金が発生する。だから念入りにしつこく設定していた。
スマートフォンの画面は5時30分を示していた。あまり期待は指定なかったけども、それなりに眠れた。
店を出る前にもう1度だけドリンクバーのアセロラドリンクを飲んだ。それから勘定をすませた。階段を降り、建物の外に出る。辺りは既に明るかった。
僕はショルダーバッグの中から、くしゃくしゃになった帽子を引っ張りだして被った。
「その日がどれだけ良い火であったとしても、一睡して、それから起きたとき、どれだけの記憶が残っているのだろうか」
寝る前に、メモ帳にそれだけを書いていた。
実際のところ、僕は殆んど忘れていた。











2016/4/9(土) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
愛しすぎて愛されない。
耳が痛いわー。











2016/4/6(水) 散歩。



 


○散歩していたら良い場所を見つけた。

△焦燥感。
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家のなかにいると、閉塞感と倦怠感に包まれて息が詰まりそうな思いをするので、殆んど毎日、外出している。
だけども、当然ながら無収入なわけで、お金は使えば使うほど減っていくわけで、だから金銭面的に十分な余裕があるわけでもない。
なのであんまりお金を使わないようなことをしている。
なので散歩ばかりしている。
散歩は楽しい。適度に身体を動かすことになるし、色々なモノを見ることができる。ちょうど今の季節は桜が綺麗だ。どこでも見れる。
今日も適当に歩いた。とくに行き先は決めていない。決めることは殆ど無い。目的は歩くことであって、行き先に到着することではない。だから気の赴くまま足の赴くまま歩を進める。
緑道、住宅街、バッティングセンター、道路沿い……。1時間と30分ほど歩いていた。頭のなかはカラッポで足だけが動いていた。
ふと、舗装が充分でない脇道を見つける。そのすぐ隣は林が広がっている。少し迷った後、脇道に入っていく。
脇道は進んでいくと傾斜がきつくなってくる。周りはもう森になっている。首吊り死体があってもおかしくないなあ、と考える。
書くのが飽きてきたので終わり。











2016/4/5(火) 再開 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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もう日記を書く気力があんまり無く、また、書けば書くほど恥を重ねて塗っているようで、それはここで日記を始めたときから自覚していたことだけども、 その感情が以前よりも増して強くなったようで、結局、嫌になって放ったらかしにしていた。
放置していたら、自分の内情が身体の中でとぐろを巻くようになった。水をめいっぱいに吸った綿のようなモノがグルグルグルグルと僕のなかで巻かれていって、 それは元々、鬱々としていた僕をより深い場所へ沈ませていくモノだった。
僕は惨めにも、この場所で自分の内情を吐露しておかなければいけないのかもしれない。書いたら書いた分だけ自己嫌悪に苛まれるというのに。
とりあえず、今日のご飯を書いておこうと思う。
朝、無し。
昼、カップ麺。
夜、肉じゃが。
肉じゃがに入っているジャガイモは芽が全然取り除かれていなかった。











2016/2/25(木) 長文 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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生活リズムが完全に狂っているので今日も昼過ぎまで寝ていて、起きたら起きたで延々とスマホを弄っていて。気がついたら16時くらいになっていた。
これはいけないと思ってとにかく外に出た。スマホの中だけで一日を過ごしたくなかった。
フラフラと緑道を歩いていた。特に目指すものは無かった。
川があった。その側壁からは太い管が伸びていて、じゃばじゃばと勢い良く水が流れ出ていた。その光景がなんとなく気に止まったので写真を撮った。
うつりが悪かったので、もう一度撮ろうとした。スマホをじっと見つめる。
じゃり。すぐ隣で音がした。びっくりして音の方向に顔を向けると、知らないおばさんが僕のそばを通ろうとしていた。
「こんにちは」そう言おうとしたが、口が少し動いて呻き声のような音が少し漏れただけだった。
おばさんは不審そうに僕を見やると、どこかに行ってしまった。

生きていてもどうせ死ぬのだから不幸だ。そうだとしたら例えば永遠に生きながらえることが出来たとしたら幸福になれるのだろうか。
やはり不幸のままだと思う。飽きてくるからだ。生きていることに。 永遠に生きて、そのうち全知全能の存在になったとして、世界と同一の存在になれたとして、果たしてそこに何があるのだろうか。至高の悦びでもあるのだろうか。考えても仕方がないことだけど。
どちらにしても不幸なままなのだ。この世に生まれた時点で、もうどうしようもない。

不幸という感情はどこからきているのだろう。
不幸というものはマイナスの感情だと思う。ではなぜマイナスの感情なのだろうか。
・どうせ死ぬから。
・その上、人間はいずれ絶滅するから。
・その上、地球も消滅して宇宙も消滅するから。
・だから、生きて、何を成し遂げようともそれに意味は無いから。
・でも死ぬのも恐い。
・だからといって生きていく上では何の意味もない仕事をさも意味ありげにやらないといけず、それが苦痛だから。
ということである。頭で自分の今後を考えたとき、僕はどうやっても無意味に死ぬことしかできないし、 だからといって今すぐに自殺しようかといっても本能的に恐いので出来るはずがないし、 では生きることもせず死ぬこともせずゴキブリか蛆虫みたいにズルズルと日々を送るかといえば、それは社会が許さないのだ。
ものすごーく、どうしようもない。だからマイナスなのだ。
マイナス、マイナス、マイナス!この世はマイナスに包まれている。僕の目に映る物事全てがマイナスに見える。
僕は動物的にこの世をマイナスだと捉えている。苦痛だから。どこに転ぼうとも苦痛が待っているだけだから。いいかえれば、マイナスという感情は僕の動物的な部分からきている。
しかし、この世には意味が無い。だとすれば僕が抱いている負の感情さえも意味が無い。そしてそのメタ認知にすらも意味が無いのだ。
結局、この答えに行き着くのである。注意点はここには不幸が無いが、幸福も救いも無いということである。
一番の問題は、僕がそれを理解することができないことだ。賛同しえないことだ。僕の動物的本能がそれを許さないのだ。
僕は実のところ救われたいのだ。幸福になりたいのだ。いや厳密にいえば不幸でもいい。なぜなら不幸にも意味があるから。 だから何度も何度も同じことを考える。幾ら考えても同じ結果に行き着く。しかし僕は思わず「違う!」といってしまう。
「意味が無い」という場所を見たとき、僕は本当にどうしようもなくなってしまうのだ。











2016/2/22(火) 



 


○。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
窓の外から聞こえる子供の声で目が覚める。家の近くには保育園がある。 子どもたちは一生懸命にはしゃいでいて、その中から先生のものだと思われる叫び声に近い声も聞こえる。
洗濯物の隙間から見える空は青く澄み渡っているが、それが見えるこの部屋は肌寒い。気分はあまり良いものではない。
はんてんを羽織る。カップラーメンを食べるためにヤカンに水を入れ、火に掛ける。
今日も生きているなあ、と思う。そこに意味は無い。

働かなくなってもう3週間がたった。日々の生活がつまらない。
家に引きこもっているのは本当につまらない。 では外に出ればいいのではないか、と思うけども外に出たとして、そこに面白いものがあるのかと考えた時、そこで疲れてしまう。 難波に、梅田に、面白いものは果たしてあるのだろうか。いやたぶんあるのだろう。僕が知らないだけで、良い場所はきっとあるのだろう。きっと……。
幸福感というものはますます僕から離れていく。書店に並んでいる本をぐるりと見渡せれば「幸福」を取り扱った書籍が山程ある。それほど幸せが求められているのだろう。
心理学だの哲学だの、昔の偉人を引っ張りだして、それっぽい言葉を並べて、分かった気にさせる。
分かった気になる、ということはそれで行き止まるということだ。考えなくなるということだ。
逆にいってしまえば、悩むということは考えることだ。ただそれだけのことなのだ。考えればいいのだ。自分の中で考えて考えて考えぬくのだ。 そうしたとき、どうなるのかな。知らん。分かった風な態度でこんなことを書いている僕自身は何年間も不幸続きだしな。全ての幸福感をただの錯覚としか思ってないもんな。もうやめよう。











2016/2/18(木) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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今日は保健所関係の手続きをするために区役所にいく予定だったけども、朝起きたとき、どうにも家から出る気分ではなかったのでやめた。
それからは寝たり起きたりをしていて過ごしていた。大きな人型の化け物に殺される夢を見た。
相変わらず、仕事を探そうともしていない。やる気が無い。このまま面接を受けても落とされるだけだろう。
職を探す意外の、日々のなんでもない生活に対してもやる気が無い。3週間も経たずしてやりたいことをやってしまったような気もする。
本当はまだ別にやりたいこともある。しかしそこに踏み出すのが恐いという思いもある。そうしていると時間が腐っていく。












2016/2/17(水) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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昨日、姫路の太陽公園に行った際、障害者の団体と会った。
太陽公園はただのレジャー施設ではなく、同敷地内の福祉施設に入所している障害者が一部の運営をしているらしいことは知っていた。
その集まりからは呻き声が聞こえた。
ひとりの人に「こんにちは」と声を掛けられた。その挨拶は明らかに発音が異なったものだった。会釈で返した。
僕と彼らは地続きだ。頭のつくりがあともう少し違っていたら、僕は彼らと同じ場所にいたのかもしれない。そう思うと怖くなった。
僕は彼らを自然に見下していたし、彼らよりも挨拶ができなかった。











2016/2/8(月) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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6日(土)
昨日は和歌山の端っこのほうまで行った気がする。
温かい日差しを受けてキラキラと光る海、同じように光を浴びながら海沿いの道路を歩いていて「ああ、なんて穏やかなんだ」とかなんとか思っていた気がする。
要塞跡のほうは、実は要塞っぽいところが少しだけであって殆んどが山、山、山だった。 一部、マトモに舗装されていなくて、人の足で踏み固められただけの道を通ったり、柵もなく、一歩踏み間違えたら簡単に死んでしまいそうな崖のそばを通ったりした。持ってて良かった運動靴。

8日(月)
時間を無駄にしている、と切に感じる。しかし、無駄とはなんだろうか。どうせ死んでしまうのに、いや、これはただ動きたくない自分を正当化するための言い訳にすぎない。
どこか遠いところにいきたいと思う。大きな観光地ではなくて、ありふれた川沿いの道だとか、海辺。慌ただしい都会。そんな遠くの場所。
そこで引っ掛かるのはお金の問題。使えば使うほど、今の生活が出来る期間が短くなる。それに元々、長くはもたない。











2016/2/5(水) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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時間の間隔が殆ど無い。無職になってから随分時間が経ったように思えるのに、まだ一週間も経っていない。
寝て起きて、スマホを弄って、気がついたらまた寝ていて、起きたので今度は本を読んで、虚しくなったのでココアでも飲んでいたらまた寝てしまっていて、 そうしているうちに日は沈んでいる。窓の外から子供の声が聞こえなくなっていて、時折り、車が通る音がするだけだ。
今日はユーフォを持ってカラオケボックスに行った。
約10ヶ月ぶりの楽器の感触は悲しいものだった。衰え、限界。そういった現実が僕に突きつけられた。
少し、昔のことを思い出すこともあった。だけども、過去は過去でしかなかった。それはこの宇宙のどこにも存在しないものであったし、僕が思い出すそれはどうしても美化されていた。











2016/2/3(火) 無色3日目 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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この数日間、本当に堕落していたように思う。大学生だったころのように、家に引きこもり飽きもせずスマートフォンを弄っていた。 本を読まず、どこかに出かけることもせず、手のひら程度の端末に世界を見ていた。そこには何もなかった。
一日が随分短く感じる。このまま半年、一年が経ったとしても、僕の中では些細なことになるのだろう。だけども例えば僕の外にいる友人たちと会ったとき、 僕と僕意外の明らかな違いに劣等感を抱くことになるのだろう。だからといって会わずにいると、ずるずると時間が過ぎていくだけで、それだけ間が開くことになる。 大人と子供。社会人と無職。適合者と不適合者……。

宗教や政治に熱を入れている人と。僕が死を考えることは、傍からみたら似ているのだろう。盲目的だから。
それらは関心がない人たちにとっては本当に意にも介さないことであり、どうでもいいことなのだ。僕が社会の物事全般に対してそう感じているように。
真実、真理、正義、幸福、人生。誰もが何かしらの答えをどこかで求めているのだと思う。ただその求め方が尊重するものが違うのだ。
問題は優越感だ。人はしばしば優越感を抱きたがる。本人の意志に関わらずどこかで他人の上に立ちたがる。そうしておかないと自分の正当性が保てないからだ。
完全に安定した土台など無いのだ。自分が今もっている正当性など、いつ崩れ去るのか分からないのだ。だから宗教にしろ政治にしろ死ぬことにしろ、 それらに対して優越感を抱くべきではない。たとえそれが盲目的で愚かにみえたとしてもだ。











2016/2/1(月) 無色 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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仕事を辞めた。
保険の兼ね合いで本当は30日までしか働いたらいけないはずなのに、どういうわけか31日まで働く羽目になった。
タイムカードを少々誤魔化したらしい。後から操作できるタイムカードに意味はあるのだろうか。
31日の労働時間は12.5時間+サービス残業3時間。その日も相変わらず上司から罵られ、つまらないこと1つで粘着的に馬鹿にされた。最後までそういう職場だった。
研修も含めれば10ヶ月程度働いたようだ。新社会人としては持ったほうなのだろうか。いまいちよく分からない。どのみち一年未満なので大して変わらないのかもしれない。
僕はやっと仕事から開放された。
開放されて、それから、どうすればいいのだろう。答えは出ているはずなのに、どうすればいいのかわからない。











2016/1/21(木) 



 


○。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
僕が死に固執する理由は、たぶん未だに救いを得たいと考えているからだと思う。
もしかしたら何処かに少しでも希望があるのではないか救いがあるのではないか、そう考えている。
しかし宗教だとか安直な人生論といったものは「物事の本質を見ていない」といって跳ね除けている。
そうすると、そこには虚無、無意味、絶望。そういったものしか残らない。












2016/1/19(火) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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たった1つ分かることがある。それは僕が幾ら死を考えたところで、絶対に死を理解することはできないということだ。
それでも考えなければいけない。少しずつでもいいから考えなければいけない。そうやってやっと考え抜いたものは他の多くの人々が既に考えたことだと思う。
それでも考えなければいけない。











2016/1/18(月) 



 


○平穏。

△やる気が無いよ。
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退職まであと2週間。周りの人たちからは「辞めてからどうするの」と聞かれたりしてるけども、いつも曖昧に答えている。
普通なら次の仕事を探すところだろうけども、自分の中ではモヤが掛かったままだ。だから曖昧な答えで誤魔化すしかない。
仕事に追われているときは閉塞感でいっぱいだった。このまま死にたくはないと思った。
仕事を辞めることが決まってからは開放感に包まれた。しかしそれはとたんに虚無感に変わった。どうせ死ぬことには変わりがない。
やはり人間としては仕事だとか研究だとか常に何かに追われていたほうが健康的なのかもしれない。
仕事から開放された今、僕を追うものは死だけだ。
それなら、今一度、ゆっくりと死について考えるべきなのかもしれない。











2016/1/12(火) 



 


○。

△やる気が無いよ。
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こんな日記を書くくらいなら、さっさと寝てしまえばいいのに、と思う。しかし書かなければ寝心地がわるいような気もする。
と、いっても今日はとくに何かがあったわけでもなく、あったとすれば、チョットPLの塔に行ったくらいだった。
そうじゃなくて、なんだか夕方くらいから妙に僕の中で焦りというか、焦燥感というか、そういったものが僕の中でグルグルと回り続けているのである。
これはいったいどこからくるのだろうか。ぼくはこの感情に対してどのように対処すれば良いのだろうか。
やらなければいけない、動かなければいけない、そう思いつつも結局は何もしないのだ。自分に言い訳ばかりをして……。
そういえば、最近は、また昔のことを思い出すことが多くなった。それは大学1回生のときとかではなく、もっとずっと昔の中学生のころだとか、小学生のころだとか。
僕が今のような性格になったのは一体いつからだっただろうか。いつから嘘をついて、無理をするようになったのだろうか。
そんなことまで、ここに書くことはないと思うけども。











2016/1/10(日) また 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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また1つ、やらかしてしまった。おかげさまで朝の8時半から恫喝みたいなお叱り。
電話口だったのが幸い。その上司に叱られると僕は非常に疲れた表情をしてしまうため。それが上司の癪にさわるため。
理由は行動の先送り。おまけに確認ミス。さらに報告の遅れ。そりゃあ上司も怒る。当たり前だのクラッカー。好きになれない上司だけども恫喝気味になるのも分かる。
つくづく自分の頭の作りが嫌になる。
主な原因は行動を先送りにしてしまったことである。
発達障害の症状のなかにそういうのもあるけども、それを理由にして悲観して逃げるのもよくない。逃げようがないけども。
事態は収束していないので、あともう少し怒られるだろうし、色々とやらないといけない。











2016/1/6(水) kaze 。



 


○。

△やる気が無いよ。
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例えば、目の前に生きることに疲れた人がいて、その人に何か言葉を掛ける必要があったとき、僕は何を言えばいいのか分からない。
生きることに対して否定的な言葉か、空っぽの、当り障りのない言葉しか出せないからだ。
だから、もし、本当にその人のためを思うのであれば、僕は何も言葉を紡ぐべきではないのだと思う。黙って、その場を離れるべきだと思う。

風邪の症状がずっと続いている。もう一ヶ月が経ってしまったように思う。年末年始、ずっと風邪に悩まされてきたわけだ。
ふと、「もしかしたら、死ぬまで風邪をひいたままなんじゃないか」と思う。そんなことはないのだろうけど、 風邪を引いていない状態の自分を思い出しづらくなっている僕は、それが少し怖かった。











2016/1/5(火) あけおめ。



 


○。

△やる気が無いよ。
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大晦日だから、新年だから、日記を書こうと思っていたのだけれど、結局書くことはなく、今になって書き始めた次第。
最近は右のほうの瞼がよく痙攣を起こすようになった。原因はよく分からない。ストレスだろうか。 年がら年中マイナスの事しか頭にないクセに今になって心身症が現れたのだろうか。それも変だ。だとしたら目が酷使されたからだろうか。 それもなんだか違う気がする。目の使い方はいつも通りだ。それに、一日の殆どは目を酷使しない仕事で覆われている……。
結局は年末年始で忙しかったから、少し疲れているのだと、そう思うしか無いのだろうか。

僕が人前で黙ることが多い理由は、他の人と観ている世界が違うからということがある。
人と人が会話をするとき、だいたいは共通の視点、感情を改めて共有して、そこに快を求めるのだと思う。
だけども、僕が持っている視点或いは感情というものは明らかにズレている。ドロドロとしすぎている。 そこから共通のもの、つまり他の人が快を思えるようなモノを汲み取るのは非常に労力を要する。 それに、そうしたところで、結果的にはズレたままのほうが多い。会話は長続きしないし、したとしてもその中身は無い。僕の発する言葉は僕でないのだから。
だから黙っているほうが楽なのだ。それに、話を聞くだけというのも、僕にとってはそれなりに楽しいことなのだ。











2015/12/30(水) 年末。



 


○。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
今年も色々あった。その殆んどはあまり良くないことだった。それは僕の内外のどちらともに言えることだ。
いまさらその内容を書こうとは思わない。書いても仕方がない。書いて、なにがあるのだろうか。よけいに"良くない"が増えるだけだ。
来年、僕は生きているのだろうか。いや、生きていたとしても、この日記を書いているのだろうか。書くことができる状態にいるのだろうか。
僕は今、緩やかに社会から逸脱していっている。そもそも、僕の身体が社会の中で生きることはできないようになっている。だから、逸脱する。
ある人はそれを逃避と呼ぶのかもしれない。
高校3年生のころ、担任の教師に「あなたは他の人とズレている。もっと普通になりなさい」と言われた。
そのころから”普通”に対して反感を抱いていた。 しかし僕は泣いてしまった。自分を否定された。そう思ったからだ。 僕は自分を否定されたことに対して言葉で反論するのではなく、泣くというみっともない手段を取るしかなかった。 結局、僕は普通になることはなかった。
今年の春に、自分は決して普通になることはできない、と診断された。障害者でもなく健常者でもない。ただ、普通の人ではないと。
だから僕は逸脱する。










2015/12/24(木) クリスマス。



 


○。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
実際にコレを書いているのは25日の14時。なぜならあと2時間くらいで出勤だから。
昨日は早めに仕事を上げてもらったあと、とくに何をすることもなく、スシローに行っただけだった。
話は変わるけども、突然、「また何かを書きたい」と思えるようになった。日記を最近書いていなかったせいもあるのかもしれない。 やはり僕は心情をどこかで文章にしていないとそこかでストレスが溜まってしまうらしい。
その感情が続いている内に、色々書いて見ようと思う。公開することは無いだろうけど。











2015/12/23(水) 公休明け。



 


○。

△やる気が無いよ。
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なんだか今日から3週間くらい休みが無さそうだったり今日だって13.5時間労働+2時間のサービス残業だったり、 これから21日くらいずっとこんなのが続くのかと思ったり、サビ残の原因は仕事が遅い上に他人の仕事に一々口出しをしてくる上司がいるからだなあと思ったりしたけども、 そんなことは置いといて、風邪が酷い。
昨日難波に行ったあたりから酷い。頭痛と咳と鼻水と痰と酷い。
年末年始はどうなるのだろうか。











2015/12/22(火) 最後の公休。



 


○。

△やる気が無いよ。
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今日は年末年始最後の公休だった。
自宅に引きこもっていると、何だか時間を無駄にしているような気がしたから外に出た。
難波まで来た。何も用は無かった。時間は14時を過ぎていた。
本を3冊、漫画を2冊書い、サイゼリヤで漫画だけを読み、それからプラモデルを買った。いつの間にか日が暮れていた。 なんとなく喫茶店に入り、クリームジュースとフルーツパフェを頼んだ。
僕は幸せでは無かった。
普通、欲しいものを得ると幸福感を得る。だが、僕が得た品々はどれもこれも欲しいものではなかった。それでも僕はモノを書い、モノを口にしていた。
それが充実した休日の過ごし方だと思ったからだ。それが良い時間の使い方だと思ったからだ。
しかし、本当に欲しいものはなにか、と自分に問うたとき、その答えを出すこともできないのだ。











2015/12/11(木) 近況2。



 


○。

△やる気が無いよ。
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先日、上司よりも立場が上の人と少し話をした。僕の退職が決定されたようだ。
もう少しグダグダになることを予想していたが、意外とあっさり決まった感じだった。
おそらく、これで僕の寿命や一生での生活レベルが落ちるのだと思う。
しかし、この一度しか無い人生、しかも何をしても意味のないこの人生の殆どをやりたくもない仕事で埋めたくなかった。
それなら、たとえ寿命が縮もうと、生活の質が落ちようと、もしかしたら酷く惨めな最期を迎えることになろうとも、やりたいことをしたかった。

●追記。上の文章を書いた翌日、別の偉い人と話をした。僕の行動が無謀だと言われた。もう少し働いて、準備をしてからでも遅くはないのではないか、とも言われた。
たしかにその通りである。僕の行動は無謀だ。計画性が無い。おそらくすぐに行き詰まって、簡単に死んでしまうだろう。
「安定」という言葉が頭に残る。安定した生活、安定した人生……。そうして運良く70歳か80歳くらいまで生き延びて、死ぬのだろか。それが安定なのだろうか。
僕は学生の頃からなにも変わっていない。











2015/12/3(木) 近況。



 


○。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
ふつーふつー。ふつーが一番、アロハです。
なんかもー、面倒になってきたのでいちいち拘束時間を書いていくのをやめることにする。
そもそも日記を書くこと自体が殆ど無くなくなってきたのだけど。
ここ最近といえば、財布を落としたり、結局定期演奏会に行けなかったり、上司に退職を告げたものの、うやむやにされている感じだったり、そんなもんだ。 ただただ流れ行く時を、難しいことも考えず感傷的にもならず、なんとなく、動物的に過ごしているだけだ。
身体的には突然ぶっ倒れて一日中寝込んでいたり、腰痛になったり首痛になったり、ひどい虫歯が見つかったり色々ある。持つのかこの体。
ただ、これは言葉に表すのが難しいのだけど、僕の場合、"自分"を構成しているものの9割が精神的な部分であるので、多少身体的にアレであっても、精神的に問題なかったら、それは概ね健康だと思う。WHOの基準なんて知らない。

ここまで書いて改めて感じたのだけれど、日記を書くのは良いことだと思う。ふわふわしている自分が形を成していくように感じる。











2015/11/25(水) 元気。



 


○たくさん寝てしまうよ。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
11/18(水)
11時間拘束/サビ残1.0時間

11/19(木)
10時間拘束/サビ残1.0時間
11/20(金)
10時間拘束/サビ残1.0時間

11/21(土)
13時間拘束/サビ残1.5時間
退職の旨を上司に伝える

11/22(日)
12.0時間拘束/サビ残1.0時間

11/23(月)
12.5時間拘束/サビ残0.5時間

11/24(火)
休み 歯が痛い。
11/25(水)
10時間拘束/今月222時間拘束/サビ残0.5時間/サビ残33時間
身体的にアレです。



2015/11/17(火) やる気。



 


○たくさん寝てしまうよ。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------
11/13(金)
10時間拘束/サビ残2.5時間

11/13(土)
9.5時間拘束/サビ残0時間/今月10.0時間
11/15(日)
13.5時間拘束/サビ残2.5時間
プラスで上司とのお食事2時間。お食事入れなくて16時間の拘束。入れて18時間拘束。
11/16(月)
朝起きたときから、身体のだるさと吐き気と頭痛と下痢を感じ、折角の休みだというのに起きることさえも難しく、一日中寝ることになる。
口にしたのはスポーツドリンクをコップ5杯分くらいのみ。
朝の8時に最初に起きて、それから合計14時間くらいは寝ていた気がする。
うなされながら見た夢は働く夢。

11/17(火)
6時間拘束/今月143.5時間拘束/サビ残3時間/サビ残26時間
取り敢えず動ける状態まで回復したので。出社する。
上司に「しんどそうなフリをするな」とか言われる。
今日も頭痛と吐き気が残っていた。

>










2015/11/12(木) やる気。



 


○たくさん寝てしまうよ。

△やる気が無いよ。
---------------------------------------------------

8.5時間拘束/今月104.5時間拘束。サビ残0時間/今月10.0時間
「やる気があるのか」と言われるが、実際にやる気が無いのだから、どう答えたら良いのか分からない。
賃金労働者に「やる気」だの「向上心」だのを説くべきではない。なぜならお金の為に働いているのだから。 決して、社会のためだとか自分のためだとか、特に他人のために働いているわけではないのだから。
全てはお金のためであって、それ以上の付加価値を求めるのは盲目で傲慢だ。
「向上心」や「やる気」といった言葉は社会人だけが使っていればいい。僕は社会人ではない。賃金労働者だ。
……といったことを考えたりするのだけれど、口が裂けても言えるものではない。
とにかく、僕が今の仕事について上のような考え方を持っている限り、仕事が良い方向に向かうわけがない。











2015/11/11(水) 会うということ。



 


○たくさん寝たよ。

△会社に縛られているよ。
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10時間拘束/今月96時間拘束。サビ残1.0時間/今月10.0時間
仕事の関係上、定期演奏会を聴きに行くことはほぼ無理だ。
そのあとに、やるのかどうかは分からないけれど、飲み会があったとしても、それすらも行くのは難しい。
例えば飲み会があって、何かの間違いで夜通しやるというのなら、日付が変わったくらいに行けるかどうかくらいだ。
たぶん、それはないと思う。なので、やはりいけない。
ひとつ考えることは今回を逃したら次会うのがいつになるのか分からないということ。
もしかしたら、もう一生会うことがないのかもしれない。僕は「またいつか会える」などとは微塵にも思っていない。人はいつ会えなくなるのか分からない。
それは僕自身にも言えることである。
今現在においても、「会う」ということが非常に難しくなっている。今現在でも数ヶ月に1回だ。 来年、再来年と、時間が過ぎていくにつれて、その間隔はどんどん広がっていくのだろう。

生きている内に、あと何回、顔を合わせることができるのだろうか?











2015/11/10(火) 他人の不思議。



 


○たくさん寝たよ。

△時間がもったいないよ。
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9日(月)
6時間拘束/今月86時間拘束。サビ残2.0時間/今月9.0時間

10日(火)
仕事はお休み。
早起きしてプラモデルを組んでゲームをやって11時くらいに二度寝をして17時半くらいに起きて原付きを任意保険の申し込みに行った。
それから本屋にいって小説を買うのではなく漫画を買ってサイゼリヤで安いうえに美味しいご飯とドリンクバーで漫画を読んだ。
微妙に離れた席で知り合いが談笑していたが、気付かないフリをした。
酷い生活だ。
時間の使い方をもう少しなんとかしたいと考えるものの、目の前にスマートフォンがあったりパソコンがあったりすると、どうしてもそれらを触ろうとする。 触って、それが止まらなくなって、気がついたら時間が経っている。だらしがない生活だ。

そういえば、僕は微妙な知り合いに会っても、気づかないフリをするという癖がある。
僕のほうからすると微妙でも、もしかしたら相手からしてみればそうでもないのかもしれない。だからあまりやめたほうが良いと思う。
だけども、逆に、普通に接する人は一体なぜそうするのだろう。なぜ、ああも話題が見つかるのだろう。
僕のような人間からしてみれば、それは永遠の謎である。おそらく、説明されても僕には理解できないだろうから、そういった意味においても、永遠の謎である。











2015/11/8(日) 雨。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
7日(土)
13時間拘束/今月70時間拘束。サビ残2.0時間/今月7.0時間
たまに、というか一日に一回くらい、上司をぶん殴りたくなる衝動に駆られる。
衝動に駆られるだけ。そんなことをすると、余計に時間が取られる。
そもそも、仕事以外の時間に仕事関係のことを考えること自体が時間の無駄である。
嫌いで、面倒で、考えたくないのだから、この日記にしても、そういったことを書くのはただただ時間を損しているだけだ。

8日(日)
10時間拘束/今月80時間拘束。
早上がりだったため(それでも拘束時間10時間)、仕事が終わると、そのまま帰宅せず原付きで行く宛も決めずにフラフラと彷徨っていた。
だが結局、ネットカフェに寄って、そこで少し仮眠をとったあと、マクドナルドで朝食を食べ、帰宅しただけであった。
雨が降っていたのに雨ガッパの類を持っていなかったため、殆んどびしょ濡れになって帰った。











2015/11/6(金) 疲れ。



 


○。

△。
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30(金)
9.5時間拘束。サビ残30分

31(土)
12.5時間拘束。
●10月、245.5時間拘束。サビ残18.5時間。

11/1(日)
10.5時間拘束。

2(月)
休みなので学祭に行く。帰りに1人で寄ったサイゼリヤにて書いた文章があるものの、アレなのでボツ。

3(火)
12.5時間拘束。サビ残1.5時間。

4(水)
13.5時間拘束。サビ残1.5時間。

5(木)
10.0時間拘束。サビ残1.0時間。

6(金 )
10.5時間拘束/今月57.0時間拘束。サビ残1.5時間今月5.5時間。

人間、あんまりにも疲れると、仕事を辞めるという感情さえ何処かに消え失せていく。
「このままではよくない」「いつ死んでしまうのか分からないのに、貴重な時間をつまらない仕事なんかに費やして良いのか」
そんな声が聞こえる。
聞こえるだけで、考えることができない。
最近、2桁程度の簡単な計算をするのにも電卓を使う。暗算がさっぱりできない。











2015/10/29(木) 悲しさに包まれて。



 


○。

△。
---------------------------------------------------
27(火)
9.5時間拘束。サビ残30分

28(水)
6.5時間拘束

29(木)
6.5時間拘束/今月223.5時間拘束。サビ残0.5時間今月18時間。

悲しい夢を見ていたのだと思う。朝起きた時に、どうも悲しかったからだ。
この悲しみはどこからくるのだろうと考えた時、やはり夢の中から、ということだ。
しかし、どのような夢を見ていたのか、さっぱり思い出せない。思い出せないのだけれど、「悲しい」という残り香が僕を包み込んでいた。

感情が乏しいように思う。だから感情があるフリをしている。悩んでいるフリをしている。馬鹿な人間が、それでも普通に人生を送ろうと懸命に努力しているフリをしている。
自分が馬鹿なのは合っている。普通の人からみて僕を評価したときに「馬鹿」という言葉を当てはめるのは妥当だと思う。普通だけど、馬鹿。
しかし、僕は普通ではない。それでもなるべく周りとの軋轢を減らすために普通な人のフリをする。問題は普通になろうとしていないこと。 フリをする理由が軋轢を減らすためだということ。実際は全てがどうでもいいのだ。











2015/10/26(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
どうも日記を書こうという気分になれなかった。いや、日記を書く習慣自体忘れていたような気もする。
しかし書いてみたとしても結局は同じようなことしか書けず、いつまでたっても僕の考えは堂々巡りをしているだけであって、 それはつまり確実に衰退していっているということだ。
仕事先では相変わらず怒られている。今思い返せば、ここ2ヶ月くらい怒られなかった日はなかったように思う。本当に、毎日何かしらのことを責められている。 僕が気が落ち着いたまま仕事を終えた日は1日も無い。
その原因は全て僕にあるのであって、だから今の状況を作りあげていることも仕方がない。
ただ、状況を改善させようともせず、だからといって逃げ出そうともせず、ただダラダラとその場しのぎをしているだけの僕は一体なんであるのだろうか。
最近の口癖は「めんどくさい」だ。











2015/10/25(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
19月曜
9.5時間拘束

20火曜
9.5時間拘束

10月21日(水)
お休み

10月22日(木)
9.5時間拘束

10月23日(金)
やすみなのにいろいろあったよ
10月24日(土)
13.5時間拘束/

10月25日(日)
11.0時間拘束/今月203.0時間拘束。サビ残計17.0時間

日記を書く気力がない。











2015/10/18(日) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
10月14日(水)
7.5時間拘束

10月15日(木)
6.5時間拘束

10月16日(金)
13.0時間拘束。サビ残1.0時間/計14.0時間

10月17日(土)
12.5時間拘束/今月137.5時間拘束。サビ残1.5時間/計15.5時間

10月18日(日)
12.5時間拘束/今月150.0時間拘束。サビ残1.5時間/計17.0時間

上司に責任感や向上心について説教をされる。
僕には責任感や向上心というものがこれっぽっちもない。なぜなら、僕はそのうち死んでしまうからだ。
自分は人間としてどうなのかと思う。考え方がニートというか、子供じみているような気もする。
でも、毎日毎日アホみたいに拘束されて、サビ残に対しても特に文句は言っていないので、そこは評価してもらっても良いと思う。
やっぱり駄目人間だこれ。











2015/10/13(火) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
10月9日(金)
6時間拘束/今月64時間拘束。サビ残2.0時間/計8.5時間

10月10日(土)
11時間拘束/今月75時間拘束。サビ残1.5時間/計10.0時間

10月11日(日)
12.0時間拘束/今月87時間拘束。サビ残2.0時間/計12.0時間

10月12日(月)
11.0時間拘束/今月98.0時間拘束。サビ残1.0時間/計13.0時間

10月13日(火)
休みなのに研修があった。交通で往復4時間。研修で3時間。もはや休日とはよべない。
特別手当が出るわけでもなし、代休が有るわけでもなし。交通費さえ出るかどうかも怪しい(申請すれば出るようで既に何回か申請はしているものの、 今までの給与明細にそのような記載無し)。

だいたい、この世の不条理を思い出すのは時間がかかる。それは、いつも僕が社会の中に生きているからだ。
社会の中で生きているとき。つまり、上司や会社への不平不満を考え、退職や転職を考え、そうして一日を過ごしているとき、 明らかに僕は人生に対しての気晴らしを遂行している。

日記というものはそのときの自分しか書けないもの。
今の自分には、このような内容しか書けない。そんな人間に僕はなってしまった。











2015/10/9(木) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
10月6日(火)
9時間拘束/今月53時間拘束。サビ残1.0時間/計5.5時間

10月7日(水)
休みなので友人と共に現実逃避。朝から晩まで。

10月8日(木)
5.5時間拘束/今月58時間拘束。サビ残0.5時間/計6.0時間
あの嫌な上司の命令により原付きを買うことになった。上司の頭の中では「僕の意志で」買ったことになっているだろうが、 あの圧迫的なやりかたに果たして僕の意志が尊重されていたのかは疑問に思うところがある。どうやら僕の交通費を払うのが嫌だったらしい。
どうせ買うのなら、とイイものを買った。この判断が正しいのかどうかは分からない。どうせ辞めるのだから安いやつを選んでもよかったのかもしれない。

ものすごおく何事に対してもやる気が起きない。この日記だって、自分を書く気分にさせるまで時間がかかった。そして出てきた文章がただの愚痴なのだから酷い。











2015/10/5(月) 



 


○。

△。
---------------------------------------------------
10時間拘束/今月44時間拘束。サビ残1.0時間/計4.5時間

「お前は自分のことしか考えていない」と言われる。
そりゃそうだ。なんせその通りだもの。如何にして楽に仕事をするかしか考えていないもの。他人のことなどどうだっていいんだもの。
こう書いてみて、我ながら酷い人間だと思う。言葉を選ばないのであれば「人間のクズ」という烙印を押されても仕方がない。
ついでに、疲れていたせいか、自分の発言をオブラートに包もうとせず、ストレートに発してしまったため、結局それが失礼になった。しかも頻繁に。
帰り、上司の車で送ってもらっているなか、今後のことについて色々と言われた。
「本気になれば誰でも出来る」「俺だって昔そうだった」「自分本位ではなく他人のことを考えろ」
言い方には説教臭さや嫌らしさが全く無く、本気で僕のことを考えてくれているのだなあ、と思った。
そのようなことを思っている時点で、僕には上司の言葉が響いていない。
如何にも諭されたような演技をして、僕は車を降りた。
この仕事は誰でもできるわけではない。だれでも上司と同じようにできるわけではない。僕は他人に対して無関心だ。そういう障害だから。
演技をしようと思う。車のなかで上司に対してやったように。仕事はできないかもしれないが、せめて他人を思いやるような人間を演技しようと思う。
それで様子を見て、それでも駄目そうなら今月末には辞めよう。
そういえば、今日はぼくの誕生日だった。











2015/10/4(日) 



 


○。

△。
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10月2日(金)
10時間拘束/今月10時間拘束。サビ残1.0時間/計1時間
酷い目に遭う。

10月3日(土)
12時間拘束/今月22時間拘束。サビ残1.0時間/計2時間
うまいことサッサと帰る。それでも22半過ぎ、自宅到着。

10月4日(日)
12時間拘束/今月34時間拘束。サビ残1.5時間/計3.5時間
一番の問題は拘束時間が長過ぎることである。今日なんか自宅に帰ってきたのが0時前である。ほとんど日付が変わる前。日記も満足に書けない。
今回は終電に間に合ったが、この前、日付が変わる直前まで残らされた時は終電すら無くて、結局タクシーで帰った。しかも僕の負担で。一体誰のせいでここまで遅くなったのかと。
最近の楽しみは、少ない休憩時間の間に転職サイトを覗くことである。そうしている間が一番、未来をよりよく考えられるからだ。










2015/10/1(木) 



 


○。

△。
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9月30日(水)
10時間拘束/今月262.5時間拘束。サビ残2.5時間/計10.5時間
酷いサービス残業させられる。日付が変わる10分前くらいまでさせられる。眠たくてボンヤリとしていたら怒られる。やってられるか。

10月1日(木)
伊勢神宮に行く。往復交通費だけで9000円。我ながら、なにやってるのか。
伊勢神宮は水が綺麗な場所だった。今考えてみると、僕は池だとか川だとか、水が集まるような場所が好きなようだ。 ただ海はあまり好きじゃない。あまりにも広くてあまりにも深いから。

昨日、父親が事故を起こしたらしい。特に怪我はないが仕事が変わり、収入が落ち、今、住んでいるマンションから退去せざるを得ないらしい。











2015/9/29(火) 



 


○。

△。
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10時間拘束/今月252.5時間拘束。サビ残1時間/計8時間
今日はまだマシな1日であった。なぜなら僕を責めまくる上司が休みだったからだ。
それでも今朝は僕の精神状態が非常に不安定だった。そのまま崩れてしまいそうだった。
ほとんどボロボロの状態で午前中は過ごした。それでも。短い昼休憩を挟むと、なんとかいつもの調子を取り戻すことが出来た。
もし、あの上司がいたら、こうはいかなかっただろう。僕はまた限界まで追い詰められ、泣き出していただろう。いや、涙さえ出なくなるのかもしれない。











2015/9/28(月) 



 


○。

△。
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9/26(土)
11.5時間拘束。サビ残1時間。

9/27(日)
12.5時間拘束。サビ残1時間。

9/28(月)
7.5時間拘束/今月242.5時間拘束。
最近は泣いてばかりいる。今日も上司に叱られているとき泣いてしまった。
うつの初期症状なのかもしれない。だけども本当に病気になると感情が無くなり泣けなくなるらしいので、まだ僕は入口に立っただけだ。
自分はそこまで気を病まないだと思い、気丈にやってきたつもりだったけれども、心の奥底、無意識の中では確実に疲れが溜まっていた。











2015/9/25(金) 



 


○。

△。
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9/22(火)
11.5時間拘束。
やけくそに働く。

9/23(水)
12.0時間拘束。/今月201.0時間拘束。(サビ残1時間/計4.5時間)
シルバーウィーク最終日。仕事後、上司と食事に出かける。

9/24(木)
休み。
散髪をし、服を買いにゆき、友人とご飯なりカラオケなりに行って終電を逃す。

9/25(金)
10時間拘束。/今月211.0時間拘束。(サビ残1.5時間/計6.0時間)
給料明細によると、先月の労働時間は260時間。労働日数は27日であった。だいたい計算通りである。
定期券を失くす。だいたい9000円くらいの損失。辛い。











2015/9/21(月) 半泣き22歳。



 


○無い。

△泣いた。
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12.5時間拘束。/今月177.5時間拘束。(サビ残0.5時間/計4.5時間)
今日は、途中、半泣きになりながら仕事をしていた。
仕事自体が過酷であったし、その上、上司から僕の失敗を叱られたからもあった。僕は何度も失敗をした。その分、責められた。 責められた僕は不安定になっていく。すると余計にミスが増える。だからまた責められる。
そんな悪循環を繰り返していく内に、僕は心が折れそうになっていた。いや、もう既に折れていた。目には薄っすらと涙が浮かぶようになった。 涙を堪えていたら、今度は鼻水が出てくるようになった。仕事は常に一定のテンポでやらねばならない。休むことはできない。
泣く、ということは非常にみっともないことだ。もうすぐ23歳になるのに。一応は大人というグループに入っているのに。
なぜ人には泣くという回路が備わっているのだろう。みっともないから泣きたくないのに、どうして勝手に涙が滲んでくるのだろう。


2015/9/20(日) 



 


○。

△。
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9/18(金)
10.5時間拘束。/今月129.5時間拘束。(サビ残1時間/計2時間)
最近は、勉強だ自分のためだとかでサビ残を一日1時間くらいしている気がする。言葉を改めたほうが良いと思う。会社のためだと。

9/19(土)
12.5時間拘束。/今月142.0時間拘束。(サビ残1.5時間/計3.5時間)
シルバーウィーク1日目。
9/20(日)
13.0時間拘束。/今月155.0時間拘束。(サビ残0.5時間/計4.0時間)
シルバーウィーク2日目。
怒られすぎて、馬鹿にされて、あきられて。そうされているうと、フッと今ここで仕事を全部投げ出してしまいたくなる。
なにかひとつ言ってやって、それから帰ってやると、どれだけ爽快なことか、と考えてしまう。
実際にそうする勇気はないし、だからやらないのだけれど、そうなると自分がますます卑小な存在に思えてくる。












2015/9/17(木) 溶けたい願望。



 


○。

△。
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「溶けたい願望」というものが自分にある。
自分の身体がドロドロに溶けて落ち、大地に吸収されるような、そんな願望。
自殺願望に近いようで、また違う。上手く当てはまるような言葉が思いつかないが、「昇華」が一番近いのかもしれない。
だから、どちらかといえばポジティブの方向になるのだと思う。
絵画で絵の具がべっちゃりと溶けているようなモノがあるが、あれに近い感覚だと思う。
先ほど、ポジティブだと書いた。だからこの願望に捕らわれている間の僕は、いわば「気分が良い」状態である。
なんとなーく満腹で、なんとなーく暖かくて、なんとなーく眠たい。ああ、溶けたい。みたいな。












2015/9/15(火) ぶさいく。



 


○。

△。
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10.5時間拘束。/今月119.0時間拘束。
髪を掻き上げる度、広がっている気がするオデコ。
このブサイク顔でさらにハゲるとなると救いようのないのではないかと思う。
たまに、整形を考える。お金はあるし。
でもそこまでブサイクがコンプレックスでもなし、整形をしたらしたで知人からの目が痛くなるような気もする。
たぶんやらない。












2015/9/14(月) 



 


○。

△。
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9月12日(土)
12.5時間拘束。/今月91.0時間拘束。

9月13日(日)
10.0時間拘束。/今月101.0時間拘束。

9月14日(月)
6.5時間拘束。/今月107.5時間拘束。(サービス残業0.5時間/計2.0時間)
最近は忙しかったために日記が満足に書けなかった。といっても書くようなことがなかったりもする。
職場では毎日のように怒られ、家に帰ると倒れこむように寝る。
出勤前は必ず栄養ドリンクを飲むようになり、食生活も次第にオカシクなり、時折り、疲れがドッと落ちてくる。

テレビを点けてもインターネットを覗いても、興味を引くようなものは何も無い。
あるとすれば本の中に少しだけ見れるくらい。
毎日々々同じような事が繰り返され、僕はその現実をただ嘆くだけで、それだけで僕は枯れ果てている。
まだ20代前半なのに、未来というものが自分には無いように思う。
しかし自殺という道を選ぼうが、選ばまいが、そこに意味は存在しない。もはや死ぬ・死なないなど問題ではない。
ただ僕はたまたま生きているだけだ。


2015/9/11(金) 不幸について。



 


○。

△。
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10.5時間拘束。/今月78.5時間拘束。
僕は人生というものを、この世のありとあらゆる全て物事と否定し、悲観している。そうしてないと生きていけないからだ。
もし誰かに「人生に意味はある」と説かれ、それを心の底から信じることが出来たら、僕はたちまち死んでしまうだろう。

簡単な会話の取り違い、同時に複数のことを考えられない……。発達障害の症状を指摘される度、僕は惨めな気持ちになる。
症状が軽度なのも問題だ。一見、普通の人のカテゴリに入れられそうになるけども、確かに症状がある。
完全に障害者として生きることもできず、健常者としても生きることができず、いつまでも「ただ頭の悪い人」として生きていかねばならないこの不条理。
そこに「人生は無意味だ」という言葉を取り入れたらどうなるだろう。全ての物事は同一のレベル、いや、レベルという概念さえ存在しなくなる。
僕は、そこまでしてやっと生きていけるのだ。人生の無意味性は僕のような半端な障害者にとって唯一の特効薬だったのだ。
だから僕は幸福に触れることができないのだ。












2015/9/10(木) 



 


○。

△。
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9月9日(水)
13.0時間拘束。/今月68.0時間拘束。
上では13.0時間拘束と書いたけども、実際は14.5時間拘束である。つまり1.5時間のサービス残業が発生している。
頭がおかしい。
労働者の権利というものを主張できる雰囲気ではなく、おそらくそんなことを口にすれば「なにを言っているんだ」と言われ、こちらが"頭のおかしい人"と思われるのだろう。
だから黙っていると、面倒な仕事を押し付けられ、結局は夜遅くまで残る羽目になったのである。
おそらく、法的(?)には黙っているこちらもわるいのだと思う。だけども、そういったことを主張できるような環境でないことも事実である。
このようなことが続けば、本当に身体を壊してしまう。その前になんとか辞めなければいけない。
もし、このまま辞めずに、なあなあで仕事を続け、会社にしがみつくだけの人間になってしまえば、ただ身体を壊すだけでは済まされなくなるかもしれない。
とにかく色々と限界が近づいてきている。そう感じた一日だった。

9月10日(木)

仕事は休み。
半日寝て、数時間ほど怠慢に過ごし、日が暮れてから後輩とカラオケなり外食なりに出かけた。
有意義な時間の使い方がわからなかった。












2015/9/8(火) 逃避夢。



 


○。

△。
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9月6日(日)
11.5時間拘束。/今月55.0時間拘束。
今日も頑張った。具体的には書かないけども頑張った。

9月7日(月)
11.0時間拘束。/今月65.0時間拘束。

9月8日(火) 9.0時間拘束。/今月74.0時間拘束。
今日は割りと酷い目に会った。それから親指の付け根が痛い。3週間くらい前から痛い。いいかげんに病院に行くべきであるが、休みがなく、貴重な休みの日になってみれば、病院が面倒になる。
ただの腱鞘炎だろうけども、色々調べてみると、慢性化することもあるらしい。怖い。仕事柄、どうしても指を使わなければならず、休ませるといったことができない。












2015/9/5(土) 逃避夢。



 


○。

△。
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10時間拘束。/今月43.5時間拘束。
けっきょく歯ブラシは変えた。自分の身体は1つしか無いし、それにこれからは無理が効きにくくなるからだ。歯ブラシは一番柔らかいものにした。
帰ってからは殆んど微睡んでいた。何かから逃げるように。
その間色々な夢を見た。その日の夢の中の僕は決まって誰かに追われていた。川、友人、氾濫、工事地帯、憲兵、宗教家、スフィンクス。変な夢だった。夢というものは決まって変だが。
もう少し寝ていたいと思った。しかし今の職業柄、自由な時間は殆ど無い。夢を娯楽と考えてもいいのかもしれないが、 惰眠を貪っていると、それだけで自由な時間がなくなる。それは余裕がなくなることと同義だ。












2015/9/4(金) 



 


○。

△。
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9月2日(水)10.5時間拘束
この9月はより辛い日々が続くのだと思う。耐えられるのかどうかは、分からない。
年がら年中、いわゆるマイナスのことしか考えない僕であるけども、最近はまた一段と酷くなってきている。
数日間、酷い状態が続き、またいつものように戻るだけである。もし戻れなくなったとしても、それはそれでいい。
しかし、いわゆるプラスの状態になることはない。それに、今までそうなったことが一度たりともあったのだろうか。 あの大学生活のなかでさえ、そうあることができなかったというのに。
9月3日(木)12.5時間拘束。/累計33,5時間拘束。
休める時に休めばよかったのに、結局長く働く。時間と金を比べると時間を取るべきなのだけど、いつ辞めてもおかしくない状態なので、少しでも金を手に入れたいのかもしれない。
9月4日(金)休み
自堕落な生活をする。あとは日用品を買いに外出したくらい。
誰かに会いたいと感じたが、では誰に会いたいのかと考えると、誰も浮かばないという状態に陥る。強がって抑圧しているだけなのか、いよいよオカシクなったのか。
仕事において向上する人間性はあくまでも「社会にとっての」人間性でしかない。だから、そればかりが正しい訳でもないし、だからそれを押し付けるのは本質的には間違っているとは思うけども、 職場は社会であるから、何もいえない。
歯ブラシを変えた。固くて辛い。












2015/9/1(火) 良くないこと。



 よくない。


○よくない。

△よくない。
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10時間半拘束。/累計10時間半拘束。
先月は無駄遣いを少しでも失くすために、お小遣い帳を付けていたのだけれど、半月くらいで面倒になってやめてしまった。良くない。
ニキビができるようになってしまった。原因は色々ある。良くない。
仕事の影響で親指の付け根を痛めている。箸を持つのも辛いときがある。良くない。
自分の部屋が半ばゴミ屋敷である。虫が沸かないのが不思議。良くない。
8月は本を読んでない。良くない。 昔のことを殆んど思い出さなくなってきた。過去が過去ですらなくなってきている。たぶん良くない。 あの「学生生活」という過去はこの宇宙のどこにもなく、ただ、今という時間が刻々と存在しているだけなのである。よくない。
また文章がよく分からない方向に突っ走ってしまった。よくない。











2015/8/31(月) 



 


○。

△。
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10時間半拘束。
もう殆んど夏が終わった。天気予報では雨ばかり。秋雨なのだろうか。
この夏は決して良いものではなかったと思う。ただただ働き、悩み、苦しんだだけだった。
そのなかで得たものは何もなかった。強いて言えば、ほんの少しばかりの金だけだ。











2015/8/30(日) 



 


○。

△。
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12時間半拘束。
電話口で僕の労働状態を聞いた旧友から「その会社大丈夫か?」と言われる。大丈夫なはずがない。半日以上も拘束され、休みは週に1回なのだから。 激務なときは意識が朦朧としてくるし、それでいて薄給なのだから。ちなみに今月は283時間拘束。休憩時間を抜くと大体260時間労働。サビ残を足すと実質265時間労働になる。
アホだと思う。もっとアホなのは、この業界ではこれが普通だということ。就活中の僕を恨む。

最近は5時間睡眠では足りなくなってきたように思う。疲れが確実に身体に溜っているのかもしれない。そのうち、本当に倒れてしまうのかもしれない。











2015/8/29(土) 



 


○。

△。
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8月26日(水) 5時間半拘束。8連勤目
話の通じ無さから、人をイライラさせているようである。話が通じない主な理由としては、 相手の言ったことが聞き取りづらいということが一番の原因である。
8月27日(木)
9時間半拘束。

8月28日(金)
休み。色々行き、本を買い、映画を見て、飲んで、寝る。
8月29日(土)
12時間半拘束。
ここ最近、日記を書かなかった理由については、単純に書く気力が起きなかったのと、それから自分の考えが混濁していたことにある。
僕はこの一週間でまた酷く疲れてしまった。そこには自分の無力さ、傲慢さがあった。
なによりも問題なのは、僕が他人の気持ちを分かることができないということだ。それが今なによりも苦しい。
「他人の立場に立ってモノを考える」というけども、他人と脳の構造が違う僕にとって、それは夢物語でしかない。
他人の気持ちになるという発想自体が無いときもある。自分がやろうとしている行為が相手にとってどのような悪影響を与えるのか、本当に、全く気づかない。
それなら、初めから相手に干渉するべきではない。僕の存在自体が悪影響であるのなら、居ないほうがいい。
だから、傲慢であり無力なのだ。












2015/8/25(火) 



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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10時間半拘束。
この世というものがどうしようもないことを、一応は理解し、だからなにものに対しても期待しないことが、自分を平穏にさせることに一番よい方法だと思っていた。
それでも僕を動揺させ不安に駆らせ絶望に陥れたのは、やはり少しばかりの期待を持っていたということだ。
それは他人に対しての期待だった。 幾ら僕自身が不条理な目にあおうとも、ある程度は耐えられた。だけども、僕とは比べ物にならないほどの努力をし、 且つ能力もある人が僕よりも不条理な目にあっていることは。僕をかき乱せた。
少し考えれば分かることだ。この世はそういうものなのだ。 だが、それでも、せめて僕よりかは幾分かでも幸福であってほしいという願いが、いつかは期待へと変化させ、それが報われなかったと知ったとき、僕の動揺を誘ったのだった。
本当に他人のことを考えずに済んだのなら、これほど楽なことはないというのに、どうして、中途半端に思考の中に入れてしまうのだろう。どうして、いっちょまえに悩んでみせてしまうのだろう。

疲れた。どこにぶつけたらいいのか分からない感情を抱えながら、閉店間際のスーパーで売れ残りの惣菜を買い、酒を買い、1人、夜の街の中で飲んだ。












2015/8/24(月) 



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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10時間半拘束。
何が大切なのか、それが分からない。いや、分かっているくせに、分かろうとしない自分がいる。
考えれば考えるほど不安になる。
どうしようもないまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。
分かろうとせず、何も出来ない自分がそこにいる。












2015/8/23(日) 罪悪感。



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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12時間15分拘束。
何にしてもそうだ。僕は他人とは違う頭の構造をしている。だから、僕が何か行動する際「本当にこれでいいのだろうか」という考えが付きまとう。
これでいいのだろうか。間違ってはいないだろうか。失礼ではないだろうか。より、事がややこしくならないだろうか。常識より外れていないだろうか……。
事が大きくなればなるほど、その不安は肥大化し僕を圧迫する。その中でも動かなくてはいけない。いや、動いたとしても、僕は無力だけども。
もう一つ。「自分に酔ってはいないか」ということも重要である。
とにかく、なんでも、事態が良い方向に進むことを願う。












2015/8/22(土) 



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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8月21日(金)5時間半拘束。

死して尚、人生をやり直させられる苦痛。電車?という夢。

8月22日(土)12時間半拘束。

無理に幸福だけを見ようとすればするほど、それは嘘っぽくなり傍からみると、余計に苦しそうに見える。
苦しいことを苦しいといわないのはオカシイ











2015/8/20(木) 



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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8月19日(水)9時間半拘束。
仕事は外ヅラだけだと思う。
あれだけ過酷な業務をしつつ内ヅラまで良くできるはずがない。
なんでも、今日が仕事なのか休みのなのか、同居している親に伝えないのは常識がない行為らしい。
常識が無いことは僕自身よく分かっている。だからこそ仕事先にでは極力外ヅラを固めている。 その分、1人でいるとき、せめて家に居る時くらいは自分の内を休めさせたかったが、それも許されないのだろうか。
できるだけ1人で居たいと思う。人に会うのは週に1回2時間程度でいい。
だから僕は親と同居しておきながら、いや、親に生かされながら親とのコミュニケーションを取らない。
それが気に食わないらしい。常識が無いらしい。
しかし、僕が少し考えることは、勝手に生まれさせておいて、未だにそういったことを強要するのはどうかということだ。
家を出たいのに低賃金長時間労働で、満足に金を得ることが出来ず、だから家を出ることも難しく、 その上、職場だけではなく自宅でも所謂常識というものを強要される身にもなってほしいということだ。
しかし、僕は立場が弱い。だから悲しいかな彼らに合わせるしかないのだ外ヅラを、家にいる時でさえ、強化しなければならないのだ。
色々と書いていたら、なんだかお腹がキリキリと痛くなってきた。どうして、こうも理不尽なことが起きるのだろうか。
人生がそういうものだからか、そうか。


8月20日(木)13時間拘束。
また、昔の夢を見た。演奏会を聴きに行く夢だった。
昔の夢を見たあとは、決まって悲しい気持ちになる。当たり前だ。夢から現実に引き戻されたのだから。夢が所詮、夢だということを気付かされるのだから。
今年は演奏会に行くなど、到底できないだろう。











2015/8/18(火) 幸福の不在。



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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メモ
金剛山に行きました。もう階段を登りたくないです。デカイ黒い帳らしきモノがいました。あせも、ができました。
色々考えましたが、やはり幸福というものは不幸が不在のときに覚える感情であって、「幸福」というモノが既に存在しているようではないように思えます。
つまり幸福はただの錯覚でしかない。しかし錯覚であっても、それにすがり付きたくなるのが人間でありまして、やはり僕もそうしたいのであるのですが、
「自分は不幸だ!」と考え、更に「幸福は錯覚でしか無い!」と考えた僕に「自分は幸福だ」と錯覚させるのは大変難しいのだと思います。
そこでどうするべきなのか。簡単です。脳の働きを弱くすればいいのです。しかし酒、タバコ、あぶない薬等々は良くない。
だから寝る。睡眠こそ、僕の最後の安息の地。シャングリ・ラ。この前は「寝過ぎると自分の時間が無くなる」とか書いた気がする。まあいいか。
だから早く寝ます。











2015/8/17(月) 幸福について。



 もんもんぺぇ。


○。

△。
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10時間半拘束。
今日は目が死んでいた。なぜならお盆明けだからだ。世間がお盆休みを満喫している間もアクセク働き続け、そして世間が仕事に戻った後もやはり働いているのだ。
前にも似たようなことを書いたけども、誰かが幸福であるそのとき、また違う誰かは幸福である人の分、不幸になっているのだと思う。
幸福というものはどうしても取り合いになってしまう。だが一番問題なのは、幸福な者は、その幸福が誰かから奪った物だということに気づいていないことだ。
例えば何か商品を買うとき、金という対価を払ったといっても、それだけでは対価になり得ない。なぜならその商品には他人が受けるはずだった幸福が含まれているからだ。
商品の価格というものはあくまでもその店が会社が決めたものに過ぎない。
つまりあれですね。幸せってなんなんですかね。











2015/8/16(日) お盆最終日。



 もんもんぺ。


○。

△。
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13時間半拘束。
今日は死ぬかと思った。
いつも僕は職場への不平不満をツラツラと考えながら働いているのだけれど、それを考える余裕が無いほど忙しかった。 お盆だというのに僕があっちの方に行くのかと思った。 というか今日もなにげに13時間以上も働いているよ。辛いよ。体が持たないよ。栄養ドリンク飲んでるよ。

大事な人の誕生日をすっかり忘れていたことに気づいた。今更、そういったメールを送るのも気が引けるので送らないのだと思う。
恐らく、来年以降も送ることはないのだろう。こうやって距離が離れていくのだろう。そして、もう顔や声が思い出し辛くなっている自分がいる。











2015/8/15(土) △。



 もんもんぺ。


○。

△。
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8月14日(金)
11時間半拘束。
8月15日(土)
11時間半拘束。
日記を書く余裕さえもなかったりする。とにかく寝ることが大事なのは分かるのだけれども、どうしても睡眠時間を削ってまで自分の時間を確保しようとしてしまう。
本当の本当に職場と自宅の往復をするだけの生活にしたくないのだ。
只今の睡眠時間は平均4時間半。仕事中、うつらうつらとしてしまうときがある。











2015/8/13(木) △。



 もんもんぺ。


○。

△。
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11時間半拘束。お盆1日目。
死ぬかと思った。1日目からこんな目に会っていると、これからが嫌だ。
仕事に対して苦痛しか感じないのは本当によくない。もう4ヶ月ほど働いているが、今の仕事に「楽しい」と感じたことが微塵も無い。
もしどこかで、ほんの少しだけでも「楽しい」と感じることが出来たのなら、また違うのかもしれない。だけどもそれが1つも見つからないとなると、 仕事の時間はただの地獄でしかない。

最近、自分の自己中心的な性格が表面化していっているような気がする。「社会人としての心構え」を周囲から振りかざされているだけかもしれないけれど。











2015/8/12(水) △。



 そろろろろ。


○。

△。
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9時間半拘束。
これからはお盆で、また忙しくなるというのに、9月中旬にはシルバーウィークとかいう名の5連休がある。
どうして。どうしてそんなにも祝日があるのだろうか。どうしてその恩恵を僕は受けることが出来ないのだろうか。
これからのことを考えると本当に嫌になる。
祝日を謳歌する人は、せめて、その祝日を脂汗を垂らしながら必死に支えている人間たちがいるということを、少しでも考えるべきである。











2015/8/11(火) △。



 そろろろろ。


○。

△。
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8/9(日)
9時間拘束。
全体的に死んでる。

8/10(月)
休み。
ジュンク堂の哲学書コーナーにて、それっぽい本を立ち読みする。無論、内容が出来るわけでもなし。
1つ知ったことは、僕が「自殺しない」という選択肢を取ることさえも意味が無いということ。僕は「無意味」という空間の中に留まるしかないということ。
8/11(火)
13時間拘束。
また、日記を書くのがおろそかになってきている。書ける時間はあるというのに書かないのはよくない。
世間ではお盆休みが始まるそうである。その分、仕事は忙しくなる。自然に僕は酷い目に遭う。
この仕組はなんなのだろう。大多数の人が幸福になればなるほど、僕は不幸になる
ある意味では、世離れしているのかもしれない。











2015/8/8(土) △。



 そろろろろ。


○。

△。
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8/7(金)
11時間半拘束。
「睡眠は大事」といわれるけども、自分の時間を大切にしたいからあんまり寝てない。なんというか、仕事の為に寝ているようで嫌だ。
変な夢を見た。
僕は洋風な民宿に泊まりにきたみたいで、なぜか部屋で女と会話をしていた。会話の内容は覚えていない。
ふつう、僕の夢には知り合いが出てくるものなのだけど、その女は知らない女だった。
ふつう、知らない人間が夢にでてきても、顔は覚えていないのだけど、なぜか今でも覚えている。
黒い長髪で丸メガネを掛けていて、目が細くて、オタフクのような顔。
僕はその女と何処かで会ったことがあるのだろうか。

8/8(土)
8時間30分拘束。
親知らずが痛くて、夜中に起きてしまうほどだった。バファリンを飲み、ドライアイスで冷やしながら、なんとか眠りに就く。
嫌な夢を見た。
そうなる未来があるということ受け入れているつもりだったが、夢の中の自分の心境を見る限り、僕は心が薄汚れているままであった。u











2015/8/7(木) △。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

8/6(水)
10時間半拘束。

8/7(木)
12時間半拘束。

相変わらず、僕は日本語が通じない人間です。平均してだいたい、1日に4、5回は相手の言っていることが理解できません。
それは本当になんでもないときに起こります。なんでもないときに相手の日本語が、志向性のある雑音にしか聞こえないのです。
最近は「本当に大丈夫なのか」「本当に日本人なのか」冗談半分本気半分で言われます。僕は日本人である前に、人間でないのかもしれません。
他人のことを感覚で捉えることができない上に、言語を使ってのコミュニケーションもできないときがある。それは努力や薬で治ることもない。
他人が月よりも遠く感じます。











2015/8/4(火) 退職ノウハウ。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

8月2日(日)
12時間拘束。

8/3(月)
今日は休みだった。先週は休みの度に色んな所に行ったので、今日はひたすら寝ていた。
しかしそうしていると、どうも焦りが僕を包む。
8月4日(火)
11時間拘束。
僕の近くに安易な精神論やパワハラ・暴力を振りかざさすような人が居なくて、幸運だったとは思うが、「ほかよりかはマシだ」と胸をなでおろす。それだけで終わるのは良くない。
労働環境が明らかに悪いのを自覚し、これからの改善が見込めそうなのか。それを見極めなければいけない。
失業手当給付の条件に入るまで働くか、それともすぐにでも辞めてしまうか。
退職するにしても、そのノウハウがあるのだと思う。まだ自分に余裕があるうちに、知識を蓄えておかなければいけない。











2015/8/1(土) 親と子。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

どうして、人は子供を生むのだろう。
答えは簡単で、幸せになりたいからだ。僕はこれを身勝手な行為だと思う。
生まれてきた子供も、またいつか死ぬからだ。親は自分が幸せになりたいが為に、この不条理に満ちた世界に子供を生み出すのだ。 このとき、子供は親が幸せになるための道具でしかない。
生まれてきた赤ん坊は親を愛するだろう。親と子は、お互いが幸せであるかのように見えるだろう。 だけども、赤ん坊が親を愛するのは脳に仕組まれたプログラムであって、当たり前のことである。
それに乗じて、「親に感謝せよ」と言う人間がいる。憎むことはあっても、感謝することはありえない。
酷いときは「育ててあげたから感謝しろ」「生んでやったのだから感謝しろ」と言う傲慢な親がいる。 完全に一方的な親の都合で生み出しておいて、なぜそんな言葉が吐けるのか、甚だ疑問である。
もし、親に感謝することが出来る子供がいるのであれば、それは先上げたプログラムが働いているだけだ。恐らく、その子供はいつか親になるのだろう。
僕は、子供を生むな、といいたいわけではない。確かに人間はさっさと絶滅したほうがいいとは思う。しかしそれとこれとは話が別である。
僕がいいたいことは、子供を生むという行為は必ずしも子供にとって良い行いではないということ。
そして人はいつか死ぬのだから、生まれた子供は親に半分殺されている、ということだ。











2015/7/31(金) △。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

今日も元気に14時間労働だった。
他人が、ああも明るく振る舞える理由が分からない。他人の考えていることが分からない。僕とはまるっきり生きている世界が違うのだ。 世界は、人によってその色を替えるのだ。例え本質がどうであれ。











2015/7/30(木) 海遊館に。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

海遊館に行った。1人で。
水族館自体、行くのは本当に久しぶりだったと思う。だいたい10年ぶりくらい。
行ってよかったと思うことは、実際に体験してみないとわからないことがある、ということだった。
しかし同時に一度体験してしまうと「こんなものか」と分かった気になってしまう。
その捉え方は間違いだと思うけれど、実際に僕は海遊館にしても観覧車にしても、ただ漠然と「こんなものか」と感じた。
もう行くことは無いのかもしれない。











2015/7/29(水) 言葉の蜃気楼。



 そろろろろ。


○。

△。
---------------------------------------------------

今日は簡単な引き算が出来なくて困った。「240−90」という暗算がどうしてもできなかった。
落ち着いていたら計算できるのだけれども、例えば新しいことを教えてもらっているときだと僕の頭には熱が溜まっていき、次第に物事を考える余裕がなくなる。
そんなときに暗算が必要になると、頭がオーバーヒートしてしまうのだ。だから簡単な計算ができない。
相変わらず、日本語が理解できないときがある。
だから、たまに言葉を発するのが、おっくうになるときがある。実を言うと今書いているこの文章だって本当に日本語になっているのか不安になっている。
自分がどんどん言葉を操れなくなってきている気がする。単語が、文法が、僕の頭から浮いて消え去っていくような感じがする。 白い空間に言葉が溶けていく。そして白い空間がその比重を増してゆく。
僕の発達障害は悪化することがない。だが二次障害はありうる。もしくは全く別の病気なのかもしれない。 いや、こういった「不安」こそ二次障害、例えばうつ病などの前触れになる。しかし。
しかし、「日本語が自分の頭から消えていく」という感覚があるのは確かだ。











2015/7/28(火) 



 ぷんぷかすん。


○。

△。
---------------------------------------------------

昨日は頑張った。かなり頑張った。他人と楽しい会話をしようとする気持ちが欠如しているのは、一般的な社会人としてよくないのだろうなあ、と思った。
今日は社内行事だった。僕の大事な公休を削られて親睦会が開催された。
しかし何が悲しくて自由時間が3時間もあるのだろう。「時間は用意したから仲良くしてね」といわれても、困る。
だから2時間ほど散歩をして時間を潰した。悲しい。フツーの人間らしい生活をしていない感じがして悲しい。

今日もそれなりに頑張ったのだった。しかし、僕は仕事が相変わらず遅いらしい。 僕が思うに、1人でやる仕事量ではないものを無理矢理やっているのが原因なような気がするのだけれど、彼らに言わせると、遅いらしい。











2015/7/26(日) 無駄遣いヤー、アロハ。



 ぷんぷかすん。


○まだマシ。

△マシだが平穏ではない。
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今日も頑張った。怒られたり嫌味をいわれたり面倒な人がいたり、色々あるけれど、それでもなんとかギリギリのところでやっていけている。
と、思ったら銀行の残高があまりよろしくない。一ヶ月で10万円ほど消えていて、一体何に使っているのか、自分でもよく分かっていない。
新品の本や漫画を山のように買ったりするのがよくないとは思うけども、それでも10万円はありえない。
最近はサボっていたお小遣い帳の記入と、それから一応通帳の記帳をしなければいけない。

ところで、なんで社内行事が公休扱いなんだろう。











2015/7/25(土) 



 ぺんぺろぺーん。


○まだマシ。

△マシだが平穏ではない。
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二十歳の原点の読みどこトロは、決して、高等に死んだことではない、という点だと思う。
ひとつわかることは、僕は彼女以上に惨めに死ぬことだ。誰にも悟られること無く独りで死に、1年も経たずに誰からも忘れられるだろう。

電車に乗り、いつもの様に本を読もうとするが、どうにも内容が頭に入ってこない。気だるさと鉛とモヤと悲愴と死で頭がイッパイになっている。
混濁した意識の片隅で、自分がうつ状態だと認識する。
このままにしておくと今以上に駄目になるので、なんとか自分を取り戻そうとする。
とりあえず、書くこと。今の状態をただひたすらに書くこと。自分を客観視し、自分を自分でないものにする。僕はまだ潰れるわけにはいかない。まだお金が足りない。

死に対して希望がないのは本当に辛い。それはこの世には逃げ道が無いことを意味している。
もし、生や死に対しても無関心であることが出来たのなら、本当に他人に対して無関心であったのなら、 何も考えず、ただ自分のためだけに動くことが出来たのなら、どれだけ幸せだったのだろう。
だから、僕は無関心を決め込んでいるのだ。












2015/7/24(金) 



 ぺんぺろぺーん。


○平穏な休み。

△明日は平穏じゃない気がする。
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・23日(木)の場合
「死」に希望を見出せないのは苦しい。
高野悦子のように失恋のショックの勢いでで死ぬことが出来たのなら、どれだけ楽だったであろう。 詩と絶望のなかで「死」に一瞬の安らぎという希望を見出すことができた彼女は、ほんの少しだけ幸せだったといえるのかもしれない。
僕は死ぬことができない。そこに希望を感じ得ないから。安らぎを見ることができないから。そこにはただただ「無」だけがあると考えているから。
死んだあとのことは誰にも分からない。だが、「誰にも分からない」ということは、少なくとも「死」のあとは、 僕が今存在している世界に干渉し干渉されることが無いということを意味している。
・24日(金)の場合
生きること。とりわけ、働くことについては苦痛でしかないので、僕はそれを極力忘れるように務めている。
だから休日は殆んど寝て過ごしている。寝ている間は何も考えずに済むから。夢の中というものは多少の苦痛があっても現実と比べたら幾分かはマシだから。
今日も半日以上は寝て過ごした。あまり眠たくなくても無理に目を閉じた。14時半くらいでついに眠れなくなったので、仕方がなく身体を起こした。
何も考えたくはない、といってもお酒を飲む気分にもなれない。あの浮遊感はあまり好きではない。それに飲み過ぎると脳が萎縮する。 不可逆的に今以上に世界を認識しにくくなるのはよくない。
寝るだけだったら、たぶん、そういうことは無い、と、勝手に思っている。











2015/7/22(水) 遠い人間について。



 ぺんぺろぺーん。


○平穏な休み。

△明日は平穏じゃない気がする。
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この頃、日記を書くのがおろそかになってきている。少し前に「日記を書くことが僕にとっての本当の仕事なのかもしれない」などと書いたけども、これではあんまりだ。
とにかく書く。書かないのならせめて本を読む。あるいは考える。そういったことをしていなければならない。完全に慣性だけで生きていてはいけない。

昨日も仕事だった。とにかく疲れた。仕事にどれだけ慣れようが、疲れることには変わりがない。
精神的には少しでも楽になっているのだろうか?だけども不安材料なんて幾らでもある。僕が安心できる日など無い。

今日は休みだった。3連休の疲れが溜まっていたのか、いつも起きている5時半に一度は目を覚ましたものの、結局は昼過ぎまで寝ていた。
夕方からは旧友とビリヤード(僕はとってもヘタクソである)で遊んでいた。そのとき、中学校の頃の同級生と会った。
不愉快だった。別にその同級生のことが嫌いだっただけではない。むしろ、当時はグループで一緒に遊んでいた1人だった。だが実に6、7年ぶりにあう彼らにはマイナスの感触を受けた。できれば話もしたくはなかった。
僕には酷い癖があるのだろうか。幸いその場は軽い挨拶だけで済んだからよかったものの、もしあれ以上の会話が買わされていたら、僕はかなり窮屈な思いをしていたに違いない。
これも障害なのか。それとも一般的な反応なのだろうか。
それよりも僕が考えてしまうのは、今、親しいと思っている友人たちに対しても同じことが、 つまり時間と距離があまりにも離れ過ぎると相手を疎ましい存在に感じてしまうのではないか、ということだ。
今の僕はまだいい。だが数年後の僕が何を考え思っているのかは分からない。生きているのかどうかも怪しいけども。











2015/7/20(月) 



 ぺんぺろぺーん。


○。

△日の半分以上を労働に費やすなんて。
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二十歳の原点を読んでから、著者のことを色々と調べていると気分が悪くなった。
別に「気分を害した」という意味ではない。人の死に触れていると、どうしても目眩に似た症状が出たり、吐き気がでてしまうだけだ。
僕はいつも死云々とのたまっているけども、死に対して耐性が無いのだ。直ぐに狼狽えて弱ってしまう。頭が痛くなる
著者は20年と6ヶ月で死んでしまった。僕はもう22年も生きてしまっている。今年度にはいってからはその時間の大半を労働に費やしている。
労働は生きることではない。社会人というレッテルを貼り付けられただけで、その中身はただのヒトだ。正しく書くならヒト以下だが。
僕は18歳の秋に一度死んだ。それからの大学生活は殆んど"余分に生きている"状態だった。それも3年後の21歳の冬で終わりを告げた。 一度死んだ経験があるせいか、その時は死ぬことがなかった。ただ"余分な生"がなくなっただけだ。
今の僕は生も余分な生も何も無い。
何も無い。それが今の僕の問題だ。だが、逆に考えてみて、何かが有るということはいったいどういうことなのだろうか。
友人か恋人かお金か時間か。
もしそれらを全て手に入れたとして、僕は満ち足りることができるのだろうか。











2015/7/19(日) 



 もんもろもーん。


○。

△日の半分以上を労働に費やすなんて。
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ああ、働きたくない。働きたくない。
どうしてこんなにも心と身体をすり減らして働かなければいけないのだろうか。 どうして、世間では三連休だ夏休みだといわれているなか、その分だけ余計に働かなくてはいけないのだろうか。
自業自得。そう言われてしまえば僕は何も叫ぶことができなくなってしまう。
他人の芝が青く見える。青く見えているだけなのかもしれない。だが僕は、会社や政治や人間関係に不平不満を呟いている彼らに対して 「僕よりマシな生活を遅れているのに、なにが不満なの」と聞きたくなる。

「二十歳の原点」という本を読み終えた。筆者は青春を猛烈に生き過ぎた。そして孤独になりすぎた。考えこんでしまって、 それが偶然悪い方向に進んでしまった。だから死んでしまったのかもしれない。
人が死ぬ理由にあれこれと理由を付けることはできないが、ただ、失恋がその要因の1つなのだとは思う。
気持ちは、分かる。











2015/7/17(金) 



 もんもろもーん。


○ミルクティーが美味しいよ。

△日の半分以上を労働に費やすなんて。
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今日も頑張って生きた。明日も頑張って生きねばならぬ。
今日は台風の影響で朝イチから出勤する必要があり、そのまま夜遅くまで働く羽目になった。労働時間13時間也。死ぬわ。
友人や中途で入ってきたおじさんなどと話をしていると、やはり今の会社は比較的待遇が悪いほうだということが分かる。
劣等感にさいなまれるのがいやっだたから、頭では分かっていたけども、どうもそれを認めることができない自分がいたが、もうそろそろ認めなくてはならない。 認めて、次の対策を練らなければならない。僕は会社の中だけで生きているわけではない。











2015/7/16(火) 私にとっての他人たち。



 


○惰眠を貪った。

△折角の休日を潰した。
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昨日は仕事が終わったあと、旧友と飲みに行く。
そこで彼に「ずっとずっと昔から思ってたんやけど、おまえって誰かと一緒にいるのがあんまり好きやないやろ」と指摘された。
僕は否定も肯定もしないまま話をそらしただけだった。
こうい指摘を受けたとき思うことは、ここでそれを肯定してしまったら目の前の人間もその範疇に加わるのであり、それはその人を不快にさせるのではないか、ということだ。
だから僕はいつも否定するか話しを逸らすのかのどちらかを取っている。
そしてこれは最近気づいたのだけれど僕は「他人のことに興味が無い」「他人と同じ空間にいるのがあまり心地よくない」というのは厳密にいえば違う。
それは上のほうで「(自分でこんなことをいうのもアレだけども)他人のことを気遣って自分の対人基質のことを話したがらない」ということから見ても分かると思う。 もし僕が本当に他人に対して一切の興味も持たないのであれば、僕はそのまま自分の気持ちを伝えていただろう。
しかしそうはいってみせても、僕が自分の本心を伝えないのはただ、人間一般の常識をある程度持ち合わせているだけではないのか、という疑問が浮かび上がる。
つまり、他人のことが興味無いということを、他人の眼前で態々言ってしまうような人間がいるのか、ということだ。 そんなことができる人間はただ人間性に少し問題があるだけではないのか(他人に無関心な時点で人間性に問題が有るといえるかもしれない)。
いや、そんなことは置いておこう。僕は今もこうやって「他人」について考えている。 このような姿勢を取っている以上、僕は自分が「他人に無関心」だとは言えないのだと思う。もう僕はそのような言葉を使うべきではない。
ただ「他人と随分変わった場所でコミュニケーションを取ろうとする」といえばいいのだと思う。いや、恐らくこの表現も適切ではない。
それほど僕と他人の間には複雑な空間が広がっている。その原因の1つには僕に多少の発達障害があることも覚えて置かなければならない。

今日は家で堕落していただけだった。











2015/7/14(火) 人たち。



 


○ru-ru-ru-。

△んんんんn。
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月曜日は結局ハイキングに出かけなかった。なんとなく家を出たくなかったから。そんな理由。堕落しきった理由。本を2冊読んだけども。

火曜日も元気に働いていた。勝手な妄想を作り上げて勝手にイライラするのもある意味病気だと思った。そしてそれをぶつけてくる。
主観の中で生きるのは勝手だけども(僕も主観の中で生き過ぎている)それで他人に迷惑を掛けるのはどうなのか。
余裕が無いのだろうな、とも思う。だから受け止めてあげなければいけない。そういったこともお給料の内にはいると考えて。











2015/7/13(月) 内も外も。



 


○ご飯が美味しいよ。

△労働基準法を勉強しようかと思う。
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6/12(日) 7月12日7時10分 通勤の電車を降りたときふと夏の匂いを感じた。遠くで蝉が鳴いていたからなのかもしれない。 僕は3年前のパートで旅行に行ったことを思い出した。 さっき感じたものと同じ匂い。あの風景。あの人たち。あの顔。 もう戻ることはできない。いや、戻ろうとは思わない。だけども、もし何かの悪戯で、あの時間に帰れると囁かれたとしたら……。 明日は仕事が休みだ。だからハイキングに行こうと思う。独りで。

13時05分 今日も疲れた右手が軽いヤケド状態である。熱せられた用具を無理に扱ったからだ。相変わらず「なんにもできない」とか「ポンコツ」とか「アルバイトの方がマシ」とかいろいろ言われるけども。なんとか持っている。 大人、と言われる人々に様々な種類がある。 優しい人もいれば生の感情をぶつけてくる人。普段は温厚だけども自分より上のくらいの人が来れば機嫌が悪くなる人。僕よりも人間味に溢れた人たちだ。 僕はどう思われているのだろうか。 仕事が出来ないとは思われているだろう。

17時03分 直ぐに涙ぐむ体質をなんとかしたい。 ニヤニヤもだ。










2015/7/11(土) 内も外も。



 


○ご飯が美味しいよ。

△労働基準法を勉強しようかと思う。
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今日はサービス残業をしました。
朝の6時半に家を出て、夜の21時に帰宅したとき、殆んどぐうたらしているだけの家の人にお金の無心をされました。
そして明日も朝の6時半に家をでる必要があるのです。
不条理を感じるほかありませんでした。











2015/7/10(金) いまむかし。



 


○仕事後の一杯(ジュース)が美味しいよ。

△労働基準法とは。
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昨日の日記はぐっちょんぐっちょんな内容だったと思う。
そんなことはともかく、暑い。本当に暑い。夏は嫌いだ。暑いから。
去年の今頃の日記を読み返すと、マトモに水も飲ませてもらえない場所で派遣のバイトをしていた。それから元気に就活。
あれから既に1年が経過したのだと思うと、浦島太郎な気分になる。それだけ、時の流れは早い。
ローカルなところにあって、未来永劫公開することはないだろう2年前の日記を見る。ヤバい感じの文章がツラツラと並んでいる。何もなかったかのように閉じる。 何故か目頭が熱くなる。そんなこともあるさ。
今思えば、2年前の僕は確かに青春をしていた。生き生きとしていた。同時に病んでいたけども。
それとくらべて、今のなんとくたびれたことか。感情がプラスに働くこともなければ、マイナスに動くこともない。死んではいないが生きてもいない。











2015/7/9(木) 全否定と全肯定。



 たなばたとは。


○週一の休みだよ。

△労働基準法とは。
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この世の中は等しく意味が無いのだから、つまり、この世のベースは0(ゼロ)、何も無い。
だけども人間、というか僕はその上であっても尚、そこに価値を求めたがる。理屈ではなく感覚がそうさせてしまう。そうしないとこの社会で生きていくことはできない。
だから、取り敢えず、その価値を決めようとしたときの選択肢が全肯定か全否定だ。なぜこの2種類しか採用されていないのか。 それはこの世界が0、つまり0という一つの要素でできているからだ。そしてその要素は全てを虚無的なものとして捉え、悪しとするのか、 それとも虚無的でもいや虚無的だからこそ全てを良しとするか、といった考えしかありえない。
僕は今、全否定をした生き方をしている。生きることも死ぬことも否定している。このままでは消耗し堕落していくしかない。
できれば、全肯定をして生き方がいい。他人に優っている部分が無いばかりか、脳に欠陥があり他人よりも確実に頭が悪い自分を。 だから職場でも酷い目に会っている自分を。字面では自分を少しでも賢く見せようと虚飾に虚飾を重ねようとする自分を。 容姿や動作が醜く誰からも相手にされないであろう自分を。そして、何かの間違いで関係が生まれたとして、 特異な対人感情のせいでまず僕の方から突き放すだろうし、だから今の状態が一番幸せだと感じてしまっている自分を、肯定したい。
無理だコレ。











2015/7/7(火) 情熱。



 たなばたとは。


○労働時間が少ないよ。

△どうせなら休みがいいよ。
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お給料が付かない系の労働をさせられそうになるが、なんとかやんわりと回避している。いつまでもつのか知らないけれど。
最近は休みも週に1日あるくらい。それだけ働いてもらえるお給料がやっとこさ平均ちょい下くらい。そんなもんなのだろうか。
この前、「情熱がないのに生きていけるのか」と書いた。今読んでいる『二十歳の原点』という本に出てきた言葉だ。
僕は情熱もなく生きている。慣性だけで生きている。お金も夢も恋人も自分に対しても何もかも一切合切全てを諦めている。
なぜ自殺しないのかといえば、それはただ、僕が直接手を下すまでもなく。どうせ死んでしまうからだ。
もし僕が自殺するとすれば、それは社会的にという意味だ。社会的に死んで、つまりニートかフリーターか浮浪者にでもなって、 あとは時間をかけてゆるやかに身体的にも死んでいけばいい。
それもある一種の生き方であり、自殺ではない。











2015/7/6(月) すれ違い。



 うーんうーん。


○労働時間が少ないよ。

△どうせなら休みがいいよ。
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僕があの道を歩いているときは、誰か知り合いに会えることを期待している。
それは卑怯だ。いつもは人を遠ざけるようにしているクセに自分の都合の良いときにだけ人を求めるなんて。
遠くの方から知っているような人が歩いてきた。僕が憧れを抱いていた人に似ていた。日は落ちていて暗がりで顔が見えない。
やっとのことでそれが誰なのかが分かったときはもう遅かった。すれ違っていた。寂しいと感じている自分に悲しさを覚えていた。
なぜ僕は呼び止めなかったのだろうか。刻まれていくヒールの音が少し早かったせいなのだろうか。呼び止めたとして何も話すことがないからだろうか。
そもそも、なんで呼び止めようという発想ができるのだろうか。そうしたことで生まれる空間に何があるのだろうか。それは相手にとっては迷惑でしかないだろう。
僕は振り返ることもせず、素知らぬ顔で歩くしかなかった。











2015/7/5(日) 疲労困憊。



 うーんうーん。


○休みじゃないだよ。

△ようこそ地獄へだよ。
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予定通り、酷い目に会いました。
以下、まとめる気力がないのでただのメモ。
・情熱なしにいきることができるのか。
・政治に全くと言っていいほど興味が無い、というか拒絶さえしてしまっている私。
たとえ政治のなかでも、そこで生きることができ、そこで死ぬことができれば幸せだ。そこに目を向け、そこに鬱憤をぶちまければいいのだから。
・主に仕事の影響で、知り合いはともかく、その他一般の知らない人たちへ嫌悪を抱くようになってきた私。











2015/7/4(土) 疲労。



 うーんうーん。


○休みじゃないだよ。

△ようこそ地獄へだよ。
---------------------------------------------------

僕は視界の端っこに、見てはいけないものを見てしまう時があった。それは赤や黒や肌色の肉塊だった。
知人の祖父に、あのお年玉に5000円をくれる人に、そのことを相談しても、ただはぐらかされるだけであった。
しまいには命を狙われることになり、追われるようになった。
一緒に逃げている人の1人には頭の中に小人がいて、時折り、頭を横に開けてはかんしゃく玉を投げつけていた。 しかしその開けた隙を狙われ、
今日も酷い一日だった。明日はもっと酷い日になるのだろう。
仕事に対する情熱というものが全くない。どうして、周りの人達はこれに耐えられるのかが分からない。
情熱というか。やる気が無く、更に疲れてきているので、どうも動きが散漫になりがちである。半日以上(長い!)常に最適な動きを求められているので、 周りからみると、僕はあまりよくない。











2015/7/3(金) 麗しき消費者生活。



 うーんうーん。


○休みだよ。

△明日からはようこそ地獄へだよ。
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ここに日記を書かなくなると、僕の生活が酷くなってゆく。
具体的には消費しまくる生活になってゆく。
仕事終わりには毎回お菓子ジュースなどを買い漁り貪り食い、ゲームやらプラモデルやらに明け暮れるだけの生活。そんな生活になってゆく。
本は読まず、考えることもせず、自分を見つめることもせず、所謂ところの"書かれる自分"がノウノウと自堕落な毎日を送っているだけになる。
"書かれる自分"を野放しにしておいてはいけないのである。"書く自分"を常に頭の中に置いておき、見張り続ければならない。
今日は夕方まで酷い生活を過ごし、日が暮れてから少し本を読んだ。高野悦子さんの『二十歳の原点』という本。
著者は1969年に20年と6ヶ月の歳で鉄道の前に身を投げ、もうこの世から去っている。それまでに書き綴った日記を書籍にしたのがこの本。つまりはそういう本である。
僕は、そういったものに触れていないと、生きている感覚が沸かない本当にどうしようもない人間だ。逆に言ってしまえば、ここに日記を書かなかった 「社会的には健康だった」この1周間は死んだも同然だったのかもしれない。











2015/7/1(水) 



 うーんうーん。


○。

△。
---------------------------------------------------

>にっちもけという言葉に意味は無いです。

ここ数日間、日記がかけなかったのはパソコンの調子がすこぶる悪かったり風邪で頭がフラフラしながら働いていたり休みがなかったりしたためである。元気元気、僕元気。
今のところ、外付けのキーボード(税込み799円)のやつを買って、何とかなっている。
こちらに日記をアップしないあいだも、相変わらず紙の方に日記をかいたり書かなかったりしていたのだけれど、その間のやつはここにアップしないと思う。面倒だから。











2015/6/23(水) 寝たい。



 うーんうーん。


○。

△。
---------------------------------------------------
人はせめて4時間と30分以上は寝なければならぬ。それよりも下回ると、まともに動けなくなる。なった。
;:]










2015/6/23(火) ゆっくりとした時間がほしい。



 うーんうーん。


○今日は休み。

△コミュニケーション能力不足。
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昨日は自分のコミュニケーション能力の無さが直接仕事に響いてしまっていることを考えた。
普通の人は相手の気持ちに立って考えればできるのだろうけど、僕は相手の気持ちがわからない異質な人間である。
だから"普通の人の気持ち"というものをパターンでもいいから出来るだけ忠実に再現する必要がある。完全にはできない、恐らくペラッペラの上辺だけのものが出来上がるだけのような気がするけども。
普通の人が小さい頃から労せず自然にやれてきたことを、僕は今から挑戦しなければならない。学生時代に開き直っていたツケがここに来ているのだと思う。

今日は色々な場所に行った。
朝の6時30分に家を出、田舎道を散歩したあと、野暮用のため某大学付近へ。某大学の某池付近で軽い食事を摂ったあと、トカイに行った。
各場所にはそれぞれの目的があった。だけども大体はくだらないものだったし、僕は何より散歩が好きなので、色々な場所でボンヤリと風景を眺めるのが一番の目的になっていた。
田舎道では立派な祠に奉られた地蔵様。某池では雀。トカイでは色々な種類のヒトを見た。
散歩は時間がノンビリと流れていくのがいい。僕は社会的な事柄については殆んど興味がないのだけれど、日本の社会全体も、もっと全体的にゆっくりになったほうがいいと思う。 「時は金なり」などと言って、何も効率的にセカセカと時間を使うことだけが良い時間の使い方ではない。 時間をゆっくりと噛みしめるのも、また良い時間の使い方であっていいはずだと思う。
時間に急かされ、時間に縛られているから、どうしても社会全体が窮屈になってしまうのだと思う。
それに、どうせ長生きしても80年。未来の医療が発展してしまって将来は100年くらいまで生きることになるかもしれないけども、それでも経った100年だ。
地球の年齢、宇宙の年齢からしてみれば、人の一生など一瞬のきらめきにも満たない。人類という種が絶滅するまで、と考えてみてもそれは大したことはないのだと思う。
たったそれだけの存在だっていうのに、態々自分たちを苦しめるように仕向けていく、というのは、あまり良くないのかもしれない。
しかし、こんなところで夢物語をいくら語っても仕方がないし、明日僕は4時起きで分刻みで行動しなければいけないのである。











2015/6/21(日) 



 うーんうーん。


○沢山働けて嬉しいな(白目)。

△風邪気味。
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今日は「えーい、この、馬鹿、バカー!」みたいな気持ちになる。僕も馬鹿だけれど。
パソコンのキーボードはドライバーを入れなおしたら調子が良くなった。しかしもう4年目。そろそろ寿命なので新しく買い替えなければいけない。お金はあるが、あまり使いたくない……。
お金を貯めたところで何をするのか。一応の目標は立てている。遠い将来のためではなく、近い将来のため。 だが、そこに辿り着くまで今の仕事を続けられるのかどうかが不安でしかたがない。
それに、貯めて、それを叶えたところで、僕を虚無感が包み込むことはよく分かっている。だから実のところ、どうでもいいのかもしれない。











2015/6/20(土) いたいねむいいたいつらい。



 うーんうーん。


○沢山働けて嬉しいな(白目)。

△身体がだるいな。
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喉の痛み、慢性的な睡眠不足、腹痛、若干のうつ状態。そういったものと僕は格闘している。
あとは自分の無能っぷりとか。
そういえば、最近は友人と会っていない。たまには会うべきなのかもしれない。
日記を書く気力も、最近はなくなってきているような気もする。同じような内容しか書かないし。
そもそも、この日記を書く理由の1つが、「自分の記憶というものはどうやっても薄れていくものだから、大切なことをできるだけ書き留めておくため」 とかなんとかだったのだけれど、今の生活において、大切だと思えたことが本当に少ない、というものもある。
仕事は、あくまでも金銭を工面するためだけの作業であって、それ意外には有意義なことは何もないと思っている。
仕事は自分の能力を向上させる、と言われるのかもしれないが、それは"社会にとっての"自分の能力だ。社会ありきの、社会を根本としている考え方だ。 当たり前だ。仕事は一般的に企業がするものであり、企業は社会の一部なのだから。社会は人生の一部だと考えられているのだから。
だが、僕は社会を人生だとは考えない。人生は人生であって、社会はその付属品にすぎない。
どちらかといえば、僕にとって本当の仕事は、この日記を書き続けることなのかもしれない。











2015/6/19(金) 現在について。



 


○無い……。

△寝る隙がない……。
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大学生だった頃の記憶が殆んど無い。例えば同じゼミだった人たちなどは顔と名前が合致しなくなってきた。元々、あんまり覚える気がなかったということもあるけども。
昔のことを思い出したいのなら、当時の日記を読めばいい。断片的ではあるけども、そこから記憶が掘り返されるのかもしれない。
だけども、昔の僕というものは、もうどこにも存在しない。今、存在しているのは、キーボードを叩いているだけの僕だけだ。
同時に、50年後、或いは3分後に死んでしまうであろう僕も、まだ存在していない。
「今」の僕はただ未来の僕にバトンを渡していくだけである。それは部屋の掃除をすることでもあるし、こうやって日記を書くことでもある。



前にも書いたのかもしれないが、仕事上の僕と、プライベートな僕とではかなりの差がある。殆んど別人といってもいいのかもしれない。
別人とは書いたけども、どちらであっても、僕自身であることには変わらない。だが、仕事中ではこの日記に書いていることをほぼ考えようとしない自分がおり、 対照的に、お休みだとかで仕事が無いときは、仕事のことなどほとんど覚えていない。
どちらが主格なのかといえば、それはプライベートのほうなのだけれど、それは仕事があってからこそ成り立っているものであると考えられる。
言い換えると、仕事の自分とプライベートの自分はお互いがお互いに影響を与えつつも、その狭間には分厚い壁がそびえ立っている。











2015/6/17(水) 続・パソコン。



 


○無い……。

△寝る隙がない……。
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今、僕のパソコンはキーをいくつか抜かれたまま、放置された状態に置かれている。なぜなら一応、それで元に戻っているからだ。
幸い、異常のあった部分は普段あまり使わない部分ばかりだったから(コントロールキーとか)外したままでいっこうに構わないのである。
ただ、そのままにしておくとホコリなどが溜まり。そこから、また故障の原因になりそうなので注意しなければならない。











2015/6/16(火) パソコンの調子が悪い。



 辛い。


○無い……。

△沢山寝てしまった。
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一昨日くらいからパソコンの調子が悪い。
悪い場所は恐らくキーボードで、だから当該場所を取り外したりする。
問題は、僕のパソコンがノートパソコンだということである。
キーボードと本体が一体になっていること。それはノートパソコンの最大の欠点であると思う。
問題のありそうなキーを一つづつ取り外してゆく。キーのカバーが取れ、下に潜んでいた柔らかで弾力性に富んだゴムの部品、更にその下に基盤らしきものが見える。











2015/6/15(月) 背徳のぐるりよざ。



 辛い。


○本を沢山読みました。

△しんどい。
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愛だけで生きてゆきたいです。アロハです。
今日も仕事が終わったあとは延々と本を読んでいた。古野まほろ、さんの「背徳のぐるりよざ」という本を読んだ。
ラテン語でいうグルリオーザ、つまりグレゴリオ聖歌が日本訛りした言葉、らしい。キリスト教、というか宗教関係は全くのプーでパーで林家ペーなのでよく分からない。
内容は、春期研修として山奥を目指していた女子高生7人組が突然意識を奪われ、目覚めた場所が周りが岩山で覆われ、外界から隔離された陸の孤島、 時が半世紀止まり、まだ日本が大東亜戦争中だと信じて疑わない未開の山村だった。そしてそこは400年前の戦国時代から始まる、ある呪いを掛けられた場所でもあった。
主人公一行が目覚めた付近で倒れていた、毒殺された軍人二人を皮切りに連続殺人事件の緞帳が上がる……みたいな。そんな本。つまるところの探偵小説である。
18.8x13x2.6cmの541頁(amazonより)にビッチリと活字が刻まれた本なのだけれど、それをスラスラと読ませるのは流石である。相変わらず文章が美しい。
ただ、今回は殺人者側の、その殺人動機が薄かったような気がする。
僕が探偵小説を読む上での大きな理由は、「なぜ人を殺すのか」を見るためである。あくまでもフィクション。しかしそれは死生観に繋がるのものだと思う。
そこが薄いとなると、探偵小説はただの娯楽小説に成り下がってしまうのではないか……そんな気がする。
でも「太陽が眩しかったから」という理由だけで殺人を犯してしまう小説もあるしなあ。それは逆説的な意味を孕んでいるのだけれども。それは探偵小説じゃないのだけれど。











2015/6/14(日) 現状。



 辛い。


○これでも僕は楽なほうなのである。

△鬱っぽい。
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相変わらず、仕事場での僕はポンコツ。
社会というものに出てみて、1つわかったことといえば、僕という人間は社会という目線で見られたとき、 少なくとも今のような職場の目線で見られたときはポンコツである、ということである。
僕はどうしようもなく1人の人間でしかない。ここでいくら言葉をのたまっていたとしても、それは変わらない。
ついでに、僕は人よりも状況判断力、或いは複数のことを同時に考える能力というものが、他人よりも劣っているというものがある。しかも改善不可能だ。
おまけに学もない。
だから、厳密には1人以下の人間がここにいるだけなのである。
昔。とある人に「お前には何も無い」と言われたことがある。
たしかにそうだ。僕には何も無い。今、僕が持っているいうものはなんだろうか。多少のお金。それだけしかないと思う。
なにか自分を向上させるためのものとは一体なんであろうか。
なんとなしに本だけは読んでいる。暇な時間をできるだけ読書に費やしている。文庫本単位で1周間で3冊程度。だがそれが糧になるのだろうか、少しの不安が僕を包む。
その不安は更にこう囁いてくるのだ。「どうせ死んでしまうのだから」と。











2015/6/13(土) 神様ゲーム。



 辛い。


○これでも僕は楽なほうなのである。

△鬱っぽい。
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麻耶 雄嵩さんの『神様ゲーム』を読んだ。
この本、フリガナ付きな大きめの活字と多少不気味だが絵本っぽい挿絵が沢山入っているせいで、一見、児童書のように思えるけども、その中身はとてつもなくハード で不条理に満ちた内容だった。
最初は戦隊ヒーロー物に夢中で、同じクラスの女の子に片思い中の、ただの小学4年生だった主人公が、不幸な目に合いすぎて、 物語終盤になると人生について達観し始め、殆んど別人になってしまっている。
こんな本を子供に読ませたら捻くれた奴になるんだろうなあ、と思う。僕は10年前に読んだのだけど。

働きたくない。どーにもこーにも働きたくない。一日中布団にくるまっていたい。しかし……しかし……。











2015/6/12(金) 鬱と死と視野について。



 ブルンブルンブルヘンベルグ。


○休みだ休みだわーいわーい。

△鬱っぽい。
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今日もなんとかして自分を外に出させるような気分にさせた。
昨日分の日記に少しだけ書いたが、最近はうつ気味である。
家から一歩も外に出たくない。働きたくない。
だけども、生きていたくない、とは感じない。
普段から「そういったこと」を考えている所為か、自殺という手段への必要性を今は感じていない。
逆に考えてみると、自殺をする人、或いは自殺を考えている人は、考えるという所作をしていないのかもしれない。
いや、そうする余裕がないのかもしれない。
どちらにせよ、死ぬという方向に考えを奪われがちになって、周りが見えていないのだと思う。
そうか。考えていない、というより視野が狭くなっているのか。
それは今の僕も同じである。「死」ということしか今は考えていない。これは「自殺」という意味ではなく、あくまでも「死」とうことである。
今だって「死」を題材にした本ばかり読んでいる。その中で1冊を取り上げるなら『死ぬための生き方』という本。
これは還暦を迎えた小説家や俳優、財界人などが死を目の前にして改めて自分の死生観を語っている本なのだけども、これがなんとも面白く無い。
なぜなら殆んどの内容が「死ぬまでに悔いの残らないように生きたい」だの「○○教(△△宗)の教えによれば〜〜だからたとえ肉体が滅びようとも恐れは無い」だの、 「私が死んでも私が残したものは世界に残る」といったことしか書かれていないからである。
それは僕が求めているような考えではない。そういったことが読みたくて、僕は本を読んでいるわけではない。
僕は、上で書かれているような考えを否定するつもりはない。ただ、そのような考えばかりが詰まった本が出版されていることに少しだけ薄気味悪さを感じるだけである。
つまり僕が何をいいたいのかというと、僕が今読んでいる本は様々な死生観を語らせているようでいながら、明らかに考えの方向性を定めている視野の狭い本であること。
同時に、そういった方向性を頑なに受け入れようとしない、僕自身の視野の狭さがある、ということである。








2015/6/10(水) 本日の夢日記。



 ブルンブルンブルヘンベルグ。


○。

△鬱っぽい。
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出勤として施設型のテーマパークに行く。1階は外国の入口であるかのようなスーパーマーケット。日本語と英語が入り乱れる。 僕はあまり知らないけれども、会社の同僚らしき人物と、そこに来ている。 同僚の顔はよく見えない。というか現実世界において、僕は同期の人たちと、あまり仲良くしようとはしていないので仕方がないのかもしれない。
おそらく、現代日本では採用されないであろう、階段の移動方式。それは階段の手すりに足を載せ、紐でいきよいよく引っ張られるのだ。
うえに登ると、室内であるのに、そこは広大な公園である。フラフラとさまよっていると、クジラのように大きな鶏が、小さい鳥に囲まれて寝ている。そこは動物園だった。
さらに上に登ってゆくと会員制のプールがあるフロア……。
なんだか、書いていてつまらなくなってきたので、やめる。








2015/6/8(火) 無駄。



 まっくすだよー。


○休みはとてもよいことです。

△対して飲みもしないのにお酒を買いすぎです
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仕事中は業務にとって無駄な動きを極力しないように求められるため、休みの日になると、余計に無駄なことをしたくなる。
例えば無駄遣い。例えば外出した時の回り道。
ゲームをするだとかネットサーフィンをするだとか、ぼぉっとテレビを見るだとかは無駄ではあるけども、僕の中では無駄中の無駄であり、できることならやりたくないから、やらない。
だからここでいう「無駄」というものは、一見無駄ではあるけども、その実、無駄ではないような気がすること、である。
なんとも傲慢な考えなような気がする。
というわけで昨日(8日、月曜)はプラモデルを買い、サイゼリヤでボトルのワインを始めとした普段絶対に頼まないようなメニューを頼み、古本を数冊買った。
帰宅する時も、いつもとは違う道を通った。
こうやって書き出してみて改めて思い知らされることなのだけども、なんとも悲しい無駄行為なのだろうか。
無駄遣いをするとしてもなんでファミレスなのだろう。寿司とか食べればいいのに。 (どうでもいい話だけれども、とある友人はスーパーでたまに買うパック詰めの寿司が日々の楽しみらしい。)古本じゃなくて新品で買えばいいのに。
僕は自分という範疇から抜けだせずにいるのだ。自分を、自分という枠の中に抑えこみ、そこで安心していたいのだ。 ただ単に心の奥底が「無駄なことをしたくない!」と叫んでいるからなのかもしれないけど。

小説版のゼータガンダムを読み終えた。感想を某所に投稿しようかと思ったけども、なんだかまとまらなくてツマラナイ文章で途中で辞めてしまった。その途中経過を下に残す。

――登場するロボットが格好いい、躍動するキャラクターに好感が持てるといった感想を持つ前に、おぞましい何かを感じた本でした。
その根本にあるものは、頁を追うごとに主人公が精神的に壊れていく過程。それから登場人物が死ぬときの描写です。
あくまでも架空の人々ですが、生きていた彼(女)たちが次々と、しかも無残に生々しく死んでいく様は僕に強い印象を与えたように思います
『そのビームはロボットの装甲を溶解させ、コックピットの装甲を溶かし、その籠の中にいる小鳥のような彼女の宇宙服から、その衣服と肌と骨を溶かしていった』







2015/6/7(日) 雑文。



 まっくすだよー。


○仕事楽じゃなかった。

△頭痛い
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疲労のためか、仕事中に軽い頭痛と吐き気に襲われた。身体からのサインだろうか。
短い休憩時間、短い睡眠時間ではどうしても負担がかかってしまうのだろう。

何故か家族と友人で出かけることになる。ワンボックスカー。あのパチンコ沿いの道。
宇治抹茶のデザート或いはどら焼きを頼む。「楽しみだなあ」と呟いているが商品は出てくることがなく、それが2回繰り返される。

仕事から帰宅し、遅い晩飯を摘みながらボンヤリとテレビを観ているとサーズだかマーズといったウィルスの特集が組まれていた。
海外というものは魅力的だけども、海外を考える度に日本がいかに恵まれているかが分かる。恵まれているだけなのだけども。







2015/6/6(土) 疲れた文章。



 べいまっくすだよー。


○仕事楽じゃなかった。

△ニートになりたい
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そういえば先週の土曜日は飲み会のあと、1時間と30分だけ寝、栄養ドリンクを飲んで仕事に向かった。よく生きていたと思う。
そんな生活を続けていたら本当に死ぬと思う。
以前と比べて顔がふっくらしたとも言われたし、実際に体重は増えたし、夜食は増えてるし、慢性的な睡眠不足と偏った食生活の中、僕はどこに向かっているのだろうか。
それから、今日はサビ残を殆んど強要に近い形にされた。サビ残は老僧車のやる気と体力を削ぎ、それが続くようであれば結果的に能率が落ちるということが分からないのだろうか。
もしかしたら、あとからちゃんとその時間分だけ付けてくれたのかもしれないけど。










2015/6/5(金) 焼きまし文章。



 べいまっくすだよー。


○最近は仕事が楽。

△でも働きたくない。家で寝ていたい。
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考えたい気持ちと、考えたくない気持ちが交錯して、それでもなんとか僕は今日も電車に乗ったりしているのである。バスにも乗っている。
考えたくない気持ちになるのなら楽である。この世には娯楽というものがウンというほど溢れている。酒、色欲、ゲーム、カラオケ、テレビ……。
浸ることができたら楽である。しかしどうして、僕は浸ることができないのだろうか。どうして、考えてしまうのだろうか。
「いずれ、この地球は膨張した太陽に飲み込まれる」そういったことを考えている時だけ、自分が生きているという実感が湧いてくる。
逆にいってしまえば、それ意外の物事に関しては、僕にとってそういった実感を持てていない、ともいえるのかもしれない。
最近は夢の中であっても、仕事に関する物事が出てくるようになった。代わりに、友人が出てこなくなった。寂しい。










2015/6/4(木) 理想の暇つぶしの仕方。



 るるるん。


○最近は仕事が楽。

△でも働きたくない。
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少しだけ時間に余裕がある日であっても、寝転んで本を読んでいたら直ぐに寝てしまう。当たり前だ。いつも睡眠の時間が足りないのだから。
1日に4時間か5時間程度しか寝ていない僕は身体の状態があまり良くないのだと思う。そのうち倒れてしまうのかもしれない。死んでしまうのかもしれない。
しかしながら、そこで余分な時間を睡眠に当ててしまっては、本当に家と職場を行き来するだけ生活になってしまう。それでは生きていることにはならない。 多少、寿命を縮めることになろうとしても、僕は起きて、何か実のあることをしなければならない。
実のあること、といってもそれは別にエライことをしよう、というわけではなく、ただ本を読む、散歩をする、だけでいいのだと思う。 本は文字を媒介にして世界に触れることができる。散歩は五感全体を通して世界に触れることができる。
できれば、散歩をして世界を観察しつつ、適当に座れそうなところを見つけたら、そこで本を読み耽るのがいい。 そこで、何か1つでも考えが浮かび上がると、すかさずメモを取る。家で読書をすると、どうしても代わり映えがしないし、なにより僕の場合寝てしまう。
とにかく、世界と向き合うのが重要である。










2014/5/3(水) 仕事と情動。



 るるるん。


○あんまり働いてない。

△働きたくない。
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色々なことを加味したとしても死ぬ時は少しくらい良い気持ちのまま死ねたらいいなと思うのは、結局は僕が弱々しい人間だからだ。
少し話をするだけで自分の中でそういった風が吹いてしまうのは、他人の中に可能性を見出してしまっているからである。
当たり前ではあるだろうけども、仕事中の僕は従順である。極力、能動的に人を理解しようとし、業務をこなそうとしている。
だがそれは僕にとって仕事だからであり、僕の本心、或いは本質的なところで動いているわけではない。
だから仕事中に、どれだけ自分を否定されたとしても、それはあくまでも社会的な部分を指摘されているわけだから、 多少、悩むことはあるだろうけども、考えはやはりどこか外に置いている。
僕が何より大事にするのは本質の部分、情動の部分だ。そこを動かすことができるのは、仕事ではない。人や景色や音楽や野良猫だ。
特にその中で人間というのは、本当に貴重な存在なのだと思う。例え、それが悪い方向に動かされるようなことであってもだ。










2014/5/2(火) 日記を書かなくなる。



 ピーピーガガガ、ブブブブ。


○。

△。
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近頃、日記を書かなくなっていたのは僕の意志とは違う場所で起こった様々な原因があったわけなのだけれども、 そういった事々に対しても、自分の無意識の元で勝手な働きがあったのかもしれない。だから本質的には、日記を書けなかった、 というより日記を書かなかったといってしまうほうが正しいのかもしれない。

6月1日は仕事が休みだった。しかし僕は堕落していた。夕方の5時頃まで、買いだめしてあったお菓子やジュースを食べ飲み散らかし、寝ていた。
疲れていた、ということもあったのかもしれない。実際僕は疲れていた。色々な意味においてだ。
何とか外に出てみようという気持ちになった。殆んど散歩がてら、一応原付きを探すという名目で自転車を漕いだ。1時間ほど漕いだ。疲れただけだった。
明らかに知っている人を見かけたが、様々な事情により声を掛けなかった。
6月2日も殆んど家で過ごしていた。夕方になってやっと外出した。用事があったからだ。それからは少し学生のようなことをした。具体的にはカラオケなど。
この世にが娯楽が溢れていて、それは僕に色々なことを忘れさせてくれる。たまの娯楽は薬になるのかもしれないが、大体は毒でしかない。










2015/5/27(水) 優しさ。



 ピーピーガガガ、ブブブブ。


○精神の安定。

△沢山歩いた。
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今日もイライラしていた。
というのも、殆んどが自己嫌悪である。自己嫌悪を抜いてみると、自分に残されている時間が無いことに腹を立てている。
人がみっしりと詰まっている電車に乗った。 生まれも育ちも顔も服装も背の高さも考え方も全然違うであろう人間が、おびただしいほど存在しているということを改めて知らされたとき、 戸惑いと同時に窮屈さも感じた。
僕は他人に対して怒りを覚えることが殆んどない。
何故なら他人に興味が無いからだ。
だから、戸惑いと窮屈を感じたとしても、怒りは感じない。人を人として見ていないのかもしれない。
いや、「人を人として見る」という行動を、今までに一度もしたことがないのかもしれない。「人」という感覚、 あるいは感触を僕は触れたことがないのかもしれない。
僕が他人に優しくするときは、やや複雑な頭の働きがあるのだと思う。
クドいようだけども、僕は全ての他人に対して興味が無い。それなのに優しくする、ということは、その一見「相手のことを想うような行動」には 「相手のことを想う」という気持ちが僕に内包されていないのである。だが、「優しくしなければいけない」という気持ちは存在している。
つまり僕が行うような「優しさ」には相手個人が含まれておらず、あくまでも一般的な行動をしてみせてるだけなのだ。
だからなのだろうか、親切にした相手に「ありがとう」と言われようが言われなかろうが、その辺りはどうでもいいことなのである。
こういったことを終始考えている自分に、イライラする。










2015/5/26(火) 常識。



 ピーピーガガガ、ブブブブ。


○精神の安定。

△ブルーベリー黒酢があまり美味しくない。
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社会人としての常識が、無い。社会人というか人間としての常識が無い。
他人を敬うこと、行儀の良い行動をすること……。そういったことが自然にすることができない。
ついでに、他人に気を使おうとすると、やり方がマズくて裏目に出てしまうこがちょくちょくある。どこかで見たような光景だ。
、 原因は分かっているし、もうここでも何回か書いてきたことなので、もう書かないのだけれども、いったいどうするべきなのだろうか。
シラミ潰しに、一つ一つのことを覚えていくしかないのだろうか。









2015/5/25(月) ふたつの狭間で。



 死ぬかと思った。


○カロリーメイトが癒し。

△カロリーメイトの費用で消費が酷い。
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多少、早く帰ったりすることが出来たとしても、すぐに寝てしまうだけで、特にゆっくりできるということが無い。結局、同じような日々が続くだけである。
半日労働で9連勤。どこまですり減っていくのだろうか。

生きることの重圧。死ぬことの重圧の狭間で生きている。
生きること、つまり今の僕にとっては仕事のことに苦しまされながら、死ぬこと、つまりいつか死んでしまうことについても苦しまされている。
自分がどれだけ忙しい目にあっても、結局「自分がいずれ死んでしまうこと」について頭から離すことができなかった。
生きることも理不尽、死ぬことも理不尽である。










2015/5/24(日) タンポポ。



 死ぬかと思った。


○カロリーメイトが癒し。

△常識的な行動ができない22歳。
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今日の話ではないのだけれど、休みの日にブラブラと外を散歩していたら、タンポポを見た。
あの棘々しい攻撃的な西洋タンポポではなく、ほっそりとした日本タンポポ。僕は数年ぶりにタンポポを見たような気になった。
まずそんなことはありえないはずである。タンポポなんて(少し遅めだけど)今の季節だとどこにでも咲いているはずである。
それなのに、僕の頭にタンポポの描写が無いということは、それは頭がタンポポの情報を必要がないこと、 取るに足らないことだと判断しているからである。
同じように、僕の頭が"必要がない"と勝手に判断していることは他にも沢山あるのだろう。
アスファルトが作る微妙な模様、空に浮かぶ雲の立体的で流動的な形、夜に照らされる月までの距離、他人の微妙な変化……。










2015/5/23(土) 



 すぐ調子に乗る。


○256円のチョコレートが癒し。

△物事の善悪が判断できない22歳。
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父親が亡くなったようで、そのおかげで人は東京に6日は近づけなくなったようだ。
僕はその話しに入ることができない。入り方が分からない。話に馴染むことができる自分が想像できない。
それはまるであのときと同じである。会話に加わるということ、他人の為に話を聞くこと、そういったことがしたいと思っているのに、できないのは僕が持つ一番の欠陥である。
岩砕きと怪力ではいることができる建物。
それは雨が降っているカフェあるいは公民館、あるいは葬儀場である。周りが電車で帰るなか、僕は勝手にふてくされて一人で帰る。
ボンヤリと赤い車を運転していると、道を逆走していたようで、婦警さんに厳重注意、あるいは逮捕される。
昔から頭だけ別の場所に移って、身体だけが動いている、という状態になることが多かった。昔は自転車なり徒歩なりでまだ危険性の少ないものであったが、 今は自動車という人を殺すことができる機械に乗っている。
たまに高齢者が高速道路を逆走するというニュースが報道されたりするが、僕はそれを他人ごとだと思うことができない。
事故を起こすことがなくてよかったと安堵した。










2015/5/22(金) 眠たい文章。



 トルトルメントル。


○色々大切。

△明日は辛い。
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何が悲しくて6時半に家をでなければならないのだろうか。本当に悲しい。
それから眠たい。5時間ほどしか眠れてない。そのうち身体にガタが来るのだろうな、と思う。

親知らずは相変わらず痛い。歯茎が炎症を起こしているようである。歯ブラシで擦るのも躊躇してしまうほど痛い。しかし歯医者に行けない。今日も風邪薬。

和室で子供が虐待を受けている。暴力を振るっているのは父親だ。母親の姿は見えない。
僕はこの子供が家庭内暴力から開放されることを何故か知っている。父親は金髪で色黒。絵に描いたような人間。子供は小学3年生くらいの男の子。

癒しが欲しい。










2015/5/21(木) 親知らず。



 マサイヤコイコイ。


○薬の大切さが分かった。

△時間がない。
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奥歯が痛い。恐らく親知らずだろう。
思えば一昨日の辺りからギシギシと歯茎が痛くなっていた。虫歯か歯周病かと思っていたら、痛みの感覚的に親知らずだろう、ということになった。
だろう、ということはあくまでも自己判断であって、歯医者に行っていないということである。行く隙がないのである。
この前の火曜日に一回休んだのだから、次の休みがいつなのかもよく分からない。また次の火曜なのだろうか。それとも金曜なのだろうか。
それに、休みがあったとしても原付きを探しに行かなければならないだの、親を携帯ショップに連れていかなければいけないだの、色々とやらなければいけないことがあるのである。 だから、時間がない。
時間がないのだから、とりあえず鎮痛剤としてバファリンでも飲んでおこうと思って薬箱を開けたら、バファリンどころか、飲み薬さえ殆んどなかった。風邪薬と、あとは絆創膏とガーゼと消毒液があるだけだった。
もう本当に仕方がないから、多分、鎮痛作用があるのだろうと見越して、風邪薬を飲んでいる。
本当に、何やっているのだろう。
明日も7時に家を出、22時半くらいに帰ってくる生活。明後日も、明々後日も。










2015/5/20(水) 味のある夢。



 マサイヤコイコイ。


○ようやっと、仕事場の人たちと少し打ち解けれるようになった気がする。。

△また無駄買いが多くなる。
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夢の中のメンバーは大体いつもと同じようなもので、また僕らは旅行か何かに行っているようだった。
そこでどこかお店でご飯を食べることになり、階段を降りていた。
その階段の幅は狭く、人一人が通れるほどであり、直ぐ横に壁があった。その壁は赤や黄色、紫などの極彩色のマーブルで塗られていた。僕は90年代を感じていた。
地下4階くらいにあるそのお店は、どぎつい色をした壁に囲まれている中、ポツンと日本家屋のような茶色の外観をしていた。
店前のショーケースには料理の見本とスチール製の筒があって、その中にはスープだかタレが入っていた。どうやら味見ができるようだった。
筒の中の液体を飲んでみた。いつの間にか長身の男がいて「餃子は食べますか。今すぐ作れますよ」などと言っている。液体は深みのあるダシのような味がした。 僕がセットしていたケータイのアラームが鳴った。
味のある夢をみたのは初めてである。










2015/5/19(火) 理不尽。



 マサイヤコイコイ。


○働くのが嫌だからお菓子を腹いっぱいに食べる。

△カロリーメイト依存になる。
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僕が今まで受けてきた仕打ちも、今受けている仕打ちも、恐らくは僕に課せられた欠陥によってもたらされたものなのだろう。
それでも今までは、ある程度のラインまでは受け入れられてきたのだけれど、これからは「普通の人」というものを求められるようになってしまった。
だが、僕はその脳の構造上、「普通の人」に行き着くのは殆んど不可能である。多少は普通までたどり着けるのかもしれないけども、そこまでは随分長い時間が掛かるのだろう。 そこまで周りの人間と僕は持つのだろうか。
生まれてきたことへの理不尽。脳に欠陥を持った上、殆んど手遅れなときに気付かされた理不尽。意味も無く死んでしまう理不尽。容姿、家庭……。
理不尽を挙げてみると、キリがない。
僕が生きているこの世界は理不尽の塊である。平等などありえるはずかない。むしろ、世界が平等になるほうが困る。なぜなら日本は世界の内では随分恵まれているほうなのだから。 理不尽だなんだとグチグチ言っている僕より明らかに理不尽なことに襲われながら、それでも懸命に生きている人は沢山いるのだから……。
とにかく、この世界は理不尽である。僕は、この理不尽に妥協することもなく諦めることもなく生きなければならない。「清濁併せ呑む」などと言って受け入れることもしてはいけない。 闘うしかないのである。
つまり早く寝るできなのである(今現在深夜1時47分)。 以下、休みだったけども家に閉じこもっていたらアレかと思ってブラブラと外に出たら起きたイベント。
野外販売の人に優しくしてしまう。
勝手に職場に行き、勝手に傷つく。
ゲーセンで現実逃避。時間と金の浪費。
買い食いを連発。
家に閉じこもっていたほうがマシだったのかも。










2015/5/18(月) 



 マサイヤコイコイ。


○お菓子を腹いっぱいに食べる。

△週一しか休みがない。
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最近はここを更新した後、実際のブラウザで確認をしていなかったために微妙にレイアウトが違っていた。どうでもいいけど。
どうでもいいことをもう一つ。僕の手はボロボロである。
3週間くらい前に酷い火傷をしてしまって、今でも薄っすらとその跡が残っているのだけれど、後遺症なのか微妙に痺れを感じるのだけれど、 それ以降も僕の手は軽い火傷は勿論、ヒビやアカギレが絶えない。辛い。










2015/5/17(日) 大人。



 


○ガンプラ作るの楽しいよ。

△眠たいよ。
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仕事先の岩肌があるような秘密基地的な所に潜入しようとして警備員に見つかって、なんやかんやする夢。
そんなことはともかく、今日も酷い一日だった。なんかもう酷い。僕の中で大人という言葉の意味内容がどんどん劣化していくのが分かる。
> いや僕よりかは確かに大人である。それに、僕の知らない場所では大人という言葉に合うような人が沢山いるのだろう。
だけども、実際に僕が目にしているそれは、僕の中で描いていたそれとは色が違って見えてしまう。
大人である前に人間である、といったことを考えるべきだと思う。結局は人間なのだ。
僕も人間、相手も人間。どうしようもなくどうしようもないのだ。






2015/5/16(土) 夢。



 


○飴ちゃんが美味しいよ。

△ずっと仕事。
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また夢をみた。あまり詳しくは書かないけれど、良い夢であり、嫌な夢だった。
夢というものはそれこそ自分の脳が生み出した幻想にすぎず、現実のものではない。だから夢なのだ。
最近は、だいたい朝7時に家を出、22時40分くらいに帰ってくるという日々を過ごしている。
就業中は、脳の欠陥も手伝って、毎日のようにミスをする。当然怒られる。呆れられる。
睡眠時間はだいたい5時間〜長くて6時間。一応、多少の睡眠不足は感じるものの、それなりに身体は持っている。そのうち倒れるかもしれないけど。
そういった酷い生活をしているなかで、僕の脳が紡ぎだす幻想は、ある一種の慰めになってしまっている。






2015/5/15(金) 今日も何もない。



 1日13時間労働。


○飴ちゃんが美味しいよ。

△ずっと仕事。
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たまに、昔のことを思い出す。
だけども、それも殆んど思い出せず、記憶の断片がまばらに浮かんでいるだけで、僕はそれを少し覗いてみるのだけど、ただ切ない気持ちになるだけである。
一日の業務にあるほんの少しだけの休憩時間の中で思い出す。
あの人は今頃どうしているのだろうか。あいつは今も働いているのだろうか。そう考えてみると、思い起こした人たちが遠いところにいるはずなのに、近くに感じるような気がする。
それは錯覚である。
だが、錯覚であろうとなかろうと、僕はそうすることによって少しだけ安心している。





2015/5/14(木) PCがオフラインになる。



 頑張るって、何。


○チョコレートが美味しいよ。

△明日仕事。
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今もよく日本語が通じない。自分に脳の障害があるなんてことは職場の人らに話していないし、話してみたところで怪訝な顔をされるだけなような気がするから話していない。
僕は自分に欠陥があるということに気づくのが遅すぎたように思う。
『自分は正常だ』と考えていた時がよくあって、コミュニケーション能力が低いことも、いつかは改善できると思い込んでいた。
だが、それは不可能であると言われ、自分がこの先、他人と世界線を共有することができないと知ったとき、もう僕は既に就職という道に進んでしまっていた。
学生のうちでも、いくらでも気づく機会があったあったはずである。あの集まりのとき。あの演奏会のとき。あの場所のあの会話のとき……。
『自分は正常だ』全てはこの傲慢な考えが僕を駄目にしていた。 多少、他の人とは違う考え方を持っていたのだけど、それはあくまでも個性であって思想であって、それは戻そうとすれば戻せる。そういった考え。
とりあえず、もう既に僕は進んでしまっている。この足は止めることが出来ない。
僕は正常なフリをして、どこまでいけるのだろうか。






2015/5/13(水) PCがオフラインになる。



 頑張るって、何。


○今日休み。

△明日仕事。
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お金をケチったので僕のPCはネットにほぼ繋がらなくなった。
ほぼ、ということは、一応繋げようとすればスマホを介せばここの更新くらいのために繋げれるのだけれど、正規の方法では繋ぐことができなくなった。
この結果は、むしろ良いことだと思う。なぜなら僕はいい加減にネットの世界から離れるべきだからである。
これはなにもネットだけの話しではない。僕は自分の周りから、できるだけのモノを削ぎ落とすべきである。
それはお金の節約のためもある。だがそれ以上に興味の削減、それによる時間の節約。そして意志の集中が必要だからである。
今僕がするべきことは本を読むこと、それから色々な場所を見ることだ。どちらも自分の世界を広げてくれることなのだと思う。それ意外はできるだけ削ってしまいたい。 そうしなければ、僕には時間が足りなさ過ぎる。
これからの人生を、やりたくもない仕事でお金を稼ぎ、そのお金を部屋に篭って趣味に費やすだけに生きるのは嫌だ。そう考えれるようになった。 あとは実際に少しずつ行動に移していくだけだと思う。モノで溢れかえっている現代。上手くできたらいいのだけど。










2015/5/10(日) 続2・僕という人間。



 頑張るって、何。


○風邪が治りかける。

△仕事が増える。
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悲しいということは悲しいということである。
不思議なことに、鬱のような状態は出ていない。だから僕は一応健康だといえるのだろう。多少の発達障害の気があるけども。
僕の脳に欠陥があることは分かった。僕が他の人と同じようにコミュニケーションを取ることができないということは分かった。
だからこそ、悩むべきである。考えるべきである。そもそも、僕が本当に他人に興味がないのであれば、ここまで考えることはないはずである。
回り道をして、途中でうずくまったりもして、それでも進むべきである。意味がなくとも。










2015/5/9(土) 続・僕という人間。



 頑張るって、何。


○風邪が治りかける。

△仕事が増える。
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元々、信頼関係というものはただの錯覚でしかない上に、僕は脳の構造上、他者を理解しにくい人間である。
だから、僕がどれだけ人と解り合おうとしても、それは土台無理な話だろう。
実際、僕は人と話すとき、自分のなかでどこか苦痛を覚える。無理をしていることを感じる。
どうしても話をしたい、理解したいと思えるような人がいたとしても。僕はその人と話す度、疲れていた。
何かアクリル板のような透明な壁が僕と他人との間に敷かれているような感覚がするのである。
今思えば、それは僕自身が作り出していたのだと思う。
意志の中では他人を欲していても、本質のほうが他人を拒絶していたのである。
僕は昔、人との関わり合い方を考えた時、他人を跳ね除けている本質部分の自分を発見した。だが、それを自分の意志だと取り違えていたのである。
自分という人間は、意志が「他人に興味が無い」と思っているから拒絶しているのである。そう考えていた。
だが、それは違った。僕は興味の有る無し関係なく、僕の意志に関係なく、全ての他人を拒絶していたのだった。だから、相手のことが分からなかった。いつも自分の世界で生きてしまっていたのだ。










2015/5/8(金) 僕という人間。



 頑張るって、何。


○1周間ぶりの休み。

△風邪が2週間以上続いている。
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少し前、精神科で受けたWAIS-Vの結果が出た。僕はアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)。ついでにADHDの気があるらしい。
一応、「そのような傾向がある」ということだったけども、 話を聞いていたら、「他の病院だったらグレーの判断ではなく、完全に、アスペルガーだと診断されるのかもしれない」とのことだった。
精神病には明確な判断基準がなく、その先生の基準では、生活に支障を来しているかどうか、であったため、僕の場合ではあくまでもグレーな領域にいるとの判断だった。
どちらにせよ、僕は他人より劣っている人間である、ということである。
僕が苦手とすることを挙げると、次の様になる。

・応用力を求められること。
・臨機応変な対応をすること。
・同時に複数のことを考える、作業をすること。
・場の空気を読むこと。
・他人に共感すること。

これらは改善不可能である。なぜなら、僕の脳がそういう作りをしているからである。
ここで2つ、わかったことがある。それは、僕は今の職業に合っていないこと。それから、僕という人間は、脳の作り的に他人を理解することが難しいということである。











2015/5/6(水) GW5日目。



 頑張るって、何。


○食欲旺盛。

△風邪が2週間くらい続いている。
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今日はGW最終日だったらしい。
僕にとってはそんなことはどうでもいいことである。GWがあろうとなかろうと、僕は働かなければならず、それはとても嫌なことだ。
しかし、生きていくためにはお金が必要であり、お金を稼ぐには働かなければならない。
だから働くということは生きることであるといってもいいのかもしれない。
恐らくこれといった才能もないのであろう僕は、働いて一般的な生活を送るのか、それとも働かず、普通という路線から脱落した生活を送るしか無いのである。
2つ。僕の人生の生き方は、大きく分けてたったの2つしかないのである。
一応、自殺という線も考えられなくもないけれども、それはまた違う問題だと思う。僕は今、可能な限り生きるということを前提にした中で考えている。
話を元に戻したい。なんてこの世は窮屈なんだろうと思う。
働いたとしても、いわゆる普通の生活を送ることができるのだろうけども、僕にとってそれは細く長く萎びた紐切れのような人生でしかない。
だからといって、働くことを辞めてしまえば、多少充実した生活を送ることは出来るのかもしれないが、それは短く、僕は数年以内に死んでしまうのだろう。
どちらも嫌だ。と頭の中でワンワンと鳴り響いている。
しかし、近頃では社会からドロップアウトする生き方に魅力を持ち始めてしまっている。
「どうせ意味もなく死んでしまうのだから」「どうせ僕は社会不適合者なのだから」と囁きが聞こえる。










2015/5/5(火) GW4日目。



 


○。

△。
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飛行機事故で死ぬ夢。小学生に戻っている夢。木製の機械?の手伝いをしている夢。
せっかく労働基準法に則した時間に帰ってこれたのに、自宅には寝に帰っただけだったこと。それだけ疲れていること。
きょうも酷い社会不適合者っぷりで周りを呆れさせたこと。半分、僕は開き直りかけていること。
本当に嫌になれば辞めればいいこと。その先のことはなにも考えていないこと。
今回の日記は書く時間が殆ど無いこと。とにかく眠たく、とにかく時間が無い。






2015/5/4(月) GW3日目。



 頑張るって、何。


○食欲旺盛。

△体型変わりそう。
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今日は疲れた。とてつもなーく疲れた。酷い一日だった。しかもGWはまだある。
毎日毎日、半日くらい働いていて、その時間中は殆んどずっと動いている。それで薄給なもんだからたまったもんじゃない。

最近、仕事に影響してか、せっかちになってきたしイライラするようになったしオマケに口が悪くなってきたように思う。
これはとてもよくない兆候である。僕が僕でなくなっていくような感じなのである。ここまで人は変わるものなのだろうか。ハゲの進行は止まらないし。 いやでも半日も働いていたらそうなるのも当たり前なのかもしれない。
軽く書いているけども、これは深刻な問題である。つまり僕は精神的にも身体的にも少しずつ変調をきたしているのである。 これが続いてしまうと、本当にどうなるのか分からない。
そうなる前に、これからの自分というものを考える必要があるのだと思う。










2015/5/3(日) GW2日目。



 頑張るって、何。


○頭が、身体が馬鹿みたいに酷く長い就業時間に慣れ始めてきている。

△つまり僕の心身は馬鹿になってきている。
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入社式で隣の席に座っていた人が辞めてた。正しい判断だと思う。
その決断力、行動力は本当に素晴らしいものであり、僕も見習うべきである。
ただ、僕がまだ辞めるわけにはいかない理由は、まだお金が必要なのであって、そのためには今の場所で働き続けることが一番の近道だからである。
自分の時間が殆んど取ることが出来ない場所で働き続けることが、長い目で見たら時間的な効率が良い、というのも嫌なものである。
ただ、自分の時間が無くなったことで1つだけ良かったことがある。
それは、その少ない時間では自分が本当にやりたいこと、或いは本当にやるべきことしかやらなくなった、ということだ。
具体的に書くと、ネットサーフィンやゲームをすることが殆んど無くなった。無駄な時間を過ごしているようで怖くなる。
代わりに、本を読むことと、今この日記を書き続けることに時間を割いている。どちらも僕にはとても重要な位置にいることだと思う。
人生に生きる意味は無い。だから、無駄という概念は取り払うべきだけども、だからといって仕事と娯楽だけで生活を回転させ、堕落するわけにもいかない。
そうなってしまうと、人生の虚無性についてさえも、考えられなくなりそうだからである。










2015/5/2(土) GW1日目。



 今日は頑張らなければいけない日だった。


○一日の終りに飲む豆乳(バナナ味)。

△連休にマイナスのイメージしか感じない
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火傷は大体治ってきている。そりゃあもう熱湯に手を突っ込んでからもう12日も経ったのだから、ある程度は治るべきである。
あれだけ無茶苦茶に膨れ上がった水ぶくれはもう全部無くなって(殆んど潰れたのだけど)消えてしまった。
特に感染症だとか炎症だとかが起こらなくてよかった。
ただ、その下にある新しい皮膚がとても赤い。僕は対して気にしていないけれども、人によっては痛々しさを覚えるくらい赤い。まるでぬーべー。
この赤い皮膚もそのうち消えるのだろうか。それとも一生残こるのだろうか。



今日は自分が勤め先にどんどん飼いならされていっていると感じた一日だった。
週に2日休んでいたら休みすぎらしい。
この人たちは頭がオカシイんじゃないかと思ったけども、何かを言える立場ではなかった。
そしていつもより30分早く上がらせてもらっただけで大喜びしている僕がそこにいたのである。










2015/5/1(金) 夢よさようなら。



 今日は頑張らなかった。


○風が心地よかった。

△明日から楽しい楽しいとっても楽しいGW。もうダメだ。
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夢を見た。
それは素晴らしい夢だったけども、同時に悲しい夢であったし、情けない夢でもあった。
そういえば、僕は村上春樹の「ノルウェイの森」を読み終え、某所にこんなレビューを投稿した。

「悪いモノではないけども、良いモノでもない。だけどもどこか惹かれるモノを感じさせてくれる作品。
その惹かれるモノの根本を探ってみると、そこには僕が果たすことの出来なかった理想があったのだと分かる。
つまりこの作品には僕が送りたかった生活がこれでもかというくらいに表現されている。
人間関係に悩み、その悩みを洒落たカフェで話し合い、ときにはセックスをする。
こういった生活は何も僕だけではなく世間一般に考えられる理想の生活なのかもしれない。そして時々鼻に付くような表現が出てくるが、それは同族嫌悪なのかもしれない。」
その夢は僕の1つの理想を描いていた。夢から覚めたとき一気に現実の世界が押し寄せ、僕は酷い寂しさを覚えた。 だから、悲しくもあって情けなくもあった。僕は未だにこのような夢を見てしまうのか、と思った。
本当は上に書いたレビューも補足で色々と書き足したかったのだけれど、そんな時間も無い。僕はもう現実に晒されに行かなければならない。










2015/4/30(木) 久しぶりにセンチメンタル。



 今日も頑張った。


○明日も休み。

△休み明けは 楽しい楽しいとっても楽しいGW。
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今日は会社が休みで、また少し用があった為にBOXに行くことになった。
約1ヶ月ぶりのBOX。2階に上がる為に階段を登っていたときは焦燥感と切なさで胸が詰まりそうになっていた。
だが、部屋の扉が開いていていることを確かめ、そこに昔と同じように入ったとき、 そこに後輩たちが引き詰めあって座っているのを見たとき、知っている後輩が僕のことを気遣って話しかけ、一言二言の会話が発生したとき、 頭の中に共鳴を感じることができない自分に気づいた。僕はこの古巣に何も、本当になんにも興味を抱いていないことに気づいてしまった。 先ほどまで僕を包んでいた切なさは、既に幻だった。
もし部屋に誰も居なかったのなら、僕は昔の思い出に浸ることが出来たのかもしれない。
だが、それはどうやっても幻覚でしかないのだ。
僕はもう2度とあの部屋に足を踏み入れたいとは思わないのだろう。










2015/4/29(水) 興味を削るということ。



 今日も頑張った。


○明日から休み。

△休み明けは 楽しい楽しいGW。
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取り敢えずとはいえ、働くという道を選んだ僕には、時間がもう殆んど残されていない。
なぜなら、僕という存在はいつ死んでしまうのか分からないのだし、その死ぬまでの大部分の時間を働くという行為に使ってしまっているからだ。
その少ない時間を有効に活用するためには、自分の興味対象をより削っていく必要がある。
元々、周りの物事に対して殆んど興味を持っていなかった。自分のことしか考えていなかった。
それは僕にとって恥ずべきことであったし、悩みでもあった。
だけども、これからはそういった自己中心的な考え方をより進めていく必要があるように思える。
だから、僕が本当に心の底から「そうしたい」と思ったことだけをやればいい。
会いたいと思ったら会えばいい。会いたくないと思ったら会わなければいい。
話したいことだけを話せばいい。話したくないことは口をつぐめばいい。
他人からはどう思われるのだろうか、しかしそういった考えすらも、興味の対象からはずすべきなのかもしれない。
そうすることによって新しい世界が開かれるのであれば、僕はそうするべきである。










2015/4/28(火) 初任給。



 慢性的睡眠不足かつ元気不足。


○今日は嫌な人が割りと優しかったので平和だった。

△明日も頑張らなくてはならない。
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しょにんきゅうは じゅうごまんえんでした。
15日締めだからチョット少ないんだよね。3月中も研修という形で割りと入っていたんだけど、 出勤日数18日で総労働時間が145時間くらいなんだけど、半分研修だからだよね。 給与明細を見たら全額調整手当などというよく分からない項目で支払われていたのだけれども大丈夫だよね。
ウン、寝よう。










2015/4/27(月) 今朝見た夢。



 慢性的睡眠不足。


○今日は嫌な人が休みだったので平和だった。

△明日からは頑張らなくてはならない。
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やはり僕は旅行に出かけているようだった。
日本式の城壁が延々と並んでいたのだけれど、それはまるで点描画で描かれたように執拗に細かな黒点が刻まれていた。

見晴らしの良い駅のホームで電車を待っていたとき、僕は文庫本を読んでいたようだった。
「先輩、何読んでるんスか」後輩が言った。
僕は何も言わなかった。
後輩は僕が持っている文庫本の表紙を覗き込み、「あ〜○○○○ですか。たしかに△△△△だったら○○○○が一番ッスよね」と言った。

緑道を歩いていた。その道は僕が昔住んでいた家から近い場所にある道だった。
僕と彼は鼻歌を歌っていた。うろ覚えで歌っているせいか、歌はめちゃくちゃなものだった。それでも楽しかった。










2015/4/26(日) 



 もうやだーい。


○風邪と身体のだるさがかなり楽になった。

△火傷、とストレスは続く。ストレスはいつまで続くのだろうか。
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今僕が仕事のことを書こうとすれば愚痴しか出てこないので、書かない。物覚えと要領とコミュニケーション能力が壊滅的に悪い僕もアレだけども。
ただ、愚痴を考えることができるようになった、ということは、それだけ業務にある程度は慣れてきたのだろうと思う。
他人よりかなり遅いスピードでの前進になるのだろうけども、それでもなんとかできるようになっていけばいいのだと思う。
問題は、それを周りが待ってくれるのか、だけども。










2015/4/25(土) 続、愚痴。



 もうやだーい。


○プリンが美味しい。

△火傷、風邪、身体のだるさ、ストレスは続く。
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教育する側にも教育する技術、或いはそれを身につけるための努力が必要だと思うのだけれど、そんなことは置いといて、今日も頑張った。
頑張ったのだけれども、自分のなかで向上心というものが殆んどない。
とりあえず、怒られないようにする。自分が働きやすいように、スムーズに事が進むように、頑張るだけである。つまり僕はただの賃金労働者である。
昨日のニュース番組の中でとある俳優さんが「趣味は仕事です」と言っていたけども、僕はそうなりそうにない。
このまま精神的にも身体的にも色々な部分を削りつつ、それでいて少しだけのお金を貰い生きていくだけの人生にするのは、 それでもいいと思いながら、できるだけ避けたいとも思っている。
とりあえずはお金がいる。なににしてもお金がいる。だから僕はどのような目に会おうが、どちらかを壊さない限り、なんとかやっていくほかないのである。










2015/4/24(金) 愚痴。



 もうやだーい。


○明日はほんの少しだけ早く帰れる。

△火傷、風邪、身体のだるさ、ストレス。
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色々あって、水ぶくれは殆んど潰れた。色々というか仕事中にどうしても左手をいたわることができなかったからだ。
しかし僕ができることといえば化膿止めを塗りたくってガーゼなり絆創膏なりを貼り付けておくことしかできないのである。

最近は仕事先の上司への不満が少しづつ募ってゆく一方である。左手がアレな状態なのに、 それでも明らかに雑菌が入りそうなことをさせたりだとか少ししかない休憩時間を削らせようとしたりだとか自分の言葉を世界共通語だと思っているだとか 色々あるのだけれども、ここでそんなことも書いても仕方がないことなのでやめる。
それに僕も要領が悪いわ物覚えが悪いわコミュニティー障害だわで色々酷いのでお互い様なのかもしれない。僕も人間、相手も人間。 そういうことである。だからお互いがお互いを理解しようとする姿勢が大事なのだろうけども、またつまらない愚痴が始まりそうなのでもう書かない。
とにかく、同じ店舗に新入社員が僕一人なのは愚痴も言い合えないのでしんどいってことです。
この頃、ずっとアレな内容ばっかりなので、久しぶりに難しそうな言葉で難しそうな文章を書かないでみました。










2015/4/23(木) よく生きるということ。



 もうやだーい。


○後輩とサイゼリヤ。

△火傷が治らないまま、明日は仕事。
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僕は、人生に生きる意味は何も無い(意味という概念すら存在しない)と考えている。だが、人生に生きる意味が"有る"と考えている人たちのこと、 いうなれば「よく生きる人たち」を一度も馬鹿にしたつもりはない。そもそも、できるはずがない。
なぜなら、全ての事象に意味が無いのであれば、意味があると考えようが意味が無いと考えようが、言葉としての見た目に違いがあれども、 本質的には何も無く、全てが無色透明であり同じ線に存在しているはずである。そこに優劣という概念が介入できるはずがないのである。
あくまでも考え方の違いである。実際がどうであるとなどは関係の無い話しであり、全ての事象は認めるべきなのである。
だから僕は「よく生きる人たち」に対して何もいえない。「自分の考えのほうが優れている」などとは口が裂けても言えることではないし、そう考えること事態が間違っている。
僕はただ彼、あるいは彼女たちの直ぐ隣に居るだけである。

ただ、この考え方はあまりにも理想的に過ぎるのだと思う。
この考え方の上に「私」という一個の人間の感情や意識。もっといってしまえば、物事に対しての快・不快を抱いてしまう精神 といったものが覆いかぶさったとき、そこにはどうしても濁りができてしまう。
この濁りは「私」が存在する限り絶対に消え去ることはできない。
だが、だからこそ「私」は悩むことができるのであり、考えることができるのである。










2015/4/22(水) 休み2日目。



 やえーい。


○明日も休み。

△休み中に火傷が治りそうにない。
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単純にいってしまえば、僕はほぼ全ての事柄に対して「どうでもいい」と感じている。
社会情勢や地球の裏側で起きている貧困問題から自分の生き死に或いは今左手が火傷で水ぶくれまみれになっていることまで、 この世の事象の殆んどは僕にとって、どうでもいいことである。
しかし、よくよく考えてみると、僕は興味が無いのではなく、ただ理解ができないだけなのかもしれない。
興味が無いということと、理解ができないとの間には大きな隔たりがある。
ただ興味だけだとしたら、その事象に対して、何らかの意識の触りがあるはずである。意識の触りがあってから興味の有る無しの判定が下される。
だけども、初めからその事象に対して理解ができないのであれば、それに触ることなく「理解できない=興味がない」という過程を踏んでしまうのである。
それはただ物事に対して消極的な態度しかとっていない。
ではなぜ理解ができないのだろうか。

そんなことはおいといて、左手の水ぶくれは未だに治らない。
僕も現代人なので火傷による水ぶくれについて色々調べてみたら、平均して10日くらい掛かるらしい。
まだ半分も経っていない。どうしましょう。










2015/4/21(火) ライ麦畑は捕まらない。



 うえーい。


○沢山休む。

△後が怖い。
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色々あって3連休になる。
嬉しいのか嬉しくないのか、自分でもよく分からぬ。
しかしながら、左手が使えない上に風邪も引いている僕が現場に入ったとしても、人件費がかさむだけである。
ついでに頭が重い。
ただ、今3連休を頂いていると、次はいつ休めるのか全く分からない。
そして、ゴールデンウィークとかいうものが目の前に迫ってきているのである。
南無。










2014/4/20(月) アロハ、左手を負傷する。



 久々に画像をアップしたのにこれだよ。


○周りからむっちゃ心配される。

△仕事は相変わらずできない。
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例えば怒られるなどしてストレスが掛かり、頭がグルグルになり、そうしてコミュニケーション能力が著しく低い状態になっていると、 負傷するようである。
詳しくは書かないけれども、僕が以前から悩んでいた、コミュニケーション能力の悪さが災いし、煮えたぎっている熱湯に左手を突っ込み、 画像のような状態になった。
ちなみに、画像のはパワーバンドなるものをつかってみたり軟膏塗りたくって絆創膏貼ったり、 絆創膏の代わりにサランラップ巻いたりして、自分の身体で人体実験をしている図である。
僕は冗談というものが分からなかった。だから、こうなった。
その後の処置が良かったのか、見た目よりかは症状が悪くない。痛みは殆ど無いし熱を持っていることもない。
ただ、水ぶくれが酷いので、暫くは業務に支障が出てくるのだと思う。
左手のことは別に何も気にしていない。跡が残ろうが後遺症が残ろうが(残らないだろうけど)、そんなことはどうでもいい。
問題は、このような事態になってしまった原因、つまり僕が人と上手く接することができない、ということである。
たかだか一言。その一言を取り違うだけで、こんな馬鹿みたいな怪我をしてしまうのだ。
ただ唯一、良かったことは、今回怪我をしたのが自分だけだったことだ。
もし、これが他人に危害を加えていたらとしたら、と思うと僕はゾッとするのである。










2014/4/19(日) 考えることができない。



 モノコックがどうというのだ。


○今日も少しだけ早く帰れた。

△不健康な生活をしていたせいか、風邪をひいた。
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働くことの一番の弊害は、考えることができない、ということである。
仕事仕事仕事。仕事で埋め尽くされた日常は、僕に考えるということをさせなくなってしまった。
元から同じようなことを延々と考えているような人間だったけども、それが更に酷くなったように思う。
単純に、考える余地が無くなっただけなのだろうか。それとも、頭が悪くなったのだろうか。
どちらにせよ、僕は考えることができなくなってしまった。常に疲れているような、萎れているような、そんな人間になってしまった。
この日記を続けている限り、最低限のことは考えられるのかもしれないけども、それは本当に、最低限度のことなのだと思う。
たぶん、これからは今まで以上に、同じような内容の日記が続いていくのだと思う。
ずっとずっと同じようなことをワンワンと喚き散らして、そうして少しづつその声は小さくなって、最後には消えて無くなってしまうのかもしれない。
そのようなのも、いいのかもしれない。










2014/4/18(土) 考えた末。



 モノコックがどうというのだ。


○早く帰れた。

△明日は早く行かなければいけない。
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僕は非常に面倒な人間なんだと思う。
まず、上のような切り出しから文章を書き始めること自体が面倒な匂いをありありと醸し出しているのだけれどもそんなことはおいといて。
昨日の文章は最後から数えて二行目の「そんなんだから、実のある会話ができないのだし、本気で相手のことが心配できないのだと思う。」ということを一番書きたかったのだと思う。
本当はそれを書きたかったのに、そういったことを自分自身でさえ見つける事ができなくて、 だから傲慢で高尚ちっくで強がりな……いわゆるカッコつけた言葉を長々と書くことにより、自分の皮を削ぎ落とし続けるという作業が必要になっていたのだと思う。
そうして、やっとこさ自分の一番の本心というものが顔を見せてくれるのである。
多分、昨日以外にも、そういった文章は多いのだと思う。



僕は人生というものを達観することができない。なぜなら、今、僕はその人生を生きているからだ。
昨日、自分のことを「宙ぶらりん」と書いたのだけれども、今考えても、まさにそうなのだと思う。
僕は周りの物事に対して、殆んど期待をすることがなくなった。
それは先にも書いたように、達観しているからではない。諦めているからだ。恐らく僕の深いところで。
僕は不条理というものを考えた結果、受け入れることもできず、突き放すことも出来ず、ただ疲れてしまった。
だから今はボンヤリとそれを眺めることしかできない。
僕が不愉快な気分になる原因は、僕が期待するからである。
なんでもいい。もしかしたら、あの人は僕の目を見て、ニッコリと微笑んでくれるのかもしれない。もしかしたらあの人は僕に優しくしてくれるのかもしれない。もしかしたら。
そういった考えは僕を不幸にするだけである。
だから僕は何も考えなくなった。考えて考えた末に、何も考えなくなった。
そうすると、気持ちがプラスになることが殆んど無くなったが、マイナスになることもなくなった。平坦で、宙ぶらりんになった。
今まで以上に、周りに対する興味関心が薄れてしまったように思う。
そのような状態の僕は果たして生きているといえるのだろうか。










2014/4/17(金) 病院と飲み会。



 ららん。


○だけども、人と会うということは非常に大切な時間である。僕を掻き乱してくれるから。

△明日は働く。
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今日は休みだっていうのに朝早くに目覚め、朝っぱらから自宅でゲームをしたあと、病院で知能テストを受け、それから飲み会に行った。
考えてみるに、僕は他と比べて非常に宙ぶらりんな状態である。
今までの僕は部活だの恋愛だの生きる意味だの、様々な物事に縛られて生きてきたものの、今はそれが無い。
普通の人には「仕事」というものがそこに当てはまるべきである。あるいは「生きる意味」なのかもしれない。
だけども、今の僕には「仕事」を冷ややかに受け止めてしまっている。
働くことは本当に辛い。特に今の場所は。しかし本当にしんどいのであれば、辞めればいい。そう考えている。仕事に潰されるよりかはマシなのかもしれない。
そして「生きる意味」についても、僕は既に頭が痛くなるほど考えてしまった。結果、それは「概念すら存在しない」のであり、「取るに足らないこと」という答えになった。
だから、今の僕には本当の意味で悩む、ということが何もない。
全ての事象に対して「不条理」というハンコを押してしまったのだから、 例え、これから仕事に押しつぶされて何か精神に変調をきたし最後に自殺をしてしまったとしても、それでいいのだ、と思える。
そんなんだから、長い人生だとか将来などといった物事に疎いのだと思う。
そんなんだから、実のある会話ができないのだし、本気で相手のことが心配できないのだと思う。
とにかく今は、本当に存在するのか分からない明日のことについて、取り敢えずそれがあるものだと仮定しつつ、考えるだけである。










2014/4/15(水) 甘味依存症



 らら。


○。

△。
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甘味に依存している。
まず、一日の仕事の間に休憩が3回あるのだけども、その度に110円もする缶ジュースを飲んでいるので1日に330円消費している。
しかも仕事が終わったあとにはストレス発散のために毎日のようにチョコレートやらビスケットやらを買って、夜食にしている。これで合わせて600円くらいになる。
これをもう半月くらいやっているので、それだけで9000円、いや、もっとそれ以上飛んでいる。
これを1ヶ月続けると、どうなるのか。おそらく、2万円以上も甘味に消費してしまう計算になってしまうのである。
因みに僕の今の銀行の残高は、1万4千円である。
奨学金を初っ端から滞納しそうである。
明後日は6000円くらい飛ぶ予定である。
そういえば、携帯代も、ある。
僕は自分の偏食によっていくら健康が損なわれようと、どうでもいいのだけれど、お金が無くなるのはとってもマズイ。
どーしよう。










2014/4/14(火) 最近の夢



 らら。


○今日は休みだった。

△明日は休みでない。
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2度寝、3度寝と寝ることを繰り返していると、様々な夢を見ることができる。
だけども、友人たちと会う夢が半分、働いている(しかも大体失敗している)夢が半分である。
おまけに「あともう少しで働きにいかなくてはいけない」などと現実世界のことを思い出して飛び起きる。
僕はそういうところまで、現実に引きずられている。

最近は日記を書くことも億劫になってきたように思える。疲れているからだ。
日記を書くことよりも、ゲームをしたり、布団の中に入って、ボォっと天井を眺めているほうが気持ちが安らいでくるような気がする。
この場所は自分のことを見つめなおす為のモノでもあるし、現在進行形の遺書でもあると思っている。遺産なんてないけど。
この期に及んで、死んだあとのことを考えてしまっているのはどうかと思うけども、そういった理由があるから、僕は書かなければいけないのである。










2014/4/12(月) ウィンガシャ



 ガシャ。ウィーン。


○今日もアレだった。

△アレがアレなので僕の心境もアレ。
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ウィンガシャ。私はロボット。アレなロボット。
熱の花とニキビと手の荒れと足の痛みと慢性的な睡眠不足とコミュニケーション障害が乗っかっているロボット。死ぬ。
身体が健康が精神が少しずつ崩れていくのがよく分かる。一日の睡眠時間は5時間。
あとどれだけ持つのだろうか。あとどれだけ生きるのだろうか。
表面的には慣れていくのだろう。だが奥深くでは着実に無理というものが溜まっていっているのだ。
しかし、僕はもういつ死んでもいいのだと思う。もう僕がするべきことは何も無いのだから。僕を縛り付けるようなものは何も無いのだから。
恐らく、数週間前に、それらを全て置いてきたのだ。
ウィンガシャ。










2014/4/11(土) 時間がない



 まじでない。


○今日はそこまで怒られなかった。

△だけども、コレが何年も続くのかと思うと、アレな気持ちになれる。
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時間がない。今のところ、家にはご飯食べてお風呂入って、寝るだけの空間と化している。 それが一日12時間働いている人間の生活なのである。週一は休みだとして、一週間でやく72時間。やべー。1ヶ月で288時間。やべー。 身体か精神をやられそうになったら、絶対に辞めよう。
割りとユルい感じでかいたけども、現実は辛辣なものである。本当にどちらかを壊しかねない。
それから、あと30分ほどで僕は家をでなければいけない。今日は日曜日。普通の人達は身体を休ませ、まったりした時間を過ごす日。
だけども、僕のような地獄のような日。
文章力も格段に落ちてきている気がする。










2014/4/10(金) 久しぶりの更新



 


○無し。

△明日からは地獄が始まるよ。
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引っ越し作業をやったのち、忙しかったのもあって暫くインターネットに繋ぐことができない状態だったので、ホームページの更新ができなかった。
久しぶり、といっても1周間ほど開いただけであるので、それほど久しぶりではないのかもしれない。だけども、いままで一週間も開いたことはなかったので、 ひさしぶりなのかもしれない。
近況。
働くほうは正直いって、あまりうまく行っていない。
頭が悪い。考えることが出来ない。上司の指示が頭に入ってこない。聞き間違いが多い。聞いたことをすぐに忘れる。同じ間違いを何度も犯す。 要領が悪い。空気がよめない。記憶の引き出しの存在を忘れる。相手の言っていることが理解できず、画一的な返事をするだけ。応答が出来ない。 何を話したらいいのか、分からない。頭が真っ白になることがよくある。そもそも働くことに向いてない……。



ということで、今日は精神科に行った。もしかしたら、僕は発達障害かもしれないからだ。初診ということもあったからか、簡単な面談だけだった。
結果は「発達障害(自閉症スペクトラム障害)っぽい」ということだった。あくまでも、「っぽい」だけである。完全にそうであるということではない。というか、 医者の言い方としては、僕には殆んど発達障害の兆候は見られない、ということだった
一応、来週は「WAIS-III」という知能検査をやるらしいけども、恐らく、「っぽい」結果が出るだけだろう、とも言われた。
ついでに軽〜く投薬の話が出たけども、適当に流した。

この結果は、本当に僕らしいものだと思う。
能力は普通の人以下であるのに、障害者と呼べる領域でもない。
生きることに対して殆んど執着していないのに、うつ病を患っているわけでもない。
悪い意味での、どっちつかずで中途半端な人間がいるだけなのである。
明日からは、また一週間ほど働くことになる。僕はまた酷い仕打ちを受けるのだと思う。
そうされているうちに、もしかしたらどっちつかずの存在ではなくなるのかもしれない。


以下、パソコンがネットに繋がっていなかったときに書いた日記。

4/6(月) 昨日は散々な一日だった。「死ね」と言われた。僕が酷い失敗を連発したからだ。人に対して本気でそのような言葉を吐ける人間がいるのかと思った。 険悪な雰囲気が続いた。地獄のような一日だった。
業務が終わってから、その人と話をして、色々フォローはしてくれたのだから、本当に良い人なのだと思う。「俺は口が悪いから」ともいっていた。 仕事中、僕は人の話が理解出来ない。というより聞けない。聞いたとしても常に焦っているのだから忘れてしまう。 だから同じミスを連発する。ミスをするとその度に怒られる。怒られる度に不安と焦りは増してゆく。周りの苛立ちも、それに比例してゆく。 最終的に「死ね」と言われる。

何をするべきか。落ち着くことである。慣れることである。一つ一つのことを少しづつ覚えていかなければならないのである。
だが、それまでに、僕の精神は持ちこたえることができるのだろうか。
それから、自分に発達障害の気があることを本気で疑う必要が出てきた。
4/4(土)さよなら、さよなら、さよならーああー。もう外は白ーい冬ー。
僕の夢はバックパッカーに決まりました。なんか、将来の夢がコロコロ変わっているようなきがするのだけど、それでいいのだと思います。
野垂れ死ぬかはどうかは別として、色々なところに行ってみたいと思います。
一度しかない人生、恐らく、もう僕が僕だけのために使っていい人生、どのようにしてもいいのだと思います。
今日も割りと頑張った。 4/3(金)
今日も頑張った。
多少怒られたりもしたけれど、頑張った。
ただ、働く時間がとてつもなく長い。本当に長い。
体感では工場勤務よりかは短いが(常に忙しいから)、自分の時間というものが殆ど無いように思われる。
ああ、眠い。日記を書く時間さえない。只今0時32分。もう寝ないと行けない。
一生これが続くのだろうか。たしかに、僕という人間は成長することができるだろう。しかし、一生続くのだろうか。










2014/3/31(月) 束の間の休日



 どうにもこうにも、にっちもさっちもである。。


○甘味が唯一の癒し。

△明日もあるんだよ。
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最近は吹奏楽部の人たちと、どこか旅行をしに行っている夢ばかりを見る。
それだけ卒業旅行が楽しかったのだろうか。最後やらかしたけど。
僕の中ではもう、彼女たちは夢の中でしか会えない存在となっている。 多少、物理的に近くに住んでいたとしても、最後に会ったのがたった一週間前だったとしてもだ。精神的にはどこまでも遠い場所に行ってしまった。
それが良いのか悪いのか、僕には分からない。一概に悪いともいえないし、だからといって良いともいえない。

明日も色々あるのだ。朝から夜までなのだ。だ。










2014/3/31(月) 束の間の休日



 どうにもこうにも、にっちもさっちもである。。


○甘味が唯一の癒し。

△明日もあるんだよ。
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昨日も頑張って生きてた。
怒られたりフォローされたりなので、環境としてはかなりいいほうなのだと思う。
ただ、それでも、精神的に駄目になるか、体力的に駄目になるのかのどちらかになるのだろうな、と思った。
それだけ、自分の将来に暗雲しか見ていないのである。
精神論でしかないが、今の僕には根性しか残っていない。



今日は引っ越しの作業をやっていた。
久しぶりの休みということもあって最初の方は生き生きとやっていたけど、途中から明日以降の生活を考えて、どんどんやる気がなくなってきた。
取り敢えず、8割くらいは終わらせたのだけど、いかんせん、明日以降は時間が取れそうにない、しかも明後日には引っ越し完了予定ときた。
どうしよう。
この文章を書いているヒマがあったら、少しでも作業を進めないといけないのだ。










2014/3/30(月) 自分について



 どうにもこうにも、にっちもさっちもである。。


○甘味が唯一の癒し。

△明日もあるんだよ。
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自分の駄目っぷりさを見て、もしかしたら発達障害の傾向があるんじゃないかと考えた。
発達障害、つまり自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)である。
そういえば昔やった性格検査では「社会不適合者」という結果が出たし、よくよく考えてみれば色んな所でそのような兆候があった。 僕は今までずっと変わり者だった。
だが、そこで1つの問題が出てくる。
だからどうした、ということだ。
僕の場合はあくまでも"傾向がある"だけであって、完全に障害と呼ばれるレベルまで至っていないと思う。
あくまでも、傾向がある。ただそれだけ。そこには庇護されるという言葉が介入することはないのだろう。
少しだけ自分に対して「そういう傾向があるのだから」と言い訳ができるのかもしれない。だけども、それは言い訳に過ぎないのであって、 現実において社会において外界においての理由には決してなり得ない。特に今の場所では。
僕は一生改善することのない欠点を抱えたまま、闘うしかないのである。










2014/3/28(土) 沢山怒られる2



 勢いでできた画像。


○今日も抹茶豆乳美味しい。

△不安しか無い。
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今現在の僕が勢いで画像無し画像をつくると、こんなものができあがる。怨み辛み不安欲求怠慢疲れその他もろもろの感情を発露したときそれはできあがるのである。
今日は昨日と比べてみると幾分かマシだったけれど、それはボロが出る機会が少なかっただけだと思う。
僕という人間は社会という場で生きていくには本当に能力が低い。昨日も書いたけども、今まで生きてこれたのが不思議なくらい。
ならば少しでも能力を向上させるしかない。他の人たち、というか人間一般に少しでも追いつくしかない。
それができたとき、僕はまた違う僕に変化することができるのだろうか。変化することで僕は次に進むことができるのだろうか。 そこで初めて僕は身を持って生き、身を持って死ぬことができるのだろうか。頭だけではなく。










2014/3/27(金) 沢山怒られる



 ぐぐぐ。


○抹茶豆乳美味しい。

△うううううう。
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今日も怒られた。昨日より怒られた。
まず初っ端から、昨日教えられたことをもう一度聞いたので、怒られた。
そこからは何かをやるたびに怒れれたと思う。 周りの人達は優しいから、フォローもしてくれるのだけど、僕が周りの人達の許容範囲を超えたダメっぷりを披露してくるので、 本気で怒られることも何度かあった。
常識が無いだの人間性を疑うだのの旨を言われて、僕はなんでこんなアホみたいなことをしてしまうのか自分は今までどうやって生きてきたのだろうか大学生活はなんだったのだろうかと考えた。
3回くらい泣きかけた。
文章に表してみたらえらく辛辣な感じがするが、僕は割りと、多分、ヘーキである。ヘーキじゃないけどヘーキ。
怒られれば怒られるほど、否定されれば否定されるほど、「ああ、生きているんだなあ」と感じるからだ。
僕が普段から考えていることはそこには存在せず(存在している場所なんてどこにもないと思うけど)、ただただ、早く正確に動くことが求められている。
多分、そこに慣れることができれば、僕はまた違う世界を見ることができるのかもしれない。僕は今居る状態から抜け出せるのかもしれない。
僕が踏ん張る理由は、ただただ、その一点でしかない。
もし、折れてしまったら、或いは折られてしまったら、そのときはそのときである。折れすぎて病気になるか身投げをしなければいいのだけど、 とにかく生きていたらなんとかなるのだろうとは思う。生きるということは生きているということなのだ。うん。

だけども、僕が今抱えている欠点。つまり「常識が無い・人間性が無い(考えが足らない行動をしてしまうこと」それから「人の話しを聞けない」 はなんとかしなけばならない。
一つ目の「常識が無い云々」はただ単に色々なことに不慣れ過ぎて、視野が狭くなっている、または常識を考える余地が無くなっているのだと思う。
この数日間で思い知らされたのだけど、僕という人間は一つのことに集中しようとすると、本当にそれだけにしか集中できないようである。
だから、周りが見えなくなる。自分の今の状態、周りの状態から見た総合的な判断ができなくなる。
これは、もう慣れるしかないのだと思う。慣れて、余裕を持たせることができたら、幾分かマシになってくる。きたらいいな。そこまで周りが我慢してくれたらいいな。

2つ目の「人の話を聞けない」ということ。これを説明すると、どうも僕は人が喋ったことを正確に理解できないっぽい、ということである。
僕からしたら確かにそう聞こえたのに、言われたことを取り違えることが多いのだ。今日なんて10回くらいやってしまった。 これは本当にどうしようかと思う。自分の耳が遠いのか、頭が悪いのか。もしかしたら病気なのかもしれない。
ただ、考えてみると、普段の会話ではある程度聞けている(たぶん)。だから頑張っているとき、つまり自分に余裕が無いときに、 あるいは緊張状態(副交感神経が働いているとき?)だと相手の言っていることを聞くだけの容量が自分の頭に備わっていないのだと思う。
余裕が無い……、つまりこれも新しいことに慣れるしかないのかもしれない。或いはいちいち聞き返すべきなのかもしれない。どうしましょう。
ただ、僕だって好きで会話を聞き間違えているわけではないのである。どうにかしないといけないのだ。

今日は色々とあったのでバーっと書いてしまった。しかも問題が解決しているのかは分からない。どちらかといえば解決していないような気がする。
明日もあるんだよなあ。










2014/3/26(木) 色々色々ん



 ららら。


○三色団子美味しい。

△研修うううう。
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今日は沢山頑張った。それが結果に繋がらないとしてもだ。頑張った。今日はそれだけでもいいのだと思う。
同時に自分の未来を悲観したりもした。いつものように人生云々だとかそういってものではなく、社会的な側面においてだ。
社会的な方面に考えを向けることができている時点で、僕は「かなりマシ」だといえる。
その「かなりマシ」の状態に自分を置くことができていれば、その範疇においてどこに行ったとしても、それでいい。

早起きがしたい。早起きができると、朝の時間が増える。朝の時間が増えると、なんとなーく色々と楽になるような気がする。
そもそも僕はせかせか動くのがあまり好きではない。働く現場ではどうしてもそういったことが要求されるが、 自分で調整できる範囲であるのならば、少しでもまったりしたい。

帰りに駅前で3色団子を売っていたので買った。2本で120円。高いのか安いのか分からない。少し割高な気がする。だけども美味しかった。










2014/3/25(火) 卒業式を終えて



 そつしきー。


○色々、良し?

△研修がはじまるよ。
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昨日分の日記は卒業祝いにもらったウィスキーをチビチビやりながら書いたやつである。
われながらアレな文章だったので、最後に「なんちゃって」とつけたけども、効果があったのかは知らない。
どうでもいいけど、卒業式の日は松任谷由実の『真夏の夜の夢』のサビが延々とループしていたのを今思い出した。「さ〜よ〜なら〜」のトコ。
さよなら。頭の中で呟いてみるとなんとも悲しい言葉だと思う。
嬉しいという意味で「さよなら」を使う時はあるのかな。殆んどないだろな。 使うとしても、それは本質的にはプラス(?)な意味で使うものじゃないのかもしれない。すくなくとも、僕はそういう意味で「さよなら」を使ったことはない。
そういえば、昨日の卒業式で、もう2度と会えなくなるかもしれないから「またいつか会える」的なことを口にすることができなかったのだけど、 だからといって「さよなら」と言うこともなかった。テキトーに言葉を濁していたと思う。僕は中途半端なのだ。優柔不断なのだ。
ただ、もし僕が言うべき別れの言葉があるとしたら「またいつか会えるといいね」だと思う恥ずかしくて言わなかったけど。
なんだか悲しい曲ばっかり聴いていたら逆に元気が湧いて気がする。あまのじゃく。










2014/3/24(火) 卒業式



 そつしきー。


○色々、良し?

△研修がはじまるよ。
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手帳
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今日は卒業式であった。 夕方ぐらいに誰かさんのお家でお茶的なことをやった。
それも含めてだが、今日は僕の中で波が立てられるということはなかった。僕はあくまでも僕だった。
つまり、僕らしいことをし、僕らしい言葉を発し、僕らしい心情であったということだ。
そこに自分というものの本質は見当たらなかった。つねに僕は空洞でいた。
僕の本質は明らかにどこかにいってしまったような、そんな気がする
僕は今、他人というものを失ったという喪失より、自分の喪失を気にしている。
式は気がついたら終わっていた。あっけないものなのだろうと考えて吐いたが、やはりあっけなかった。どうしようもなかった。
僕が一回生のころに連れて行かれた卒業式はとても退屈なものだった。
ほとんど待っているだけだったのがいけなかった。
居場所がないまま、卒業される先輩に対してどんな顔をして接すればいいのか分からないまま、式は終わった。
今回のものはつまらないというわけではなかった。待つのもそれほど苦ではなかった。顔は自分のやりたいように歪ませればよかった。
だが、そこに僕は存在していなかった。
夕方の、誰かさんの新居でやったお茶もそうだ。僕は人が喜ぶであろうことをしていただけだった。
だけども、その時間は僕をぼくとして成り立たせるためには必要だったに違いない。
なぜなら、僕は底でやっと自分の不在性を認めることができたからだ。
僕はどこにいってしまったのだろう。今この文章を描いている僕は一体なんだろう。
それとも、僕はただ変わってしまっただけなのだろうか。さっきから自分の不在性だの喪失だのいってきたが、 僕はただ変わっただけであって、その変化を認めたくが無いために、自分が居なくなったと思いたいだけなのではないだろうか。

手帳以上。
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昨日は僕の新居で僕の部屋でずっと本を読んでいた。お腹が空いたらその辺りに食べに行き、エネルギーを補充したらまた本を読みに帰るという生活をしていた。
僕は自分の理想をしているのだと思った。

今日は卒業式だった。駅のホームの待合室で上にある文章を手帳に書き留めたあと、その辺りをフラフラしていた。
卒業祝いとしてお酒をもらったので、酒のツマミが欲しくなってドライフルーツを買った。買ったあと、自転車で家に帰った。風が冷たかった。
今考えると、僕という存在は他人と接しているときにだけ発現していたように思う。
他人と僕の間に存在していた「彼」は、もう他人と合う機会が無いとわかったとき、どこかにいってしまったのだと思う。いや、その他人に付いていったのかもしれない。 とにかく「彼」はもう間に存在することはなくなった。
そうしたときに無理に「彼」を表現しようとしていたのだから、僕は自分の不在性を感じてしまったのではないか。
これを不在というより、変化と考えるほうが自然なのかもしれない。だけども、それでもあえて「彼」という人格を与え、 あたかもそういうものが存在していたように扱えば、僕は少し安心する。

なんちゃって。











2014/3/22(日) 



 ぱぱらぱー。


○明日は休みだよ。

△しんどい。
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ここ数日の日記がポエム染みてきたので、今日は普通な感じにいきたい。
今日は職場で叫んだりしたあと、部活の後輩と3時間位カラオケで叫んだりしていた。
あと、ツムツムでハートをもらったりしていた。
ツムツムはどうでもいいか。
とにかく、僕の左手はボロボロなのである。









2014/3/21(土) 誰かさんの新居で鍋



 ぱぱらぱー。


○新居、良し。

△思えば、昨日の卒業式はアッサリ終わりすぎたように思える。
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今日は誰かさんの新居で鍋をした。
正直、もう卒業式くらいしか会う機会が無いと思っていたので、嬉しかった。
卒業旅行のときみたく、おセンチな心情にはならなかった。ただただ、人や空間というものを感じていた。鍋も美味しかった。
遠いところに行ってしまうから、と某元部長に贈り物としてオルゴールを渡した。意外にも随分驚かれた。

元部長と二人きりになった帰り際、なぜ贈り物をしたのかと聞かれた。誰かさんに送ったらよかったのに、と言われた。
人生色々あるしもう二度と会えないかもしれないから、と答えた。
それはつまり私が死ぬかもしれないっていうことか、と返された。
慌てて、お互いにどうなるのか分からないから、と言った。
ほんならアロハがなんかあったときの形見にするわ、と言われた。

確かに、僕はオルゴールを誰かさんに渡すべきだったのかもしれない。だけども、それよりも元部長に渡すべきだと思った。
何故なのかは自分でもよく分からない。彼女ほどではないが遠くに行ってしまう人、もう会えなくなるだろう人は他にもいる。
だが、彼女に渡すべきだと、なんとなくではあるけどもそう考えた。

別れ際だったけども、僕の考え方において「またいつか会える」などといった言葉を吐くことはできなかった。
本当に、これが最後なのかもしれない。もう会えないかもしれない。
そう感じたときに紡ぐべき言葉を僕は知らなかった。
ただ、おつかれ、と言っただけだった。面白いことに、殆んど同時に相手も同じ言葉を発していた。笑っていた。


実は卒業旅行の最後に渡すつもりだったのだけれど、渡しそびれてしまって、どうしようかと考えあぐねていたのは秘密。










2014/3/20(金) 卒業旅行について。その2



 ぱぱらぱー。


○今日は研修がなくてよかった。

△そういえば今日は僕の卒業式だったけども書くことが何も無い。
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そういえば、あれはフェリー分を1日目と数えて、旅行の3日目だったのだろうか。
出された料理に対して写真を撮っている友人に「なんでそんなに写真を撮るの」と尋ねたときがあった。
すると「すぐに忘れてしまうからね」という答えが帰ってきた。
つまり、記憶を保存しておかなければ直ぐに忘れてしまって、大切な思い出も無くなったも同然になってしまうからだった。
以前から、恐らくそんな心理状況が働いているんだろうなあ、と予想していたしのだけれど、実際にそう答えられると、身を持って実感したように思えた。
今、僕は旅行のことを思い出そうとしている。だけども思い出せるのは、ある繋がりのない一場面の輪郭だけであって、 そのときの細やかな情景、つまり人の微妙な表情や動き、空気の匂い、音、自分の心情などまでは殆んど思い出せない。
そこで写真を見てみると、少しだけではあるが、そのときの感覚を思い起こすことができる。
写真というものは、あくまでも過去というもののほんの上辺だけを切り取ったモノであり、それを過去自体と呼ぶにはあまりにも情報が少なすぎるのかもしれない。
だけども、それらの一つ一つには確かに暖かみが存在している。それを感じ取れるだけでも、写真というものは良いモノなのかもしれない。
今、僕の手元には沢山の写真が残っている。思い出は日を重ねるごとに薄くなっていく。しかし写真は残っている。










2014/3/19(木) 卒業旅行について。



 


○。

△。
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・今回の教訓
「さよなら」はキチンということ。

僕という人間はアホである。
アホであるうえにドジでマヌケで、涙もろいというよりただの泣き虫で、やることなすこと全てが裏目に出、 モノは考えるが考えすぎてしょっちゅう鬱っぽくなるし、文章の時と実際に喋る時の触りに違いがありまくり、恐らく扱いに困るアホである。
ちなみに何故勝手に帰っちゃったのかというと、正常な判断ができない状態だったからである。ごめんなさい。

そろそろ卒業旅行について書こうと思う。かなり長くなる予定。

●1日目。
僕はこの旅行において、できるだけ手帳を携帯し、何か考えたことがあればできるだけ、書き残そうとした。
ちなみにそのたくらみは、殆んどたくらみだけで終わった。
とにかく、次の文章は、その手帳に走り書きをしたモノである。
3/16日(月)16:48
色々準備をして中百舌鳥駅に行く。
だが、そこにはジャッキー他がおらず、待ちぼうけである。
ヒマなので現在の心情をメモる。
ヒマ。
荷物がそろっているのか不安。色々不安。人とか。


3/16日 23:19
自分の中で距離を詰めること。
話題作り。
他人への興味、関心?
自分を偽る自分の怖い自分。
だからボケる自分。
自分と向き合うべきであり、更に相手とも向き合うべきである。


なんとなーく、フェリーに乗っているあたりで様子がおかしくなってきていることがよく分かる。
ちなみに、メモに書かれる文章は日を重ねるごとにどんどん鬱々としてくる。してくるので、手帳の話しはこれで終わりである。



文章を書いている途中に、つい布団に潜り込んでしまいたくなり、寝た。今はだいたい朝の5時30分。4時間ほど睡眠を取った。
一度眠りにつくことによって、また卒業旅行の記憶が薄れてしまったのだろうなと思った。
僕は旅行について、出来る限り細かく書いていくつもりだったけども、その気持ちも一緒に薄くなってしまったように思う。

なぜ、僕はさっさと帰ろうとしたのか。それはたぶん、ダダをこねたかったのだと思う。
少し非現実的なことをやってみて、現実というものに反抗したかったのかもしれない。
だがそれは明らかに幼稚な行動である。それは行動自体に対してもであるし、行動理由にでもある。
おまけに、反抗というより逃避に近い気がする。
どちらにせよ僕は、現実への反抗、或いは逃避の行動を取るよりも、現実を受け入れるべきだった。
周りの人たちはそれができているというのに、それができなかったということは、つまり僕はまだ未成熟な子供だということを示しているのである。










2014/3/15(日) 叫ぶ自転車。



 ひばりーひばりービバリーヒルズ。


○意外と楽しい研修。

△3月も残り少ない。
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そういえば、3月もあと半分になってしまった。
つまり大学生でいられるのも、あと少しだけだということである。
僕にとって大学生活というものは何だったのだろうと考えると、やはり部活動のことがまず頭に浮かぶ。
吹奏楽については散々書いてきたので、別のモノを挙げようとすると、哲学っぽいのが出てきて、それも退けると、自転車である。
多い時には1日3時間、距離にして16キロを毎日走っていたことになる。
交通費の余裕がなかったとはいえ、今考えても、よく分からないことをやっていたように思う。
ただ、自転車で走ることには交通費を浮かす以外にも、色々と良い部分があった。
たとえば、色々な景色を見ながら走っているだけで、なんとなく気分が晴れてくる。
これは一見、何でもないことのように思えるけども、日々色々なところからのしかかってくるストレスを少しでも軽減させるには丁度良い時間である。
このように、自転車というものは、僕にとってなくてはならない存在だったのである。
なんだかよく分からない文章になってしまったので終わり。










2014/3/14(土) 久しい人とご飯。それから。



 ひばりーひばりービバリーヒルズ。


○先輩とご飯。

△寂しい。あと明日も研修。
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今日は部活の先輩が就職祝いとしてご飯に連れて行ってくれた。
有意義な時間とはなんだろう、と考えた。
その時間が良いものであればあるほど、終わってしまったとき、寂しいという気持ちが内から込み上げてくる。
その「寂しい」という感情が生起してしまうくらいなら、有意義な時間など初めから無いほうがいいのではないか、と思ってしまう。
いや、僕のように生きることの無意味さを体の芯から発してしまっている人間が「有意義」などという言葉を使うのは間違っているような気がする。
そもそも、厳密にいえば「無意味」という言葉さえも無意味である。
つまり、全ての事象が無意味であるなら、「意味」という概念自体が効果を失くすべきである。
カッコよく表現するならば、この世のすべて……つまり銀河からその辺に捨ててあるコンビニの袋までの全てが、アルファでありオメガである。
ウン、いい感じにクサくなってきた。やめる。
何の話だったっけ、そう、僕の中では意味という概念を感覚しないように(できるだけ)しているので、「有意義」という言葉自体がおかしいものになってくるのである。
だから、これは単に「僕の興味が惹かれること」である。
ああ、ここでも僕という人間の性格基盤になる「周りの事象への無関心性」が関係してくる。
話を元に戻す。つまりまとめると、「寂しくなるのなら、初めから何に対しても興味関心を引かなければいいのではないか」ということになるのだろう。
ちなみに今僕はフッと某高野山のことを思い出したりしたのだけど、書かない。
で、結局はどうなのだろう。僕はこの感覚をどうすればいいのだろう。
「別れがあるのなら出会いがある」という言葉があるが、あれを別れへの慰めに使うのは間違っている。
なぜなら、例えそこに新しい出会いがあったとしても、それは完全に別のものであって、別れたという現実が覆ることは絶対にありえないからである。
例えば、今日、先輩に会ったとが最後で、もう一生会うことが無かったのだとしたら、そこに別の出会いがあったとしても、それが何になるのだろうか?
先輩にはもう2度と会うことがないのだ。新しい出会いなど、僕には何の興味も示さないだろう。(変なたとえに先輩を使ってしまいましたごめんなさい)
どんどんと話しがよく分からないことになってきたからもうこの辺でやめる。










2014/3/13(金) もろろろみ。



 すばるーすばるー。


○割りと頑張った。

△前途多難。
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今日も研修だった。深くは書かない。
深くは書かないのだけど、思ったことを1つ。
僕はいったいこれからどうなるのだろうか。
これから長い間ずっと働いたとして、どうなるのだろうか。
今の仕事が辛いというわけではない。いや、しんどいのだけれど、この疑問はどの仕事であっても付いて回るものだろう。
何年も、何年も。恐らく死ぬまで。
そう思ったとき、僕の中には2つの感情が生起される。
1つは虚しさ。もう1つは安心である。
前者はただ単純に生きることについての虚しさである。よくあること。いつものことである。
後者は「ああ、やっぱりそうなんだ。結局はそうなのだ」という諦めからくる安心である。
「諦め」ということはあまりよくないことである。不条理を受け止め、諦めること、それは人間が人間として生きていけなることだ。それはもうゾンビだ。
だけども、この諦めからくる安心は、始終僕にまとわり付く。これは、本当に心地よいがいいものだ。なぜなら、諦めてしまえば、それで全てがよくなるのだから。
僕は、あともう少しだけでも、諦めからくる安心を受け入れてはいけない。









2014/3/12(木) スマホを手にする。



 すまほーすまほー。


○最新テクノロジーに触れる。

△なんだか悲しくなる。
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ケータイをスマホに変えた。
仕事でのやりとりがlineを使っているみたいで、スマホ所持が必須みたいなもんだったから、仕方がなかったとはいえ、あんまり感動は無い。
それでもせっかく変えたのだからと、ダラダラのパズドラなるものをやってたら酷い虚無感に襲われたので止めた。
即充電行きになるスマホ。いつの間にかデータ通信量が1ギガくらいになってるスマホ。色々な意味であと一ヶ月も持つのかこれ。
もとからスマホには興味がなかった上に、触ってみてもやっぱり面白くもなんともないので、 ますます、少しでも暇さえあればスマホを弄っている人たちが理解できなくなってくる。
でも、彼/女らにしてみたら、暇さえあればボーッと宙に意識を飛ばしている僕のほうを奇異に捉えているのだろう。
世の中はそんなもんである。人は分かり合えないのである。それでも分かり合うための努力はしなければならないのだけど。僕はそれをしていないのだけれど。うんうん。










2014/3/11(水) 追い出され、寝たあと。



 ぱーらぱぱぱらっぱー。


○それなりに寝た。

△足元が無い。
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今日は、昨日付の日記を打ち込んでホームページの更新をしたあとに布団に潜り込んだら、早々と寝てしまった。
目が覚め窓に目をやると、外には夕日が落ちていた。次に時計を見ると18時を回ろうかとしているところだった。
少しだけ、寂しいと感じた。
寝てしまう前までは、そういう感情なんてものは殆んど生起しなかったのに、一眠りしただけでこうも心の変化が訪れるものなのだろうか。
そういえば、人間にとっての睡眠は記憶の整理をする時間であると、どこかで聞いた気がする。
だとすれば僕の中でゴチャゴチャしていた記憶、或いは感情が睡眠を取ることによって整理され、 そこで初めて「寂しい」という感情が芽生えることになったのだろうか。
なんだか処理が遅いパソコンみたいで、妙な感覚である。
とにかく、僕はきちんと「寂しい」と感じることができたのだ。そう思うと同時に、安心もした。

結局、今日は家に引きこもっているだけだった。
本を読もうとするにも、相変わらず難しそうな本しか読もうと思わないので、中々内容が頭に入らず、苦戦していた日だった。










2014/3/10(火) 追い出されて。



 なんかもう本当に眠いのです。


○頑張った。

△やらかした。
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追いコンだった。ちなみに9日は内定先の研修に行ったりしていたけれど、詳しくは書かない。
今、この文章を書いている僕は、カラオケオールのあと、プロジェクターとかを返してフラフラボンヤリした状態でなんとか帰ってきたところである。
なので、とても疲れている。
だからといってどうした、ということではないが、とにかく、疲れた。
追いコンは、あっさり終わった。なんてこともなかった。
特に感傷に浸ることも殆んど無かった。ただ、恐らくこれで最後になるのだろう楽器を吹き、たぶんもうやらないのであろう企画の仕事をしただけだった。
この行事は僕にとってかなり重要なモノになるはずたった。それなのに、ただ、時間が過ぎていっただけであった。
僕の中で唯一引っかかった事柄といえば、最後の最後に目を合わせて、きちんとした挨拶ができなかったこと、いや、そうさせてくれなかったことである。

それはさておき、どうして僕はこんなにも無感動なのだろう。
確かに、僕という人間は興味の範囲というものが狭すぎる上にそれは他の人と比べてかなり位置が異なっている。
だが、吹奏楽は僕にとって無興味というわけではなかったはずだ。少なくとも1年前はそうであったはずだ。
いや、これは興味がある・無いの話ではないような気がする。感動したか・しなかったかだ。
ここでいう"感動"という言葉は別に「感動して涙を流した」という方向のみを指すの言葉ではない。 むしろ、暗い気持ちになったり、色々と面倒なことを考える状態になってしまうことである。 つまり「どの方向でもいいから僕の頭を掻き乱すこと」が僕にとっての感動である。
それが今回の追いコンでは無かったのだ。僕は本当に、何も考えなかった。ただただ、目の前の事象を受け入れていただけだった。
もしかしたら目の前の人は、もうこれで一生会うことがないのかもしれない、なんてことは少し考えてみれば直ぐに分かるはずだった。
慣れたのだろうか。受け入れることができたのだろうか。それとも、諦めたのか。
「受け入れる」、「諦める」、或いは「期待しない」というものは、どれもイコールで結ばれるものなのだろうか。
「受け入れる」に「諦める」や「期待しない」が内包されているのだろうか。
だが「受け入れる」ためにはそれなりの葛藤が必要であるはずである。僕はこの一年間で、すっかり諦めて、期待しないようになったのだろうか。
それはつまり、何を意味しているのだろうか。
もう疲れた。寝ようと思う。










2014/3/8(日) スプコン。



 つかれたねむい。


○頑張った。

△やらかした。
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昨日は愚痴をグチグチ書いてしまいましたが元気なアロハです。元気元気、チョー元気。
そういえばスプコンとかありましたね。何か僕は色々とやらかしてたような気がしますね、元気です。
やらかしたのに、OBの方にこれからのOB回への参加を勧められたのですけど、多分、もうやらないような気がします。昨日も書いたか。
吹奏楽自体はとても楽しかったとは思います。ですが、いつの間にか僕は吹奏楽に付加価値を求めるようになってしまってたんだと思います。
更に、2年ほど前の僕は、その付加価値と吹奏楽本体の重要度が逆転してしまっていたのだと思います。
そこで気づいたとき、僕にとっての吹奏楽というものが、よく分からなくなっていました。
明後日は追いコンです。どうせ、最後です。僕が何を考えていようが、追いコンは追いコンなのでしょう。僕はそれに乗っかるしかないのでしょう。










2014/3/7(土) スプコンを前にして。



 つかれたねむい。


○色々。

△寝ていない。
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さようなら。
さようなら、私。さようなら、私。いつかまた出会う日まで。会えるのかはしらないのだけれど。会うまでに死ぬのかもしれないのだけれど。
とにかくさようなら、私はここにいます。
よくよく考えてみたら、明日はスプコンの本番です。本番なのですが、僕の回生は誰も聴きにこないのでしょう。
つまり僕は一人というわけです。今までは心から信頼することができる人たちが周りにいた状態で僕も吹奏楽をやってきたのですが、明日は一人なのです。
一人でも吹奏楽がやれるのか。聴いて欲しい人が誰一人いなくても、つまり人と吹奏楽とを完全に切り離してやれるのか、もっといえば純粋に吹奏楽をすることができるのか、です。

たぶん、お客さんを相手にする演奏会に出演するのはこれで最後になるでしょう。
誰かに「OB会なんて毎年できる」と、いわれたりもしましたが、僕はもうこれっきりにするつもりです。
最後は独り。そんなものなのだと思います。










2014/3/5(水) 徹夜明けの日に。



 生きてるという言葉は生きている人のみが使う言葉です……(なんとなく思っただけで特に深い意味は無い)。


○色々。

△寝ていない。
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そもそも昨晩は色々あったおかげ30分ほどしか寝ていなかった。
後輩の下宿先で朝までテレビゲームをしてから、一旦自宅に戻ったが、直ぐに市役所に向かい住所変更の手続きを済まし、 そのまま運転免許の試験場に向かうことになったのだ。
だから今日の僕は無勉強な上に朦朧とした状態で学科試験を受けることになった。
だけども何故か合格してしまったので寝不足で目が死んでいる状態の上に天然ワックスで髪の毛バリバリの状態で免許の写真を撮られることになってしまった。
免許証を見る。目の焦点が合っていない僕がいる。見つめているとなんだか不安な気持ちになってくる。<>br> だけども僕の頬にある沢山のニキビ跡は全くない。どうやらそういう補正が付加されたらしい。










2014/2/28(土) トカイへ行く。



 行ったものの。


○レッツトカイ。

△筋肉痛。
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久しぶりに連日で日記を書いたと思ったら、こんどは3日空いた。酷いもんである。
2日前は色々買いにトカイに行ってた。買いに行ったはずなのに、殆んど歩いただけだった。歩きすぎて疲れた。
トカイでは自分の周囲で話されている言葉が日本語でない場合が多く、国際化を感じたと共に、僕の語学力の無さを考えた時に、若干の劣等感を覚えた。
歩いて歩いて歩きに歩き。あっちへフラフラこっちにフラフラ。行く前にもう少し予定を組んでから行くべきだったと思う。
途中で立ち寄ったドラッグストアで購入したカロリーメイトを貪りつつ、ブラブラキョロキョロしていた僕はどのように映っていたのだろう。
数多の店員さんを振り切り(それっぽいコミュニケーションを交わし)、一応、買うには買ったが、本当にこれでいいのか、と思った。しかも1つは結局、自宅近くのダイエーで買ったのだった。チャンチャン。

     ◇

昨日はボルダリングに行ってからの車で送ってもらってからのゼミでの飲み会だった。
ボルダリングでもコミュニケーションというものを感じていた。
ゴボウの彼が、いつの間にか施設の常連さんとおぼしきお兄さんと会話を交わしていたのだ。
このスムーズな会話の流れ、大人である。(僕は今度から飲食店で働く予定の人です)
ちなみにボルダリング自体は楽しかったです。誰もいないところで一人で延々とやりたいです。(僕は今度から以下略)

ボルダリングを終えてから、ゼミの飲み会に行くために車で送ってもらった。なんか色々話した気がする。彼の運転はやや怖い。だけども、送ってもらったので。
しかしながら、僕でも仲が良かったなら、ここまで話せるもんである。

ゼミでの飲み会では殆んど淡々と飲んでいた。でも、今までで一番会話が出来ていたような気がする。それに、あまり苦ではなかった。
見た目がヤンキーっぽい人が「俺、人見知りやねん」と言っていたことが印象的であった。
それから、どうやら、僕は結婚するのに適しているタイプらしい。誠実そうで一途そうだからとかなんとか。
勢いで例のアレを話したら、色々とアドバイスをもらった。2つの「ど」(同調と、どうやって・どこで・どのようになどの疑問)と、会話が途切れたらアメちゃんをあげればいいだとか。
飲み会が終わったあと、サンマルクカフェという場所でカフェラテを飲んだ。
いつもは砂糖とミルクマシマシで飲むクセに、カッコを付けて何も入れずに飲んだ。苦かった。

ゼミの人と別れ、少し辺を見回したとき、色んな人がゾロゾロと歩いているのを見た。僕はなぜだかそこに、優しさ的なモノを感じた。
いつもだったら人間一人一人が持っている人生を感じてしまうとかなんとかいって重い気分になるのだけど、ただ「みんな帰るんだなあ」とボンヤリ思っていた。
僕は電車の最後尾の窓から、ボンヤリ景色を眺めていた。 電車が動き出すと、トカイの駅が少しずつ遠くなっていく。光の塊だったトカイ駅は次第に小さくなっていき、点になる。その光の中には確かに人がいる。そのうちに車掌さんが窓ガラス越しに目の前に立ったので、僕は寝たフリをした。

    ◇

今日。
今日は生まれて初めての美容院だった。
初めてのクセに、いくら予約不要だからといって、受付のお姉さんに何も言わず、ボンヤリと待合室席に座ったのはよくなかったと思う。
低姿勢で接してくれるお姉さんに、美容院は初めてだということと、生え際が危ういことを申告する。
でも、美人のお姉さんに髪の毛を弄ってもらうのは、とても良いことだと思います。

それから買い物。結局、一昨日に買ったものでは、あまり良くないと考えたからだ。
なんたる二度手間。交通費も掛かる。でも、自分が損するだけなので別にいいのだ。

そういえば、パンフの作成をやっているせいか、他の人たちによく謝れられたりして、逆にビビる。
3日分の日記を書いたわけだけども、明らかに今日の分だけ手抜きである。










2014/2/25(水) 追いコン会議、その他。



 どっこい生きてる。


○遊んだ。

△喉がガラガラ、僕の頭は面倒臭い。
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僕という人間は、1つの何か引っ掛かることを考えだすと、自分の思考に旅立ってしまうやつである。
思考方法としては「記述する側」が登場することが多い。というかほぼそれである。
「記述する側」が僕の考えを記述してゆく。僕を物語の登場人物にして、会話させる。
その情景は僕の頭の中でしかないわけだけども、リアル、といってもいいくらい現実味がある。
のめり込み過ぎると、返ってきたときに、返ってきた世界というものが本当に現実の世界なのか怪しくなるときがある。
それはまるで夢から覚めたときと同じような感覚である。
以上のことは端的にいうと、「妄想」といえるのだと思う。たぶん、病的ではないだろうけど、その言葉を当てはめるのが一番合っている。
他の人が僕みたいになるのかどうかはしらない。僕は他人の頭の中を覗くことはできない。
だけども、自分の頭の中を、できるだけ見渡したとき、上のようなことが起きているということを言葉として表すことができたのだと思う。
人はそれを考えすぎともいう。
今のところは笑うところである。

今日はなんか色々やってた。色々考えた。あと僕は正直過ぎるのだと思う。よくない。性格的に嘘が吐けないのは本当によくない。不利だ。
簡単に書くと、追いコン会議→ダラダラ→ご飯→カラオケ、である。フルコースだ。
楽しい。充実した。そういった言葉は心の底から言えるのだと思う。
しかしそれは僕の心情の一側面でしかない。
僕の、また違うところでは、やっぱりモノを考えていた。考えてしまっていた。やめたらいいのに。難しいことを考えず、楽しんだらいいのに。
だけども結論も出なかった。考えただけだった。悪く言えば悩んだだけだった。結局は明日のために寝るしかないのだ。
物事は、僕の中だけでは非常に複雑な状態である。
とりあえず、アレ、カラオケでデカイ声を出しすぎたので色々ヘロヘロです。疲れた。寝たい。寝る場所が無い。










2014/2/24(火) 服を買えたらいいね。



 どっこい生きてる。


○なやみが無いある。

△サヨナラお金。
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久しぶりに連日で書いたような気がする。
今日は服を買いに行くフリのクラマちゃんと愛し合うフリのBOXでゲームだったのだ。
アーマード・コアというロボットでガションガションするやつをやってた。
なぜ最近の日記はいい加減なのか、といえば、それは僕の鬱パワーが足りないからだ。
丁度よく暇で丁度よくイベントがあるのだ。
たぶん3月の6日には鬱パワーが全開になってると思われるので、乞うご期待。
追いコンはギリギリ行けるかも。ただし卒業旅行は絶望的。

     ◇

上の文だけだと、なんだかやる気がなさすぎるのでもう少し書こうと思う。
ここ数日、ツイッターのほうで全然呟かなくなった。
といってもたかだか5日程度なので、べつに大それたことではないのだけれど。
理由は無し。というか不明。つまり自分でもよく分からない。
理由を考えるならば、本来ツイッターというものは何の気兼ねも無しに思ったことを、 (ある程度人に見られても良いモノのみを選別し言葉を選び)、発言できるモノなのだけど、
なんとなーく、呟く為にいちいち体力を消耗してしまうような人になってしまったから、なのかもしれない。
というわけでですね、もう暫く無口になっても気にしないでね。それよりもアンケート書いてね。 今なら「アンケート書いたよ!」と僕に伝えるだけで僕の好感度がアップするキャンペーン中だからね終わり。










2014/2/23(月) 服と靴。



 どっこい生きてる。


○良い経験。

△サヨナラお金。
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昨日はスプコン練。自分の無力さを久しぶりに味わったあと、ご飯でお喋り。色々とあるもんだ。
今日は服を買いに行った。服。色々会ってズボンと靴を買った。高かった。
店員さんとのコミュニケーションの難しさを思い知った。
よくよく考えたらあともう少しで僕は店員さんになるのだ。
とにかく、今はやるべきことをやればよいのだ。










2014/2/21(土) 卒業検定。



 くるま。


○受かった?

△本当にこれでいいのか。
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なんだが最近は2日に1回の更新が多い。これはよくない。
昨日は吹奏楽部の友人たちと遊びに行った。
色々と考えたことはあったのだけど、まとめると、僕は僕なんだなあ、と思った。
終わり。

今日は教習所の卒業検定だった。
ボロボロだった。
それなのに受かった。不思議。多分、教官が違う人だったら確実に落ちていたと思う。それだけ酷い運転内容だった。
なんだかこんなので本当にいいのかよく分からないまま、僕の教習所通いは終わりを迎えたのだ。
教官には「モノにぶつけたとしてもそれはモノが凹んだりするだけやからまだいい。でも人様には絶対ぶつけたらアカンで」と言われた。










2014/2/19(木) 育毛剤と私。



 くるま。


○今日は別に平和でも無かった。

△明日のことを明日に回しすぎる気。
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電源を入れようとして携帯電話の画面を見たら、画面が反射して生え際がかなり際どい頭皮を見てしまったアロハです。
教習所の帰りにフラフラとドラッグストアに行き育毛剤をボンヤリと眺めていたのですが、
なんかこう商品の棚に「4200」とか「5980」とかいうよく分からない数字がデカデカと書かれた紙が引っ付いていたので、見るのをやめたりしてました。
洗顔料とか買いました。「300」というシールが貼ってあったのを覚えています。
もう少し前、というか数年前くらいからでもこういうことを気にするべきだったような気がします。










2014/2/18(水) 車を考える(考えてない)。



 くるま。


○今日は平和だった。

△暗雲が遠くに見える。
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あともう少しで自動車免許も取得できそうだから、もしお金があったらどんな車を買おうかなあ、 やっぱり操作が楽しいからMT車がいいかなあ、小回りが効いてそれでいて頑丈なやつがいいなあ、
などと色々と調べていたのだけれど、最終的に車は危ないし色々とお金も掛かるから乗らない方がいい、という結果に落ち着いた。
悲しくなった。
同時に、僕はやっぱり死にたくないんだなあ、とも気付かされた。
この「死にたくない」という感情は本能的なもので、仕方がない(?)ことなのだと思う。
本能、で1つ思い出したのだけれど、これはかなーり失礼なことなのかもしれないのだけれど、なんで殆んどの女性は子どもを欲しがるのだろう。
やはりそういった本能を持っているのだろうか。
でも「本能」という言葉でくくってしまうと、なんだか動物的にしか聞こえない物言いなので、あまりよくない。
換言すると、「子どもという存在は女性にとって幸せの象徴であるから、産みたいと思う」のだろうか。
しかしそれは、幸せになりたいから子どもを産みたがる、ような気がする。
つまり、これは無茶苦茶な言い方なのだろうけども、子どもという存在を「幸福感を得るためのツール」として考えられなくもない。ような、そんな気がする……。
その、別に僕は子どもを産みたいという女性の考えを否定したいわけではなくて、ただ疑問に思っているだけで、
上に書いたのは、失礼だから聞いちゃいけないような気がして聞けていない僕が男の目線でボンヤリ考えたやつなので、はい。

母性本能という言葉にしてしまえば聞こえはいいような気がする。
しかし"母性"という言葉が頭にくっついていても、本能は本能である。それは感覚的なものであるというより、動物的なものに近い。
人間は他の動物より大脳が大きい。だから経験的知識というか、言語的にものを考える事ができる。たとえそのベースに非経験的知識(=先天的知識)があるとしてもだ。
だから母性本能が非経験的知識の分野(=感覚的な場所)に存在するものであっても、それを言語的に理屈で一度捉えようとしてみないと、 それは人間的ではないような、そんな気がするのである。
ええと、つまりなにがいいたいのかといいますとね、
「母性本能」ということばで終わらすのはよくない、ということですね。なんせ新しい命を創るのですからね。 いくら感覚的な感情も大事だといっても、ただなんとなーく「産みたい」だけではよくないと思ったのですね僕は。はい。
でも「種としての存亡」とかいってもなんだか感覚的になんですけども違うような気がするんですね。そうじゃなくて、みたいな。
くるま……。










2014/2/17(火) やるきとは。



 るるる。


○順調?

△日記への情熱低下。
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こんにちは、アロハです。一昨日は高速道路にいったのですがプリンセス天功よろしく五体満足で舞い戻ってきましたね。
それから色々あったりもして、今日も教習だったのですけれども測定にも一発合格したりして、あとは見極めとか卒検に合格したら免許ゴー感じなのです。
なんだか日記からテキトーな感じがプンプン臭ってきますね。それだけ日常生活がジュージツしているわけです。しているよね。していたらいいな。
そういえば昨日は色々あったりもしたのですけどもね。そこからボンヤリ考えたこともあったのですけどね、やっぱり書かないです。やっぱりやるき無いね。










2014/2/15(日) アロハと明日高速。



 るるる。


○楽器吹くのたのしい。後輩とご飯たべにいった。。

△明日死にそう。
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昨日も今日も忙しかったのです。
昨日は教習所とアンケート関係で色々。
今日はスプコンの練習で色々やったのち、追いコンにパンフに載せる文章をかいているのです。
どうでもいいですけど、僕は"ありがと。"に弱いです。"ありがとう。"ではありません。"ありがと。"です。いいですね。はい。
明日は教習でミッション車で高速に乗るくせに、昨日はオートマにしか乗っていませんし、今日は車にさえ乗ってない状態でのいきなり高速です。
たぶん死ぬと思います。
冗談抜きで20%くらいの確率で死ぬ気がします。みなさんさようなら。みんなに会えて僕は幸せでした。










2014/2/13(金) アロハと愉快な仲間たち。



 るるる。


○みんなと接する機会があった。

△寝る時間が無い。
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今日もなんか色々ありましたね。
色々というか、回生で集まって追いコンの打ち合わせとかしていましたね。
「回生で集まって」とかいう言葉なんてあと何回使うのですかね。もしかしかしたらこれで最後なのかもしれませんね。
ほかには色々と考えたり色々と見たり色々とドキリとさせられることがあったりなかったりしたのですけども、それはわざわざ書くことではありません。 書くべきことでもありません。
とにかくですね、明日も早いですから、さっさと寝て、色々と準備をしなければいけないのです。アンケートとか。 たぶん昼過ぎにはコーナンのコピー機の前で突っ立ってる僕の姿が見れると思います。誰か手伝ってくれないかなあ。仕事自体は僕1人で十分なんだけども、 いや、その、仕事じゃなくて、会話相手として。
いちいち報告するようなことではないのでここでしておきますが、足跡は2011年度のほうが7割がた完成の状態です。ギリギリ全部入れれました。










2014/2/12(木) 元気なった。



 はい。


○寝た。

△切羽詰まるよ色々と本当に色々と。主に教習所
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うつ状態は沢山寝たら治る(僕の場合)。治った。一晩寝ただけで治った。
しかしながら、うつ"病"のほうになったらどうなるのかは知らない。なったことがないと思うたぶん。いやあったか。あったな。あった。深くは書かない。 この世の中には知った方がいいことより、知らない方がいいことのが桁違いに多いのだ。人間は難しいのだ。僕は他人への興味が割りと希薄なクセに人を悩むのだ。

どうでもいいけれど、自分の若干生え際が後退している頭に慣れてしまった。「昔からこういうものだった」ような気がしてきた。辛い。
自分の中で自分の像というものがどんどん入れ替わっているのだ。そうしていつのまにか自分というものが、似ているようで全くの別人になっていくのだ。
それは成長なのかもしれない。後退、あるいは老いなのかもしれない。とにかく僕は変わっていっているのだ。
それっぽいことを書いたあたりで終わり。


2014/2/11(水) 元気じゃなかった。



 はい。


○甘いモノ食べた。

△切羽詰まるよ色々と。
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少し前に気づいた。
鬱だ。
今の僕はいわゆるところの「うつ状態」になっていることを発見した。
そういえばここ数日は暗い気分がずっと続いていて、特に今日なんかは教習所が珍しくお昼過ぎで終わったというのに、 僕の心情は閉鎖的かつダルダルかつ底なし沼にズーンと落ちていく感覚だったのである。
街を歩いていても、「家族連れを見ると惨めな気持ちになる。その"惨め"の対象は自分にでもあるし、また僕が小さい」
とか
「どうしてこんなに人がいるのだろう。まるで自分の巣から次々と這い出てくるアリのようにワラワラと気持ち悪いほどに。そういえば僕は園児バスに乗っている幼児を見る度にも、まるでア」
等など、いつもより酷い感じの考えが流れるように出てくるのである。
ちなみにこうやって文章を書くのも気合と根性で無理矢理言葉を紡いでいるのである。
気合と根性を動員させているので、うつっぽいクセに文章はいつもより若干程度、湿度が低いのである。
そんなことを書いているうちに僕の気力が尽きてきたので、そろそろ終わる。この状態にとって一番大切なのは睡眠なのである……。










2014/2/10(火) 私は元気です。元気なはずです。



 元気でありたいですね。


○嫌なオッサンと思っていた教官の良い所が見れた。

△忙しい……。
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忙しい、といっても自動車教習所に行っているだけである。
それでも朝の8時に出かけて夜21時半に帰ってくるのである。やっぱり忙しい。

ちなみに今読んでいるほんが比較的暗ーいやつなので、僕の気分もいつも以上に沈んでいるのである。
暗い本、暗いといっても、その暗さには幾つかの種類がある。
今読んでいるやつは個人的に名前を付けるとするならば、「現実的暗い」である。
今日はこれで終わり。










2014/2/9(日) 路上に出たりもしたけれど、私は元気です。



 元気でありたいです。


○クラッチ操作は楽しい。

△一週間後には高速に乗っている予定。
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現実は非情である。なぜなら僕の気分を他所に、教習はガンガン進むのだから。

そういえば、僕はツイッターにてこんなことをグチグチ言った。

「たとえそれが本心であっても、そもそも本心というものは沢山種類があるし、
どれか1つを拾い上げて「これが本当の本心です」とはいえないし、というかそんなの分からないという言い訳」

僕はその次にこう続けなければならなかったと思う。
「だけども、生きているうちに"本心"というものを話さなければいけない場面が幾つも出てくる。
そのときは沢山ある"本心"を感覚的に繋ぎ、おおよそ60%以下の"本心"を作り上げ、しかもそれを"100%の本心"として提出しなければならないのだから辛い」
あれ、なんだか余計に駄目になっている気がする。










2014/2/8(日) いろいろ。



 べべべ。


○仮免受かった。

△明日からは地獄のような教習が始まる。
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以下昨日書く予定だった日記。

仮免前の技能教習においての見極めで、あんまり私の状態がよろしくなかったので1時限追加で受けることになった。
受付にて追加の申し込みをする私。パソコンを見、あちゃー全部埋まっとるなあ。と受付のおっさん。
顔が青くなる私。明日が仮免試験なのだから今日中に受けなければいけない。そうしなければ予定が全て狂うことになる。
すると、おっしゃ僕が見るわと、受付のおっさん。
感激する私。したけども上手く感情を表すことができない私。見た目平然と受け答えをする人間がそこにいる。
追加の技能教習が終わり、なんとか明日の試験を受けることができるようになったとき、やっとこさお礼を言う私。
それが僕らの仕事やからね、と言った受付おっさん。
そのとき、普段から涙腺が緩い私のそれが、またユルユルになりかけたのである。



サブコンデビューを見に行った。いつの間にかユーフォを構えて合奏に参加してた。
嗚呼、麗しき現役時代よ。

昨日分、以上。

今日は仮免の試験だった。受かる気が全然しなかったのだけど、何故か受かった。嬉しい。
ウン、確かにそのときは嬉しかったのを覚えている。だけども今は悲しい。何故だろう。
僕の心情を作り上げている土台はどうも「悲しい」という気持ちがあるような気がする。
僕は自分の気持ちに嘘をつくことがあまり好きではないから、その「悲しい」という気持ちでいるほうが、ある意味正しいような、そんな気がする。



上の文章を書いたとき、急に外に出かけたくなったので、散歩をしてきた。23時5分くらいから23時40分くらいまで。つまり夜。寒い。
散歩の中でわかったことは、僕という人間は1人でリラックスしているときには2通りの思考方法をとるということ。
一つは、客観的に自分を見つめようと努め、自分の心情をひたすら文章化にして考えること。
もう一つは、自分という役と知人という役を頭のなかで登場させ、互いに話し合いをさせること。

この2つをみたときに思うことといえば、どちらも物語をしているということである。
つまりこれらは僕の頭のなかで心情という文章、あるいは会話文という文章を書き続けているということなのだ。それは自分を題材にした文章だ。
そこで登場するのは「書く側」と「書かれる側」であると思う。恐らく今現在この文章を書いているのは明らかに「書く側」であると思われる。
では「書かれる側」というものは何か。それは「弱い自分」だと思う。常に自責的で、クヨクヨと同じことばかり考えていて、弱々しい。
それを文章化し規範化することによって「弱い自分」というものを、なるべく良く(自分に対して)見せようとし、そうやって自尊心を保とうとしているのである。











2014/2/6(金) 手塚治虫のドキュメンタリーを観た。



 べべべ。


○無い。

△教習がピンチ。
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昨日は卒論の口頭試問でなんやかんやあったけども、 なんかイヤらしい質問などをされたわけではなかったけども、なんともいえない感じで終わってしまったような、これで終わっていいのだろうかというような、 そもそも大学ってなんのためにあるのだろうとかそういうのだった。

今日の話し。
Eテレで手塚治虫のドキュメンタリー番組をやってたのを観た。
世界平和だとか環境破壊はよくないだとか、口ではいくらでも言えるけどもそれは自分の目で見たものでない以上どうしても実感のないものになってしまう。 僕の想像力、感性というものはどうしても狭く小さなものだ。だから僕が人生というものをいくら語ったとしても、そこに重みや実感がでてくるはずがない。 自分でもそうは思っていない。
傍からみたら、まだ20年そこそこしか生きていない若造が自分の人生を悲観してグチャグチャとくっちゃべっているでしかないだろう。
たぶん、もう少しこの世の中で生き、それから地球を実際に自分の目で見下ろしてみたとき、初めて世界というものの本質を感覚として捉えられるのではないだろうか。
そうしたとき、僕は自分の言葉でモノを語れるようになるのだと思う。
と、いうわけでですね、将来の夢の一つに「地球を見下ろす」を追加しました。










2014/2/4(水) ダメダメな私。



 明日は卒論の口頭試問だそうです。


○無くしたと思ったキャッシュカードが見つかった。

△最近買った服が水洗い不可だった。
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書いている途中で「こういう文章ってあんまり書いたら駄目だよなあ」と思って書くのを途中で止めた文章をそのまま載せて今日は終わり。

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教官の手を見ると、驚くことに全員が左手の薬指にシルバーの指輪をしている。彼らが操縦席に座ってハンドルを握るとき、助手席に居る僕にはそれがよく見える。
捻くれた考え方をしなかったら、それは結婚指輪なのだと思う。だとすれば彼らは全員結婚しているのだろう。
そう思ったとき、僕は「大人」というものを見せつけられたように感じる。守るモノがある。家庭がある。人生がある……。
僕には女性経験が無い。肉体的にも精神的にも。だから次にいうのは酷くみっともないことだと思う。
それはこうだ。つまり肉体的でも精神的でもいい。もし女性と繋ぐことができたとき、そこには何かがあるのだろうか?安心や充足感が存在しているのだろうか?
いや、









2014/2/3(火) 教習9日め。S字クランク。



 明日も明後日も元気じゃないです色々あるんですってば。


○最近は車の運転にも慣れてきたのだと思いたい。

△教習所に行くのが面倒になってきた。
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だいたい一昨日くらいから右耳の穴が痛い。脈と連動してズキズキする。変に傷が付いて晴れてしまったのかもしれない。
もしかしたら状態がもっと酷くなって結果的に右耳が聞こえなくなり、僕に持病属性が付与されるのかもしれない。
これで面倒を見てあげたい系女子のハートをガッチリできたらいいですね。僕の周りにはそういった女性が居ないので本当に実在するのかは知りませんが。
とにかく、そのうちに耳鼻科に行きたい。でも近隣センターの耳鼻科は最後に行ってから10年近く経っているから、なんか怖い。
レンガ造りの建物とか、町病院独特のモワスーンなにおいとか、深海魚の写真が貼り付けられてある待合室とか、「鼻に詰まってる鼻水を抜き取るマシーン」とか、 常にマスクを着けていたから素顔を知らない院長先生とか。



S字とクランク。4回くらい繰り返したけど、まさか一度も縁石に乗り上げること無くできるとは思わなかった。
「初めてにしては良くないこともない」という大変遠回しな褒め言葉も頂いた。たぶん落ち着いて自分のやりたいスピードでやることができたからだろう。










2014/2/2(月) 教習8日め。AT。



 明日も明後日も元気じゃないです。


○マァマァウンウン。

△エンストして追突されるか、暴走して大惨事起こすか。
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AT乗った。楽というより怖かった。あんなに簡単にスピードがあげられるなんて。
もし将来自動車を買うことがあってもMTにするだろう。安全面を考えると、そうするしかない。
アクセルとブレーキの踏み間違いで事故が発生することが多いらしいけど、間違いなく僕もそうのをやってしまうだろう。

あと休みが欲しい。一日中休みの日が。
予定では2月の末までそういった日は無いのである。










2014/2/1(土) グッチャグチャ本。



 明日も明後日も元気じゃないです。


○嫌なことなど無かった。

△明日こそは嫌なことがある。
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最近は自分を掻き乱してくる本に出会ってない。イベントはあったけども。
多分最後に僕を掻き乱してくれたのは京極夏彦の『死ねばいいのに』だと思う。
読んだのがいつだったのか過去の日記を調べていたら去年の8月5日だった。実に半年前のことである。マジでか。嘘やん。
ちなみに、その本をとある友人にあげたら不評だった。酷い。確かに暗いけども。はい余談終わり。
とどのつまり、僕の中で素晴らしいと思える本は「自分の頭の中をグッチャグチャにしてくれる」本なのである。
このグッチャグチャの方向はどこでもよく、明るかろうが暗かろうが、美しくても醜くてもどれでもいい。
だけども、そういったモノに最近は出会えていないのだ。この世には一生をかけても読みきれないほど本で溢れているというのに。しかも現在進行形で増え続けているというのに。
なんか書くのがかったるくなってきたので現状を悲観するだけで終わることにする。

 ◇

技能研修の教官が優しかった。結構身構えていたのに肩透かしである。問題は教官が優しくても優しくなくても僕は駄目な人だったということである。
クラッチ操作が未だにスムーズにできない、それから数年前に自転車で事故を起こした所為かあんまりスピードが出せない。
技能研修のあとに仮免前の実力テスト的なマルバツ問題を受けたけども、50点満点中49点だった。3時間くらいの勉強でなんとかなるもんだ。











2014/1/31(土) 駄目でなんでも後回しにする人。



 今日も明日も元気じゃないです。


○やりとり頑張った。

△明日は嫌なことがある。
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明日は技能教習と模試がある。あるのだ。
30数万円も払って、なんでこんなにも苦しい思いをしているのか、免許を取るためだ。このタイミングでなければ、免許は取れないのだ。
車に乗れないと、このご時世、色々と問題が発生したりするのだ。生きていくための最低資格なのだ。
あるときは「人生の不条理性」だとかなんとか言っているが、そこまで達観しているとはいえないのだ。むしろ悩む。クヨクヨする。おそらく他の人以上にだ。
つまるところメンタルがヘボヘボなので、少しでも面倒なことがあると、それだけでウーアーになるのだ。
ただ逃げ癖がついていないのが唯一の救いか。後回し癖は酷いもんだけど。それから十分な準備もしない。
取り敢えず色々グチャグチャ考えた末、「なんとかなるさ」と開き直って、何もせず布団に潜る。それが僕なのだ。
こういった癖はいい加減に直したほうがいい。だから書類関係とかもギリギリになる、というか期限以降に出す羽目になる。なった。

昨日書いたが僕の不備で書類提出が遅れることになった。
もう土曜日なのでメールで連絡した。本当なら電話のほうがいいような気がするのだけども、仕方がない。その分できるだけ文章には注意した。
すると、まあ、多分、感情的でないような、そこまで僕を非難していないような、事務的な、そんな返信だった。良いのか悪いのか。

とにかく、明日は技能と模試。問題は技能である。あんまり怒らない教官だったらいいと思う。
この前の飲み会の席では「最初のほうは優しい」と聞いたのだけど、それでは僕の場合は運が悪いのだろうか。
いやでも人命に関わることだし。僕だけが死ぬ分には別にいいのだけど、誰かが死ぬのはよくない。
どんな人にも親がいるだろうし、友人がいるかもしれないし、恋人がいるのかもしれない。もしかしたら家庭を持っていて、子どもがいるのかもしれない。
そうでなくとも、その人自信が子どもだった時期があるだろうし、悲しくなって泣いたときだってあっただろうし、誰かを好きになったこともあったのかもしれない。
そういったモノを誰でも持っているのだ。そう考えると、どんな人も他人という言葉ひとつで括れるものでなくなってしまうのだ。
ああ。明日、僕の隣に座るであろう無愛想で怖い教官にも同じことが当てはまるんだろうな。
今日もイイこと書いたナア、ウンウン。

<追記>
ただ、アレですね、上に書いたのはただの理屈に過ぎないんですね、僕は理屈で人を理解しようとしているわけですね。
生きているうちに、どうしようもなく憎いと思える人間が、もしかしたら出てくるのかもしれません。それこそ、理屈に合わないような人間。まだ僕は会ったことがないです。
そういった人は理解できるものなのでしょうか?そもそも理解するべきなのでしょうか?
そこに人を理解するという本質があるような気がします。










2014/1/30(金) 駄目な人。



 今日も元気じゃないです。


○チョコレートが美味しい。

△明日は色々やる必要がある。
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エネルギー的なものが、無い。明日は教習が微妙に早いのに。終わったら直ぐに自転車をひたすらに漕ぐ必要があるのに。さっさと書く必要がある簡単な書類があるのに。

簡単な書類を確認したら、提出する書類の中に市役所絡みのやつがあった。ぎゃー明日土日ですやん。書類不備ですやん。入社前から駄目な私。とにかく電話だろうか。

ほかにも書きたいことがあるように思える。けども、時間的にも精神的にも余裕は無いのである。










2014/1/29(木) 



 るーるるる。


○久しぶりに楽器吹いた。

△家庭環境は大事。
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昨日の日記を読み返すと、ああ酔っていたんだなあ、と思った。2重の意味で。
アレですアルコールが回っている状態で文章を書くのはとてもとても良くないことが分かりました。
それから、昨日の日記には致命的なツッコミどころがあるのだけれど、深くは書かない。

今日は楽器を吹いた。少しだけ吹いた。寒かった。自分の実力を今一度思い知った。
それからBOXでボンヤリ。4回生のこの時期になっても1人でゲーム。いいのか。
それから後輩と少しの間だけご飯。
家に返ってきたら企業から資料が。研修は3月中旬にやるらしい。明日連絡するしかないのだろうか。
以上。










2014/1/28(水) ゲゲゲのゲゲゲのゲ。



 がーががが。


○新年会に参加できた。

△僕の頭がグールグル。
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こんにちは。アロハです。
2月は卒論の口頭試問でアンチクショウな先生にヤイヤイ言われたり、 自動車教習所で実車のたびにヤイヤイ言われたり、3月の頭はスプコンとかでヤイヤイやる予定があったりするのですが、 なんかそんなことはどうでもよくなりました。どうしてこんなにも予定が増えるのでしょうか。どうして、こう、なんだろ、アレな感じのアレがあるのでしょうか。
当時はアルコールが回っていて脳の働きがイマイチ悪かったので冷静でしたが、今は大変動揺しているのです。
アレですね。バカですね。バカ。バーカ。対象は自分です。バカです。私はバカな人です。誰でもいいから土下座させてほしいです。



お風呂に入ってきました。身体はスッキリしても頭の中はスッキリしませんでした。私の頭の中はグールグルしっぱなしです。
封印してきた色々な記憶が芋づる式でボンボン出てきます。もう喜怒哀楽が順繰りで出てきます。でも不思議と気分はネガティブになりません。 ここで私は「哀」と「ネガティブ」が決してイコールで結びつくわけではないということを見つけます。ええ、だからどうしたって話しですね。
とにかく僕は「過去」を過去のものとして冷静に観測することができるようになったということですね。成長ですたぶん。一過性の物に過ぎないような気がします。
というか、今の私は冷静ではないような気がします。一日寝れば大丈夫なのでしょうか。寝たい。でも目が冴えてる。昼間まで寝てたもんな。仕方がないのかな。寝たい。辛い。

ここで自分という人間の存在意味を考えます。何故僕は存在しているのか。答えはもう出ています。何百回と繰り返した自問自答です。「存在理由など無い」ということです。 なぜなら、遠い未来に地球は膨張した太陽に飲み込まれ、太陽が爆発することによって太陽系は消滅し、しまいには宇宙も消えてなくなるからです。
ただ問題はそこではありません。哲学というものはなにも自分の存在性を否定するだけの学問ではありません。
生きる意味なんて無い?どうせ死ぬ?幸福なんて存在しない?そんなことは当に分かりきっていることです。そんなことはどうでもいいのです。
「では、どうするのか」です。結果は分かりきっています。どうせ何をやろうが意味も無く死にます。では、どうするのか。過程を考えるのです。哲学とは「どう生きるのか」を考えるものだと思っています。

なんか話しがよく分からない方向にいってしまいました。上の文章はもしかしたらネガティブに捉えられるのかもしれませんが、私はかなりポジティブに書いたつもりです。
つまり、「過程を考える」ということです。これはなにも哲学だけの話しではありません。
もしかしたら「結果」は既に決まっているのかもしれません。いや、恐らく決まっているのでしょう。ですが、それでも私は「過程」を大事にしたいと思います。 そこに、何かが存在するのかもしれないのですから。

ここまでガーっと書いてきて、なんとなーく気分が落ち着いてきたような気がします。いやー疲れた。眠気は来ないけど。
ただ、あのとき、僕はこう返せばよかったのかもしれないなあ、と思いました。いや、ドン引きされるか。










2014/1/27(火) 教習3日目。



 


○寝方が分からない。

△教習辛い。
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教習3日目。この「教習○日目〜」は明日あたりで辞めそうな気がする。
僕が行っている教習所は、教官のキャラが濃ゆい人が沢山いる。
僕はその人達の名前をあまり覚えていないというか覚えようとしないので、全部○○の人と名づけている。
只今確認している教官の一部を紹介すると以下のとおり。
・若干圧迫的な人。
声がよく通る人。圧迫的に感じる時がある。

・関西弁の人。
オールバック。授業開始5分くらいは丁寧語だが、テンションが上がってくるとバリバリの関西弁で話すようになる。 怖い。できれば実車で一緒に乗ってほしくない。根は丁寧っぽい。

・眠い人。
常に一本調子で喋り続ける人。眠たくなる。



教習所が終わると、そのまま自転車で大学へ。だいたい1時間ほど漕ぐ。提出物を出す。
それからゼミの先生の部屋へ。卒論の口頭試問の時間を確認するためだったけども、流れで世間話をすることに。
世間話は僕の苦手科目である。何を話せばいいのか分からない。 できるだけ誰も傷つけないような話題で、しかも相手の興味があるような話題で、自分の話したい内容を瞬時に頭の中に組み上げ、 それを相手に分かるような言葉で伝えなければならない。
まず僕は他人という存在に興味を殆んど持たない。持てないといったほうがいいのかもしれない。だから、相手に話したい、相手と共有したい話題など無い。
さらに僕は日本語が不自由である。無理矢理にでっち上げた話題を「自分語」から「日本語」に翻訳する必要がある。
有りもしない話題を無理くりに作り出し、それを翻訳し、それをできるだけ違和感の無いテンポでキャッチボールする必要があるのだ。これほど難しいことがほかにあるだろうか。

と、いうわけで自然に話題は恋愛話になる。
先生は僕に結婚をすすめる。なんか知らないけど落ち着くらしい。先生は既婚者である。
僕は「結婚なんて、してしまうと面倒くさいことが増えませんか?」などと聞く。
先生は「いやー落ち着くよー」と返す。
こんなもんである。











2014/1/26(月) 教習2日目。初めての実車



 


○寝てない。

△実車辛い。
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教習2日目。今日は実車。
まずシートベルトの付け方から色々注意された。よくよく考えたら普通車に乗ったのなんて3年ぶりとかだった気がする。 若干、というか見るからに呆れられた態度を取られたが、気にしない。最後の方は優しかったし。
それから、慣れないことをすると直ぐに慌ててエンストする。新しいことをする度にガッタンガッタンわーすみませんになる。

今日は2回実技をやった。クラッチの操作は1回目のときは酷いものだったけれども、2回目はまだマシだった。それでも2回エンストした。
問題は先ほど書いたとおり、慌てた時、慣れないことをしたときである。どういうわけか、僕は慌てた時にアクセルをおもいっきり踏んでしまう。 ブレーキが踏めない。ブレーキを踏むという回路が頭の中で出来上がっていない。この先不安しか無い。2月以内で免許が取れる気がしない。 高速とか乗ったら死ぬと思う。

どうでもいいけども、幽体離脱する夢を見た。抜け殻になった自分の左手を持ってみたが(幽体なのに、何故か持てた)、自分の手であることが実感として分かったし、 同時に本当に抜け殻、あるいは有機的なマネキンを触っているような感覚だった。
なんだか今日は文章がとっ散らかっているが、気にしない。










2014/1/25(日) 教習1日目。



 


○寝てない。

△実習辛い。
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教習1日目。
朝から晩まで教習所。
模擬運転でエンストさせたりしたので、明日の実習が怖い。
書くことがないので、適性診断の結果を書こうと思う。


―――――――――――――
○ 総合診断 ○
 ・もの静かで無口な方です。他人に気を使いすぎる点はありますが、決心したことは、やり通す意志の強さをもっています。
自分の考えにとらわれる傾向がありますので、運転中は気をつけてください。
 ・周囲の状況を的確に判断し、正しい決断をすることができます。
 ・健康には非常に恵まれています。からだの点で運転するのに心配なことは何もありません。
 ・心の健康は良好なようです。
 ・自分勝手にはならずに、相手の言うことに耳を傾けることの出来るタイプです。
 ・相手の立場をよく考えた社会人としての行動をとることができます。
 
***安全性についての注意点***
 
 ・気分の浮き沈みの激しい人です。興奮し、カッとなると、大きな事故にもつながります。用心してください。
 ・環境の変化に応じた適切な処置が取れないようです。交通環境が変わった時は要注意です。
 ・相手の心の動きや変化に敏感な方です。ゆとりを持って考え、行動しましょう。
 ・運転にはマナーが必要です。あなたはマナーに問題があるようです。周囲を不快な気分にさせないようとくに注意しましょう。
 ・他人の目を意識して、自分を実際以上によくみせようとすることがあるようです。
 ・注意して運転することを忘れずに。

以上!評価についてはノーコメント!










2014/1/24(土) 遊び。



 


○寝た。

△寝過ぎた。
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今日も僕は元気です。12時間とか寝てました。
なんとなく。なんとなーくですけども、「明るい自分」というものに戸惑いを感じたような気がします。
「明るい自分」が僕という存在を占めているとき、どこかで「暗いスイッチ」を入れようとしている自分がいるような気がします。
どちらが本当の僕か。と問われたら、どちらもだ。と答えるしかないです。

ちなみに今日は家に連れて帰っていたユーフォちゃんをboxに帰してきました。後輩と、ジャ○キーに会いました。どちらも二言三言で別れました。それだけ。
よくよく考えたら明日からは教習生活が始まります。大体2週間ちょい。
なんか今日も現実逃避しかしていなくて、やらなければいけないことは何も進んでいませんが、なんとかなるんですかね。なんとかなったらいいですね。
明日は早いです。










2014/1/23(金) 遊び。



 


○遊び。

△疲れた。
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昨日の流れ
遅刻→ベイマックス→フードコート→ビッグバン(会話)→コーヒーココア→百円ショップ→水たまりミントン
→テーブル卓球→ブーメランコマ→食堂→ボーンとアンサンブル(スマホ)→ボーンとココイチ(下ネタ)

久しぶりに大学生をした。
ここ最近というかここ1年間は殆んど1人行動が常だったもんだから、こういった体験は本当に貴重だったのだと思う。
たぶん一ヶ月分くらいの会話をした。楽しかったのだけど、疲れた。
いわゆるところの「余計なこと」を殆んど考えなかったというのも良かった。僕の心境も多少の変化があったのだろう。
「余計なこと」を殆んど考えずに過ごしたせいか、書くことがない。いやそれでいいのか。それでいいのだと思う。
例えそれがどれだけ良い時間だったにしろ、文章に表すことができないのであればする必要はない。 むしろ、言語化しようとすればするほど、そういった思い出は陳腐なものになっていくような気もする。
だから、たまには何も考えずにいるのもいい。










2014/1/22(木) 色々最後。



 安直な女の子ver.ペイントで作成。


○授業終わった。

△ここ数日、やらなければいけないことをやってない。やばい。
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今日もなんやかんやしていた。
☆やらなければいけないこと(上に行くほど、優先順位高)☆
教習所の人と日程についての相談
土曜日提出の課題
卒論の口頭試問対策
以上。

なにもやりたくない。

そういえば今日は最後のゼミということでスゴロクをやった。
過程として、ようかい体操と物ボケをやった。深くは書かない。
わりかし上位でゴールしたため、アーモンドチョコレートをもらった。箱に入ったやつ。
ゼミにおいての僕の立ち位置というか、僕という存在はどのように見られていたのだろうか。
自分の発表のときは毎回のように哲学の話しというか、子難しい単語が繋げられただけの中身の無い話しばかりをしていたせいか、 変に「頭のいい人」或いは「少し難しい人」と思われていたのかもしれない。それは僕にとって悪いことではなかったが、良いことでもなかった。
ただ、僕からゼミの人間を見たとき、彼(女)たちは、「もう少しやりようのあった存在」だったように思う。
相変わらず抽象的すぎるので、具体的に言い直すと「もう少し仲良くなれたかもしれない人たち」だった。
今こうして言葉に表してみて初めて気づいたのだけど、僕にはまだ、他人と仲良くなりたいという気持ちがあったんだなあ、と思う。










2014/1/21(水) 試験。



 


○寝たら気持ちの整理もつく。

△ここ数日、やらなければいけないことをやってない。
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今日は試験だった。よくよく考えたら、大学というか勉学の場で試験を受けることもこれで最後なんだなあ、などとしみじみと感じていた。受かればの話しである。
受からなかったらどうしよう。多分内定もパアだろうな。授業料もどうやって払うのか分からないな。一気に露頭に迷うな。
いや、頑張った。わりと頑張った。きっと頑張った。論述なんて基本行き当たりばったりでしか書いていないけど。 ほら、こうやって毎日のように日記をつけているから多少は文章力というか「行き当たりばったりの文章を書く能力」は身についているような気がする。
ちなみに書いた内容は「ロリータ・コンプレックスの構造」とかそんなの。 「ロリータ・コンプレックスの人は、思春期の少女の中に自分が無くした思春期特有の大事なモノを見てしまい、それを取り戻すために少女を取り込むこと(≒性行為)を望むのではないか」
とかいうテキトーな持論をテキトーに書いていたようなきがする。どうでもいいですね。










2014/1/20(火) 今後。



 


○チョコレートが美味しい。

△やらなければいけないことをやってない
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色々あって、新年会には参加できなくなったっぽい。
色々あって、というか教習所のカリキュラムの組み方が最短コースにしたもんだから、 事前に確定するような形になっちゃったからなのだけど。
「新年会"には"」とは書いたけども、実のところ、府大の卒業式も、卒業旅行も、追いコンさえも参加できるかは不透明である。
入社前研修が入るかもしれないからだ。流石に追いコンまでも参加できないとなると、本当に申し訳ない気持ちになる。
だけども、僕の頭のどこかで「このまま部活の友人と顔を合わせないままサヨナラしてもいいんじゃないか」という気持ちが芽生えている。
去年のクリスマスに少しだけ顔を合わせたあのとき、あの「まだ最後じゃない」と安心していたあのときが最後でいいんじゃないか、と考えてしまっている。
そのほうが気が楽になれるからだ。もし、また顔を見てしまったら、また未練がましく思ってしまうのではないか。
勝手に引き寄せられて、勝手に自分を縛り付けて。そうしてしまうと、結局1年前の僕と同じなのだ。そうなるくらいなら、独りでいたほうがいい。

こんな文章を書いている間にも、Lineの新着通知が画面の端で光っている。










2014/1/19(月) 甘いブドウ。



 


○なんか頑張った。。

△やらなければいけないことをやってない
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あるとき、小さいシカがいました。
シカには、ずっと前から食べたいと思っていたブドウがありました。
ブドウは色がとてもよくて、見るからに甘そうなものでした。
ですが、そのブドウは鋭い枝に覆われていて、とても近づくことはできませんでした。
いつもは遠くから眺めているだけのシカでしたが、あるとき意を決してブドウに話しかけました。

「ブドウさん、ブドウさん。あなたのことをずっと前から見ていました。あなたを食べさせてくれませんか」
すると、ブドウはこう答えました。
「どうして、あなたに食べられないといけないの?あなたは身体が小さくて、何もできないじゃない」
「でも、あなたを食べて、その種を遠い場所に落とすことができます。」
「そんなこと、他のシカにもできることよ。鳥にだってできる。とにかく、あなたは絶対に嫌」
そういって、ブドウは黙りこんでしまいました。当然、枝に覆われたままでした。
シカは悲しくなって、その場から去りました。

(たぶん、あのブドウは本当に甘いのだろう、でも食べてしまうとそれっきりだし、
もしかしたらそれほど甘くないのかもしれない。だから、今までと同じ通り遠くから見ているのが一番いいんだ。 ブドウは、見ているときが一番甘いんだ)
シカは、そう考えることにしました。










2015/1/18(日) スプコン3回め。



 


○コミュ力up。

△練習
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なんだか昨日はいつ寝たのかいつ活動していたのかよく分からなかったので、 取り敢えず明け方の6時位に布団に潜り込んで目を瞑っていたら、5時間程経っていまして、結局スプコンの練習に遅れました。
そもそも今回の練習場所はセンター試験とかいうやつの兼ね合いで府大ではなくて、どこかの高校だったわけですね。
当然、場所は変わったのだから、そこに楽器を持っていく必要があるのですね。まっぺんとかは無いわけなんですね。 つまるところ手キャリーだったわけです。えっちらおっちら。
ユーフォちゃんの楽器ケースは多分全管楽器を通しても比較的重量がちょっとアレなほうでして、本当にしんどいわけでした。
でもなんだかプラスチックがベコベコしそうなソフトケースやら、 ただクッションが詰まっているだけの背負うタイプやらは怖いので使えないわけなんですからね。辛いですね。
恐ろしいことに、中身がない文章を連ねていっているだけで、原稿用紙1枚埋まってしまいました。何やってるんでしょうね。
今日は眠いんです。なんだか疲れているんです。パトラッシュ。
そうそう、今日は僕の愛想度が+1にはなっていたような気がします。相変わらずな所は相変わらずですが。
それから、先ほどお風呂で髪の毛をシャカシャカしていたら、ジャッ○ーの声がしたような気がしました。何故ジ○ッキー。










2015/1/17(土) 無気力無関心。



 


○沢山寝た。

△考えることが出来ない
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ここ数日、というか就職先が決まったあたりから、なんだかボーッとしている時間が増えたように思う。
この場合の「ボーッとしている状態」は何も考えていないパターンのやつである。
つまり普段の僕は「何か考え事をしているときのボーッ」と「何も考えていないボーッ」が存在するのである。
たぶん外見上でそれを見分けることは難しいのだと思う。どちらにしろ目が死んでいる。
内面的には斜め上あたりにモヤがあるかないかの違いである。
話しをもとに戻すと、そのモヤがない状態がよく発生するのだ。
この状態だと妙に生きている感覚が薄いような気がする。
もともと僕という人間は自分が生きていることに価値を見いだせていないし、そもそもそんなものは無いと思っているのだけれど、
そこからさらに生きている感覚というものが薄くなってくると、いよいよ自分が植物にでもなったような気分になる。
そういえば、ついでに感情の起伏も無い。それについで、元から周囲の物事や人に対して無関心だったのが余計に酷くなった。
なんというか、気力というかエネルギーのようなものが今の僕には殆んどないように思える。
どうせならマイナスの状態になったほうがマシなような気もする。それはそれで嫌なのかもしれないけど。
なんだか書き方からして変に他人ごとのようになっているような。
いったいぜんたいどうしてしまったのだろう。










2015/1/16(金) そつろんから。



 


○束の間の安息

△細かいものを見るのがほんとうに辛い。
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日記というものをですね。書くのをずいぶん忘れていましたね。
なんか色々やってたんですけどね。
この数日で新たに知ったことは、セブンイレブンのプリンターはワードファイルの読み込みができないということくらいですね。
どうでもいいですね。
あ、それから、後輩は僕よりも歌が上手かったです。
重ねてどうでもいいですね。
なんか二人だけだったのに一番大きい部屋を使ってました。おまけに諸事情でユーフォを持ち込む形になってました。
もうやめます。










2015/1/14(水) そつろん。



 


○うー・ら・ららん

△ポンポン。
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今日は初授業でした。因みに今は卒論を書いています。
提出締め切り間近です。えへへ。笑っている場合じゃないです。えへへ。
でも、ギリギリの状態って、なんだか生きている感じがしますね。
ギリギリで物事をやり遂げたときは頭の中でなんか物質が滲み出るらしいです。
達成できなくても異様な集中力とかありますしね。やっぱりなんか出てるんでしょうね。中毒ですね。ギリギリ中毒。誰か助けて。








1/13 色々と忙しいので書きません。なんか梅田とかにいってなんか色々相談してもした。面談か。とにもかくにも


2015/1/12(月) 



 


○うー・ら・ら

△ポンポン。
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今日もあれでしたね。駄目でしたね。卒論の終わりが見えないんですけど。
ぶっちゃけ練習に行くべきではなかったような気がするのですが、もうそんなことはいいっこなしですね。
駄目@コミュニケーションが下手。そもそも面接とかだと、 画一的な、決まりきった形式的なコミュニケーションを取っていれば「礼儀正しい」と認識してくれるそうなのですが、 現実的なコミュニケーションはそうはいかない。相手は人である。千差万別なコミュニケーションのパターンがある。
僕はそれに対応できない。わりと。瞬発的に声が出ない。動作に表せれない。僕、これでも4月から社会人なんだよなあ。 なんなんだろうなあ。

駄目A卒論できない。頭がパンクしてます。哲学って何。

駄目B楽器下手クソ。説明不要。










2015/1/11(日) 



 


○練習頑張るぞう

△ポンポン。
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久しぶりに楽器に触れたのですけれど、今日の僕はポンコツでした。
1にまず、口が全然もたないということ。
なんかもう吹いていて悲しくなってきました。
2に面接である程度はコミュニケーション能力が養われたかと思ったけど、別段そうでもなかったということ。
いやでも卒業までこのまま家に引きこもっていたら余計に駄目になっていきますので、これはなんとか前に進んでいきたいです。
とりあえずあれですね。就職活動の中で気付かされたことといえば、 今の自分に能力が無くて、それにただ悩んでいるだけでは駄目であって、 とにかくそこから脱却しようとする心構えが大事なんだ、ということですね。
つまるところ「〜ができるという能力」ではなく「〜をしようとする能力」
+0.001くらいでもいいから、一見判りづらくてもいいから、とにかくやってみようとすることが大事だと感じました。










2015/1/10(土) 



 


○免許取得頑張るぞう

△ほかにも頑張ることがあるんだぞう。
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昨日はなんとなく書きませんでした。
また別の企業様から色よいお返事を貰えたので、そちらのほうにいきそうですたぶん。
これで、いちおう昨年の1月末からグダグダと続けていた僕の就職活動を終えることができそうなのです。
開いた時間はスプコンと免許取得に使おうと考えています。

今の気持ちを率直に申し上げますと、「空っぽ」という言葉が一番当てはまります。
どうやら僕という人間は社会的に充足すると、頭の中といいますか、精神的な場所といいますか、
いわゆるそういう所に言葉で表すのが難しい空虚感というもので充たされているような気がします。虚無感なのかもしれません。とにかく、空っぽ。
今日は自動車教習所に行ってなんやかんやの登録を済ませたのですが、なんというか、受付のおばさんとも、話し半分くらいでしかなかったです。
とりあえず、明日はスプコンの練習が始まります。楽器に触れておけば、何かしら変わるのかもしれませんね。










2015/1/8(木) 



 かにみそん。


○こんにちは神戸

△私のお正月を返してよ。
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気分が高まったり落ち込んだりで結果的にとっても疲れた一日であった。
それから、最近はどうしても目が疲れやすく視力も弱くなっていた上に、ドライアイっぽい症状も出てきた。
視力が失われることは死ぬことの次に恐ろしい。

そういえば、今朝は夢を見た。家庭の事情で僕にマトモな寝床がなかったせいでもある。
夢というものは大体が現実世界と、どこかズレているものが多いが、今朝の夢はとても現実的だった。
詳しくは書かないけども、つまり僕は蚊帳の外だった。傍観者だった。










2015/1/7(水) 神戸と私。



 かにみそ。


○こんにちは神戸

△私のお正月を返してよ。
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面接があったので神戸に行った。神戸の町並みを見ただけでチョット心的状態がよろしくないのに陥った。深くは書かない。
面接はあまり掴みのないものだった。
大阪に戻ると、開放的な神戸と比べて明らかに大阪は人やモノでゴミゴミしているのだと改めて感じたのだけれど、 どこか安心感を覚えた。
故郷というのはこういうものなのだろうか。 僕の住んでいるところはゴミゴミさえもしていない寂れた住宅街だけども。
明日は早い。しかも明日に向けてまだ色々と必要な作業がある。ぶっちゃけこんな文章を書いている暇は無い。 なんでこんなことをしているのだ僕は。習慣って怖い。それはまさに僕に組み込まれたプログラム。 昨日の日記と雰囲気が全然違うのは仕様です。私の頭の中はそんなものです。 しかし、だがしかし、今僕が一番声を大にして言いたいことは、「働きたくない」です。無理ですね。はい。ああ。あああ。
卒論の存在をすっかり忘れていた。










2014/1/6(火) うれしくないてー2



 かにみそ。


○昼寝しちゃった。

△ううううううううん(超疲)。
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就職のことに詳しい人と色々お話をさせてもらった結果、まだ暫く選択肢を増やす方向になりそうである。
そして、その期間は今月一杯までになるだろう。つまり、1ヶ月後にはどのような結果にしろ、僕は就職活動を終えることになる。 就職浪人、第2新卒という道はほぼ完全に無くなったというべきであって、それは喜ばしいことなのだと思う。
だけども、あまり僕の気分が晴れないのは先日でも書いたとおり、あまり良い噂を聞かないということである。
とにかく、あと1年位は食いっぱぐれることは無くなったのだと思いたい。

ここまで書いてフト気づいたのだけれど、 今、こうやって将来のことについて全うに悩めている、ということは逆説的には幸せなことなのだと思う。
なぜなら「人生に生きる意味は無い」という考え、 また、「人生に生きる意味が無いのなら私は自殺するべきか」という考えをある程度排除できているからだ。
それどころではないのだ。つまりそこには自然的に、人間という知的なモノ以前にある動物的な生存欲求が生まれている。
そして、その生存欲求を満たそうとすること、或いは多少なりとも満たすことができたということは、それは幸せに繋がるのだと思う。
もう少しやって、殆んど忘れさることができれば、僕は「人生について考える」などという病的な考えから抜け出せるのかもしれない。
しかし、それは"哲学的"に良いことでは無い(良いこと≠正しいこと)。問題を忘れて、考えることをやめようとしているからだ。
どちらが良いのか。ということは考えない。ただ僕がいいたいのは、 社会的に一般的に生きるというということは、それがどのような形であれ哲学的には幸せだ、ということ、しかしそれは哲学的には良いことではない、である。
明日から面接3連チャンだけど頑張るぞう。










2015/1/5(月) うれしくないてー



 かにみそ。


○うううん。

△ううううううううん(疲)。
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今日は外出してみたけど疲れた。 なんか企業様から色良いお返事を貰えたのだけれど、 当該企業様を色々調べていると残業時間とか泊まり込みで何日も帰れないとか、そういったマイナスのことしか出てこない。はぁ。
パソコンの前で調べ物をしているだけなのに、とっても疲れてしまった。しかしながら、明後日も面接なのだ……。

二宮敦人の「18禁日記」という本を読んだ。いつもの駅前の本屋で129円で買った。
内容はとしてはあまり面白いものではなかった。難解ではないものの文章の形が本当につまらない。内容に捻りもない。
読み終わったあと作品について調べていたら「ケータイ小説」という言葉が出てきて、ああ成る程、とも感じた。
物語を作ることは難しいことであるし、それを完成させる、ということは本当にスゴイことで、とても僕には出来ないコトではあるのだけど、そうだとしても内容があんまりではなんというかかんというか……。
ただ、なんで僕はこの小説を読んでいる最中、心をえぐられてるような感覚に陥ったのだろう。親近感(?)からなのだろうか。

あれだな、僕にしては珍しく、エラく批判的な文章だな。やっぱり疲れているのかな。
他の何かを批判してみたところで、現状に変化が起きるわけではないからな。鬱憤晴らしなんて下劣だしな。うん。










2015/1/4(日) 



 みそ。


○今日も休める。

△視力の低下が著しい。
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季節的には真冬に当たるのだろうか。だから寒いのか。
年末辺りから殆んど外に出ていない。 出たといえば、一昨日くらいに年賀状が届いているか確かめに下まで降りただけである(僕の家は集合住宅である)。
あんまりにも引きこもってばかりで太陽の光を殆んど受けていないと、 身体的にはよく分からないが、精神的にはどんどん不健康になっていくのが分かる。具体的には鬱っぽくなる。
家の中、というものはあまりにも変わらなさすぎるのだ。
もし、自分が元々こころの病気を患わっていたのならどれだけ楽だったのだろう。
多少不都合なことがあっても、その病気のせいにできるからだ。
しかし、僕にはそういった病名は添付されていない。 もしかしたら、そういった施設で診断を受けたらテキトーな名前を付けられるのかもしれないが、よく分からない。
「人生は生きるに値しない」と考えているから、それだけで"病人だ"と診断されるのかもしれない。 一応大学は心理学科だから、そのあたりのことは学んでいるハズなのだけど、忘れてしまっている。ダメだこりゃ。
とにかく、日にあたっていないと、こんな状態になるのだから、いい加減に外に出たいと思う。

なんかこれだけ書いたくらいで目が疲れてしまった。ついでにお腹も痛い。ああ。










2015/1/3(土) 



 みそ。


○。眠たい

△最近日記を書くのがおろそかになっている。
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今回は文章を書く気がないのでメモだけで終わらせようと思う。 メモ
今、気分が重たい。なぜなら妄想に取り憑かれているからである。それは年賀状が届かないということである。→解決しました。
日本サブカルチャー史を見てた。サブカルチャーとは逸脱すること。
エヴァンゲリオンなどの「イタイ作品」と向き合うこと、多感な時期、哲学に逃げた私。→はたして哲学は正しいのか。










2015/1/1(木) 眠たい



 みそ。


○。眠たい

△寝たい時にいつでも寝れるこの期間がもうすぐ終わってしまうことについて。
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眠たいですね。眠たいです。
今日も酷い生活を続けていました。具体的に書くと、ゲームして音楽聞いて、食っちゃ寝してました。つまり脳みその活動をできるだけ停止させているわけですね。
素晴らしいお正月の過ごし方です。新年早々、 初詣だなんだとかいって風がびゅうびゅう吹いている寒いなか、人混みにまみれる人の神経が分かりません。 いや、バカにしているわけではありません。ただ、わたくしめは「インドア最高!」と声高らかに叫びたいだけなのです。くたばれアウトドア。
はい。おんなじ生活をもう一昨日くらいから続けているんですけどね。なんだか3日目くらいになると、飽きてきますね。
たぶん明日くらいは、お外に出るのでしょう。きっと。



















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アロハ
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